おっちーの鉛筆カミカミ

演劇モノづくり大好きおっちーのブログです
いろいろ活動してます
そのうち、みなさんにお目にかかれたらうれしいです

立派

2014年02月23日 22時11分59秒 | 詩集・つれづれ
虚勢を張ることは
自分を立派に見せることは
相手の信頼を損なうこともある
人間の大きな人には
たくさんの人がついていくが
その中の人が
彼を信用していないことも
時にはある

弱みをみせることが
等身大の自分をみせることが
相手の信頼を得ることも
時にはある
でもそれには勇気がいる
相手を信頼していないとできない
自分を
人間を
信じていないと
そんな事はできない

立派な人というのは

「夢の万有引力」

2014年02月15日 19時48分01秒 | コラム・批評・エッセイ
意味もよく定まらないまま、使っております。

【対義語】:「希望の食物連鎖」

 人と人は引かれあったり、反発しあったりしながら、社会の中を生きていきます。
 大きな夢を抱く人は、人をひきつけます。唐突ですが、今が戦国時代の世の中なら、「野望」という言い方でもよいかも知れません。織田信長、豊臣秀吉、大きな事を成し遂げた人物は、多くの人をひきつけた人物は、大きな野望をその身にたくさん抱えていました。
 適用する言葉はどうでもよいのですが、社会に対する何かしらの強い「思い」を持つことは、その人が活動するエネルギー源になります。
 もちろんそれが、よこしまな「思い」であれば、それは何らかの形でその人に戻ってきます。行為に移さなくとも、強く「思う」ことは、その人の次の姿に強い影響を与えます。いわゆる仏教で言うところの、「因果応報」にあたる話です。
 私は、いきなり私の個人的な考えになりますが、なるべく「透明」でありたいと思っています。透明という言葉だけでは分かりにくいでしょう。「無我」と言いますか、私利私欲を挟まない、必要以上のそれを必要と思わない、もちろん表にも出さない、いわゆる「自然体」な自分。それが私の目指す、自分の姿です。
 その姿は、私の持つ「夢」と大きな関連があります。それは私の身には余る、大きな夢です。それを果たすには、私の言うところの「透明」な自分を形成する必要があります。
 なぜ「透明」であらねばならぬのか。それは、自分の意識外でも、社会を自分の理想に近付いていって欲しいと願っているからです。その唯一の「正しい」方法が、「透明」な自分を形成することでした。
 これに関しては、今の世を生きる人たちなら、似たようなことを思っている方々も多いのではないかと考えます。
 「無我」と自分を「殺す」ことは異なります。全く違う行為、思考です。自分を殺すことは、自分の存在を消そうとすることです。いるのに、いないふりをすることです。それは苦しい行為です。
 人の為と思って、それをする人がいます。あなたがそこにいるのに、他人に迷惑を掛けないようにと、あなたはいないのと同じようにと、そういう結果になるようにと、自分を殺すのです。それは繰り返しますが、辛い行為です。
 あなたは、わたしは、確かにここにいるのです。それを否定してはいけません。そこにいるだけで、私には、貴方には生きる権利が生じているのです。豊かな生を営む権利がそこに生きているのです。だれかれと同様に、豊かに生きてよいのです。私はそれを意識するだけで、元気になります。あなたはどうですか。
 誰かが、私たちを正しく「楽」な方向に引っ張っていってくれたらいいのに、と夢想します。それは救世主なのでしょうか。それほど末法の世とは言い切れない今の世、それを敢えて救おうなんて、そんな面倒なことを引き受けてくれる人はいるのでしょうか。

      *

 今、料理を勉強しようと思っています。オレンジページ、という料理雑誌があります。それに、「忙しい人のための作り置き」という特集があって、この記事をうまく活用できないかと、策を練ろうとしております。
 明日は日曜日。買い出しをして、料理の作り置きの、練習と実践を、やってみようかな、と。

