おっちーの鉛筆カミカミ

演劇モノづくり大好きおっちーのブログです
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そのうち、みなさんにお目にかかれたらうれしいです

『僕の、メキシコでの再生』(後編)

2006年05月17日 02時26分13秒 | メキシコ日記
 次に、Cerro Huachipaの公演について書こう。
 公演名、”Naufragos(ナウフラゴス)”、日本語に訳すと、「漂流者達」というこの芝居、出演した僕が言うのもなんだが、とても良く出来ている。
 日本の一流企業に勤めるビジネスマンと、ペルー人の船員……二人の乗る船が、沈没する。そして、二人は小さな無人島に辿り着く。それから、二人の、この島を巡る容赦ないバトルが始まる……。
 話はこの二人の、生き残り・島の占有権バトルのやりとりに終始するが、その過程が、言葉の問題や、異国間の争いの問題を連想させ、面白い。いや、もっと単純な、エンターテイメントの視点から見るだけでも、面白い。
そして、ラストは……、いつかこの芝居に巡り会うかもしれない皆さんのために、秘密にしておく。
 僕はそんな芝居で、意外と重要な位置を占める(……と、自分では思っている……)木の役を演じた。
 木の役は、茶色い木のマスクを被っているものの、常に客に対して正面を向いている為、お客の反応が分かり易い。
 今回の公演の会場が、全3回中2回、中学校や、病院内の小学校で、子供相手だったせいもあると思うが、お客の反応は、とても良かった。
 そしてその反応は、会場によって全く違う。これも面白い所だった。
 今日ものすごくウケて、子供たちが終わってから真似をして、「流行」ってしまったような場面も、別の会場ではあまり反応なく、逆に、前回、全く反応のなかった所で歓声があがる。
 ここで、お客の反応を当たり前の様に書いているが、これは、メキシコで行ったからこその反応である。日本でやったら、ここまでは反応は良くないと思われる。
 他の国のことは良く知らないが、ラテンアメリカという場所は、本当に路上演劇の舞台をやるのに適している場所だな、と思った。
 観客の反応がじかに返ってくる。ノリが良い。お客のコントロール方さえ身に付けてしまえば、こんなにパフォーマンスして気持ちの良い地域はないだろう。
 それは、子供相手だけでなく、大人が相手の場合でも、である。
 “Naufragos”のメキシコでの初回は、大人も子供も色んな人が集まる広場で(前述の“マラソン”形式。写真はその時のもの)やったのだが、ちょっとの事で笑ってくれる。凄く集中して、入り込んで見てくれる。日本だと、通りすがりに、「あぁ?何かやってんのか?」くらいで目をやる程度なのが、メキシコ人だと、魅入ってくれる。もちろん、通り過ぎてしまう人もいるのかも知れないが、そういう人はあまり目立たない。楽しむ事に日本人より積極的・主体的だなあ、と思った。……そう、好奇心が旺盛なんですよ、きっと。

 メキシコ出発の1、2週間前、僕は、本当に自分がメキシコに行っていいのか?と悩んでいた。助成金もおりている、本格的な国際交流の場。そんな場に、半病人の僕が行っていいものか、と。
 本当はもっと有意義な旅にしてくれる、相応しい人がいるのではないか……自分で立候補しておきながら、そんな思いが常に頭の片隅にあった。
 しかし、とにかく、僕は行ってみた。それで、道が開けた。何とかなった! 日本人以外の友達もできた。有意義な旅になった。
 「成せば成る」、「結果は後からついてくる」……まさにそんな二週間だった。


以上、久々の更新……すみません。忙しくって。
前編だけ投稿して後編はいつだって感じですよね。すみません。

さ~て次回から何書こう?
その前に次の投稿はいつになることやら……(^_^;;

『僕の、メキシコでの再生』(前編)

2006年04月24日 02時30分13秒 | メキシコ日記
メキシコ日記の連載も一通り終わり、メキシコの思い出最後を締めようということで、メキシコ国際路上演劇祭・「テアトロ・アビエル参加報告書」の中で書いた僕の文章を2回に渡り載せます。


『僕の、メキシコでの再生』

 およそ5年前の1月10日の夜、僕は、線路の上で、身体中の痛みに耐えていた。

 「突発性混乱状態」という名前の病気で、僕は、訳の分からないまま、フェンスを乗り越え、斜面を転げ落ち、京浜東北線の線路までフラフラと歩き、電車のライトと警笛を浴びて、その後の記憶が全くなくなっていた。
 それから、3ヶ月入院して、退院してから今まで、リハビリ生活を過ごしてきた。

 病気が発症してから4年が経った頃、ある大学の後輩から、自分が委員長として関わっている「路上演劇祭実行委員会」というものに参加してみないかと誘われた。
 僕は、まだ病気が治りきっていないこともあり、少し迷ったが(その後輩には、そんな迷いなどほとんど感じさせなかったと思うが)、外の刺激を受けるのは回復するのに大事な事だし、何より、後輩が元気に活躍しているのを見れば、いい励みになり、彼から元気を貰える……そう思い、話を承諾することにした。
 そうして、5月に行われた路上演劇祭JAPAN2005も終わり、再び、例の後輩から、11月、メキシコである国際路上演劇祭に、一緒に行ってみないかという誘いを受けた。5月の路上演劇祭で少しだけ役者をやり、調子に乗っていた僕は、即その誘いを快諾した。
 しかしまだ、僕の病気は完全に治っていたわけではなかった。だいぶ症状は良くなったが、薬のせいもあるのか、身体が何となくだるく、とにかく眠かった。
 でも今では、本当に、だいぶ良くなったと思う。
 とにかく、この、メキシコ路上演劇祭を、立派に演りきることができたんだから。

