おっちーの鉛筆カミカミ

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いつか僕は死ぬのだろう

2019年08月15日 00時33分16秒 | ふりかえり
昼間生きている時と寝ている時に見る夢の中で「生きて」いる時は、感覚的には「生きる」ということにおいて変わらない気がする。

これは重要なことで、主観的には、現実にも夢の中でも感じる感覚に変わりはない、ということである。

こんなことを話すことに、意味はない、と考える輩もおるかもしれん。

しかし、そんな輩の考えていることも、角度を変えてみれば私の考えていることと本質的に変わらんと思われる。
だから、自信を持ってこの考えを進める。

ブログ文化、SNS文化が進むことで、文章の書き方も大きく様変わりしてきた。

段落の最初は一文字開ける、なんてのは文章を書く基本であったが、横書き中心、一文字分スペースが一文字でない今の時代に、その考えは馬鹿らしい考えとなりつつある。
なんか納得はいかないのだが、奔流に飲み込まれるいま、細かい考えは簡単に押し流される。

それはそうと、「夢」「生」「死」に対する考え方についてである。

いまこの文章を書いている時点での心理状態があまり健康的ではない気がする。
なので話半分に聞いて欲しい話ではある。

結論から言うと、人は死んだら夢の中の世界に放り込まれるんじゃないか、ということである。
これはあくまで当然だが仮説であり、何の根拠もない。
根拠はないこともないが、絶対的なものでは当然ながらあらず、あくまでこの仮説は「楽しむ」ためのものであることを強調したい。

僕は一度大怪我と大病を同時に負った。
その時の経験が、この仮説を形作っている。

あの頃の状況は、とても自身としてはもどかしいものであった。

まさに夢うつつで、暗黒の世界に突入したかと思えば、急に意識が現れ、自分の行動も認識できる。
しかし行動を制御する理性の力はか細い。

全くもって、自身の行動に自信など持てるはずもなくその前段階の問題で、何の責任を持つこともできそうにない。

ある時を境に、「集中力」が戻ってきて、現実へのアプローチに適格性が復活し、自分の行動に責任の持てる状態になってきた。

いま、僕は一日のの半分以上を睡眠で過ごしている。

そういうサイクルに入ったらしい。
もうこうなったら、腹をくくって自分自身の性質に付き合ってみるしかない。

そんな中でも、何かを残したい、もしくは自身として生きたい、そういった思いから、この文章を書いている。

夏という季節、気候もそのサイクルの到来を後押ししたのかもしれない。

それはそうと、いまはいろんな生き方をする人がいる。

僕は最近関わっているコミュニティの性質上、芸能人的な、ファンを持つ人種と、そのフォロワーに関わることが多くなっている。

そこで僕は、いろんなことを思いながら、その人たちと接している。


ものを書くということは、やはり良い。

自分の考えが形になるし、自分の持つぼんやりとした考えを、深めるきっかけになる。


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2 コメント

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Unknown (mz3211)
2019-08-15 06:04:54
死んだら、意識が粒子から波動エネルギーに戻るだけです。
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そうなんですか? (おっちー)
2019-09-25 01:01:23
なるほど。おっしゃってるイメージは伝わってきます。
ただ、その場合、自分自身の意識、はどこへ行ってしまうのでしょう。
そちらの視点からの考察も、うかがいたいところです。
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