0の平野

2014年02月11日 22時23分19秒 | コラム・批評・エッセイ
 二日、ブログ更新を休みました。
 先日の日曜日に、映画『永遠の0』を観てきました。
 今一番の話題作とも言えます。ご覧になった皆さんの評判を見ると、(エンタテイメント)作品としては素晴らしい、でもテーマ的なところに疑問が残る、といったものが代表的なところと言えますか。
 私の感想をお伝えします。まず、あんなに映画を観て興奮したのは初めてでした。感動しました。エンドロールが流れたところで、呼吸が苦しくなるほどでした。
 皆さんが苦言を呈する、テーマ的なところ、特に特攻隊を美化しているのではないか、という件についての個人的な見解を述べます。私としては、それは感じませんでした。むしろ、それを踏まえて、あの戦争期の歴史を、じっくりと勉強してみたい、という欲求が生まれました。よいきっかけを頂いた、という感謝の気持ちがあります。
 もちろん、観る人によっては、危険な思想のきっかけとなる可能性もあるのかもしれません。そこは、私は専門家でないので、プロの評論家さんや、有識者の皆さんに議論と対応をお任せします。
 けれども、私は今、その時代の日本や、それまでに至る世界の歴史を、勉強してみたい、と思えています。映画や、本、演劇、テレビドラマなどの娯楽作品は、時々、私たちを深い知識の世界に誘うことがあります。ある作品と出会って、感銘を受け、それに関する世界にのめり込んだ、という例は世の中にゴマンとあるでしょう。作品を享受する側、受け手が、そこから刺激を受けて主体的に動く、いわば受動から能動に切り替わるようなケース。私たちは、そういった場面にたくさん遭遇したいと、思うべきだと、私は思います。それは、歓迎すべきドラマです。
 エネルギーがないと、人は動けません。そのことが起こる理由がないと、結果は起こりません。だから私たちは、現実の世界の様々な刺激の中に、積極的に身を投じてもいいのではないかと思います。
 もちろん、そんなことは余計なお世話だ、という人もいると思います。でも私は今、そんなことを考えるのです。怪我をしたり、病気になったり、亡くなったりしたらどうするのだ、と考える人もいるでしょう。そうならない為に、人は生きる上で技術や、知識を身に付けなくてはなりません。
 もちろん偶発的な事故はあります。でも、恐れていたら何もできない。元々人は古来、大自然の中で、素っ裸で生きていたはずです。いきなり何の話をし出すのか、と思うでしょう。しかし、時代が変わっても、生きることに含まれる危険は、リスクは変わらない。私の言いたいことは伝わっていますか。原始時代の人の生き難さと、現代人の背負う生き難さが全く変わっていたら、現代の人が何の心配もなく、楽に生きることができる存在までになっていたら、それは地球のバランスが大きく崩れるのも当たり前です。我々はもっと自然を畏れて、環境を畏れて生きねばなりません。力は何も生みません。大切なのは、和、の心。調和。その実現の為に、私たちは多くを知らなければならない。そんなことを考えるきっかけをくれたこの映画に、キャスト、原作者等を含む全制作者に、私は感謝をしていますよ。
 話がすっ飛んだところまで行ってしまいました。失礼しております。もしこの記事が、誰かが何かを考えるきっかけになれば、嬉しいと思っています。

出てこない

2014年02月08日 01時46分21秒 | 小説・短編つれづれ
 便秘じゃありません。
 今日は、書きたいと思う事がない。それなら記事アップしなきゃいいじゃんって、それもどっか憚る。しかし無理矢理にでも、何でもいいから書こうとすると、ろくな内容にならないと分かっている。
 さて、どうしよう。こういう時が、腕の見せ所なワケです。
 昔々、ある処に、
 昔話を始めてどうしよってんだ。
 今度の選挙にはろくな候補者が
 ピーピーピー!!そういう内容は、自粛しましょう!!!
 最近少し体調の波が整ってきた。
 お、いい感じ。
 その原因と思われるのは、内面の変化はもちろんだが、水分を無理せず摂取しようと心掛けていることも、その中に入っているような気がする。
 へえ、そうなんだ。
 やはり、自身の内外にアンテナを張り、バランスを取りながら、時に大胆にもその行動を決定していくのは、生活する上で大切な技術である。
 ほお。じゃあ、少し乗ってきたところで、小説でもいってみようかな。

      *

わたしのこと(二)

 窓の外では、厚い雲を割って、太陽の光が差し込んできている。場所は、先の病院である。ロビーにいる。二人、長椅子に並んで座っている。
 これからわたしの話を始めるところだった。長い話になる。とても一日では終わらない。なぜわたしはこんな面倒な作業を始めようとしたか。わたしという物語を、わたし以外の誰かに憶えていて欲しかった。それが、いちばんの理由であった。では、始めよう。長い仕事を。いや、仕事と呼ぶのはやめよう。ただ、話をするだけだ。恋人と、少し長い話をするだけだ。
「どこまで話したっけ? あ、俺が、母の実家の近くの病院で生まれたってところからだったかな」
「そうだね」
「それで、固有名詞は、イニシャルで統一することになったんだよな。この話が本になって有名になった時に、迷惑を被る人が現れないように」
「うん、その通りだね」
「はい。じゃあ続き。その病院は、今、俺が住んでる自宅から、電車とバスを乗り継いで、一時間とかからない場所にあった。ちなみに俺のお祖父ちゃんが亡くなったのも、この病院だった」
「そうなんだ」
「うん。母方のお祖父ちゃんが亡くなって、俺の母親は、自宅に、お祖母ちゃんを迎え入れた。そのままだと、お祖母ちゃんは独居老人になっちゃうからね」
「優しいね」
「その事件は、俺の幼少時代に大きな、とても大きな変化を与えることになったんだ。まあ、その話はまた別の機会にしよう。今は、俺の生まれた時の話」
 そこで、わたしは鞄の中に入っていたペットボトルから、水分を口に含んだ。口内に潤いを与え、更にいくらかの水分を飲み下すことで、体内の水分を補給する。すると彼女が、わたしの持っていたボトルを奪い、その中のものを飲んだ。
「ありがと」
「おう」
 彼女はわたしにボトルを戻すと、そっぽを向いた。何を見ているのか気になっているわたしの心を見透かしたように、チラリとわたしを一瞥すると目の光だけで笑った。わたしはドキリとした。もうこの娘と何年間も一緒にいるのに、彼女はわたしと一定の距離を保ち続ける。だから、わたしの不安は消えない。もっと恋人同士は、一緒に成れないものなんだろうか。もっとわたしは、幸せになりたい。
 わたしは気を取り直して、話を続けることにした。

慌てる兎

2014年02月07日 02時35分57秒 | 小説・短編つれづれ
 見あげると、白い月が目に入る。形は、ほぼ、円形だ。もっとも満月ではないようだ。よく兎が餅をついてるような模様があると聞くが、肉眼では、その事実は確認できない。
「月ってちっちゃいよなあ」
 漫画とかだと、よく夜空にどデカい月が浮かんでいるコマがあったりする。あれを思うと、実際に見える月の大きさというものは、ごくごく小さい。
 全身に寒気が走った。今は真冬の2月上旬。今夜は、家の風呂が2人揃って故障し、仲良く待ち合わせ、銭湯にやってきた。
 今時、銭湯は存在しないだろうというのが2人の見解だったが、ネットで検索すると、ありました。意外と近所にありました。そうとう古い銭湯。時代の波に揉まれながらも、頑張っているな。
 私は風呂からあがり、入口の所で彼女を待っている。彼女は髪が長いので、あがる時間が自分よりかなり遅くなることは予想していた。しかし、それにしたって、もう30分は待っている。この外気温で30分立ちっぱなしは、トンでもなく、キツイ。既に、風呂に入る前よりも体温は落ちていた。確実に。
 ブルブルッ。トイレに行きたくなってきた。いったん銭湯に戻って用を足すか。彼女はまだ来ないだろう。
 便所から戻ると、彼女が立っていた。私を恨めしそうに睨んでいる。
「寒いい~~~」
 知っているよ。
「髪の毛凍ってない?」
「はあ? ここはシベリアじゃないんだぞ」
「今あがったの?」
「いや、ちょっとトイレに」
「トイレくらい我慢しなよ~」
 よく言う。
「俺も凍えたよ?」
「あぁ、ゴメンね遅くなっちゃって」
「いや」
「どのくらい待った?」
「15分くらいかな」
 吐く必要の無い、しかも微妙な具合の嘘を吐いた。
「ゴメ~ン」
「大丈夫だよ」
「兄ちゃん優しい!」
 彼女は、私のことを時々「兄ちゃん」と呼ぶ。あまり、呼ばれる本人はしっくりいっていないのだが、そんな事はお構いなしに、彼女は私を「兄ちゃん」と呼ぶ。
「行くか」
「うん、帰るか」
 時代錯誤なシチュエーションである。40年くらい前によくあった恋人の風景である。
 2人は歩き出す。
「神田川って知ってる?」
「知らない」
「そうか」
「あっ、知ってる! 料理研究家かなんかじゃなかった?」
「それじゃないし、なんで今そんな話しし出すと思った?」
「え~っ、そこまで考えてないよ」
 別れ道にきた。ここで、恋人とはお別れだ。日付が変わるまで、会えない。
 早く、最後まで一緒に帰るようになりたい。
「あした披露宴だっけ?」
「なにそれ、なんの話?」
「何でもないよ」
 彼女は私の顔をじっと見て、微笑んだ。
「結婚、したいね」
「したいな」
「一緒に住みたいね」
「まったく」
 一緒に住んだら、どんな生活になるんだろう。この娘と毎日、同じ家の中で暮らす。夢みたいだけど、全く不安が無いわけでもない。きっと新しい、今まで感じてなかったストレスは出てくるだろう。万が一、彼女の事を嫌いにならないとも言い切れない。喧嘩も、きっとするだろう。そんな時は、逃げ場が無いだけに、きっとキツイだろう。
「なんとかなるんじゃないかな?」
 彼女が言った。私の不安を見透かすかのように。どうも、表情に出ていたようだ。
「私も、おんなじ。ゆっくりやっていこう」
 そうか、私だけが悩む必要はないんだな。何か起きたら、彼女となら、2人で共に考えられる。何ごとも、独りではないのだ。
「ひとりで頑張らないで、一緒に相談して、考えよう」
 私は言った。
「うん、そうだね」
 彼女が、温かな笑顔で応えた。
「じゃあ」
 恋人同士は、別れの時間を惜しみながら、それぞれの帰途につく。彼は右。彼女は左。
 私は、ひとり、ぽつねんとしながら歩いていた。
 そうか、こんな感じで、いいのかも知れない。この、ぽつねんとした感じ。このままの感覚で、一緒になれば。力まず、相手に対しても変に頑張らず、ぽつねんでも、いいんじゃないかな。
 そんな事を考えているうちに、家に着いた。「ぽつねん」の具体的な意味は、分からないままだった。

優先順位

2014年02月07日 00時48分11秒 | コラム・批評・エッセイ
 仕事をしていると、よく上司が「優先順位」という言葉を使って指示をしてきます。大抵、その優先順位というものは、自分が生理的にやりたい仕事の順番とは違っていて。
 困るのは、上司がいない時に、以前その上司が言っていた「優先順位」の決め方を使って、仕事を消化していかなければならないとき。こういう時って、ストレスたまるんですよね。おまけに仕事の効率、スピードも悪くなる。自分が生理的にこなしたい仕事の順番と、恐らくは上司がして欲しいであろう、今の仕事の優先順位が、頭の中でカチ合うんですな。この順番でやれば、一番速くこなせそうだけど、もし上司に見つかったら怒られる。だから、ビクビクしながら仕事しなければならない。結局効率が悪くなる。そこで、上司の指示通りであろう仕事の優先順位に従って仕事をこなしてみる。すると、そういう時って大抵は、すぐ終わるのに後回しにしている仕事があるので、そっちが頭のどこかで気になって、やはり仕事をこなす集中力が落ち、効率が悪くなる。
 だから、私は上司の良い部下管理法として、仕事の結果には、評価・意見の伝達を下すけれども、やり方は任せる、というのを理想だと思ってしまうんですね。でも、なかなかそんな人はいないんだなあ。
 そうそう、腸炎はすっかり治りましたよ。ご心配お掛けしました。どっちにしても明日は有休を頂いているので、ゆっくり出来ます。最近忙しかったからなあ。年度末、年度始めに向けて、仕事場は更に忙しくなっていくので、体調管理をしっかりしなくちゃ。有休の上手い使い方も、そろそろ覚えないといけませんね。
 話は変わりますが、最近、『東京バンドワゴン』という小説を読み始めました。小路幸也という作家さんが書いた、ドタバタホームドラマ、らしい。彼女に借りたものなので、大切に読んでいこう。って、実は借りてから1ヶ月くらい手を付けてなかったんですけどーね。ようやく読む心の余裕ができてきました。
 さて、では、また、次回に。

腸炎

2014年02月05日 22時00分11秒 | 日々つれづれ
 感冒性腸炎。それが今回の診断名。
 朝、病院に行き、帰ってからは寝床とトイレの往復。またですよ。前回から、2ヶ月と経っていない。もう、うんざり。
 体中に毒が回っている感じ。午後4時台までは、布団の上で、文字通りもがき苦しんでいました。
 それが、5時過ぎくらいからか、ほんの一眠りしたら、元気になった。7時前に彼女がお見舞いに来てくれたのですが、その頃には、外に出られるほどに回復。だったので、駅まで彼女を迎えに。
 彼女はくず湯を買ってきてくれた。それは、私のリクエスト。スーパーでお粥等夕食を買い込み、私の自宅で父も含め、3人で食卓を囲む。さて、明日は仕事に行けるかな。
 それにしても、早くカレーが食べたい。

ほどほど

2014年02月04日 23時43分46秒 | 詩集・つれづれ

寝ること
ことこと
ほどほど
恋のちから
ほどほどに
夢のちから
果てしなく
リアルを見ると
うんざりもするけれど
いつか晴れる
この雲きえる
コートをはおって
しばらくしたら
見上げて
まぶしく
目をつむっても
みえるその光のつよさ
かんじる人のちから
かのうせいのみらいへの
ひかりののびるその真っすぐな
海がみえる空がみえる
みなかわってゆく
うんざりせずに
つづけることがいのち
そこからかんじるちからを
歩みにこめてゆけば
みらいがかわってゆく
わからないほどゆっくりと
すべて運命じゃないの
あるひとが叫んだけれど
すべてがいのちなんだと
わたしは思う
こころから
その気もちがすべての力
きょうから明日にかわる
それこそがすべてのちから
いいからあせらずに。

昨日から書きはじめた

2014年02月04日 21時45分29秒 | 日々つれづれ
普通のことを、今日も書く。

 坂本真綾という歌い手がいる。私の知り合いにも大ファンがいて、その人はいつも、彼女の歌を聴いている。
 確かに声もキレイだし、歌い節もうまい。私も嫌いではない、というよりも、正直この人の歌はよく聴いているし、はっきり言うと、好きである。聴いていて心地良い。
 そして、どうもこの方は歌うだけでなく、作詞もするし、作曲もなさるようである。いわゆるシンガーソングライター。才女でありまする。
 元々坂本真綾という人は、声優であったらしい。最近では、新劇場版ヱヴァンゲリヲンの「マリ」という役を好演している。ええ、私は、「好演」だったと思っていますよ。みなさんは、どうでしたか。
 そういえば、一昨年公開された「ヱヴァンゲリヲン」のQは、なんだったんでしょうねえ。GAINAXの名作「トップをねらえ!」を思い起こしたのは、私だけでしょうか。うーん、庵野監督、なにをしたかったんだろうなあ。まあねえ、普通に起承転結したら、エヴァじゃなくなっちまいますが。
 この更新、明日以降も続けたいと思っちょります。続いたらいいなあ。続けましょうよ。続く時。続けば。続け。最後が命令形でしたね。
 疲れてきました。明日は、もっと深く掘り下げたことが書けるといいなあ。えっ、掘り下げるって何をって、そりゃあ、人とか、内面とか、仕事とか、人生とか。頑張りまーす。
 疲れてきました。
 では、また、次回。

ちょっと普通のことも書いてみようかと。

2014年02月03日 21時55分39秒 | 日々つれづれ
 何かを書こうと意気込むと、なにも出てこない訳です。
 思わず笑ってしまいますが、そんな風にフッと気を抜くと、スルリと文章が出てくる。自然と、言葉が紡がれるのです。
 昔の、私が『文章塾』と呼ばれるサイトに参加していた頃の私の文章と、今の私の書く文章は、変わったのかなあ、変わったんだろうなあ、と、誰か第三者の言葉が出てくるのを待ってしまいます。
 今飲んでいるのは、カルピスソーダ。サワーではありません。昨年12月の末に、晩酌の直後に腹を壊してからというもの、お酒は怖くて飲んでおりません。酒を飲もうとすると、変な、酸っぱいような匂いがする気がして、気分が悪くなります。
 あの時は酷かった。夜中に腹を壊したもんだから、トイレと寝床の往復です。結局4回くらいもどして、落ち着きました。朝になり、会社に病院に行くとお休みを頂き、総合病院の内科を受診しました。ウィルス性の腸炎ということでしたが、あれは結局何が原因だったのだろうなあ。酒というよりも、コンビニで買ったつまみの柿ピーがいけなかったんじゃないかと。あの、普通の柿ピー並んでる奥から見付け出した、わさび柿ピーが。