 僕は、この、メキシコ国際路上演劇祭で、フォーラム・シアターと、Cerro Huachipa(セロ・ウワチパ)という、二つのグループの芝居に出演した。
 フォーラム・シアターでは、嫁を家に縛り付けようとする姑、「おばあちゃん」の役を、Cerro Huachipaでは、二人の“漂流者達”が流れ着いた島に一本だけ生えている「木」の役を演じた。

 では最初に、フォーラム・シアターについて、書こう。
 ある問題を題材に演劇を創り、それを上演し、場を共有することで、その場にいる全ての人が参加して、その問題の解決法を模索しようとする演劇の手法を、フォーラムシアターという。
 今回は、そのフォーラムシアターを、無謀にも言葉の通じないメキシコの地において行ってしまった。
テーマは、「家庭内における、女性の自立」。主婦は家事のみに縛られるものなのか? 主婦が自立して家の外で仕事を持つこと……それは責められるべき事なのか?
 今回は、観客の大半がメキシコ人ということで、役者は、台詞の大部分を――本番も台本を見ながらではあるが――スペイン語で喋った。発音やアクセントを学び、芝居を成立させるためにはそれなりの苦労があった。
 本番は、マラソン(フェスティバルの始めに、全参加グループが順番に登場して出し物をやるもの)時の本会場ステージ下(ステージ上では客との距離が遠いので)と、地域の文化センター内広場――小さなステージがあり、その上で行った――での2回行った。(写真は2回目の時のもの)
1回目の時は、とにかくお客の反応が良かった。少しのネタで笑いが起こり、場が盛り上がる。終わってからの出演者たちの充実した笑顔が、とても印象に残っている。僕としても、大変満足感を覚えた。
 2回目の公演時は、公演中の反応は、1回目とは比べものにならない程無かった。少し残念だった。しかし、この回が「フォーラム」シアターの本当の本番である。ひと通り芝居を行った後、通訳を通しつつ、観客からの活発な意見が交わされた。また、観客が演技者になってアドリブで芝居を行うという、このシアター独特の光景も、何人かの参加者により、見ることができた。
観客が役者と入れ替わった場面では、姑になって、家事に追われる主人公の妻に協力したり、妻になって、会社の仕事しか目に入らない夫に、家事を分担するよう説得したり、やはり妻になって、母親に非協力的な娘に、家事を手伝うよう諭したりと、いくつかの解決法を提示してくれた。
 これにより、製作者・役者としては、大きな手応えを掴むことができた。

メキシコ日記ラスト~11/23(水)後半~

2006年04月18日 03時26分17秒 | メキシコ日記
(前回からの続き)

 博物館のお土産コーナーに寄った。ここも手提げ袋持込は不可ということで、和重さんに荷物を持ってお土産屋の外のベンチで待ってもらうことにした
 絵葉書、パンフレット本、アステカのカレンダーを買い、和重さんと交代しようと思ったら閉館時間になってしまった。もうお土産いらないといっていたけど、ごめんなさい、和重さん

 ホテルへの帰り道、これが大変だった
 ホテルへ電話しても携帯が繋がらず、駅からの道が分からない
 しかし、ホテルに近い(はず)の駅で降りたところで、紳士が現れ、電話を貸してくれた。ようやく電話が繋がり、ホテルまでの道を確認する
 また同時に摂さんの携帯に(確か)榎本さんから電話があり、こちらでも道を確認する
 そして、ホテルの2ブロック先で病院の医師をしているという紳士が道案内をしてくれて、ようやくホテルに到着
 紳士は「いつでも病院にいらしてください」という名(迷)言を残し、去っていった。茂子さん、摂さん、僕が死ぬほどお礼を言ったのは言うまでもない

 ホテルの部屋308号室に戻ると、今日のナウフラゴスの公演の上演会をやっていた。
 また、演劇祭に参加した中学生の女の子3人くらいがいて、皆の名前と住所とemailアドレスをメモしてもらいまわっていた。僕も全員にサインした。ちょっとスターにでもなった気分
 僕もペプシコーラと炭酸オレンジジュースを飲みながら、その雰囲気を楽しんでいた
 セロ公演のフィルム(部屋の壁にプロジェクターで映していた)が終わると、今度は烏山路上演劇祭のフィルムが流れる。さすが阿部さん、用意がいい
 体調を崩していたチェリーさんも元気にビールを飲んでいた
 そして誰がもってきたか知らんが、現地で買ったケーキを切る(後から知ったことだが、このケーキはコンスエロさんの誕生ケーキだったらしい)。ブドウやイチゴが丸々上に乗っている。ちょっとブドウの種が気になるが、美味い

 ただ気がかりだったのが、十川さんと和重さんと、tacaさんと福原が、誰もいないギジェルモ氏の家に帰ったことだった。
 誰もいないのでもちろん中には入れない
 行き場のないメキシコの街で、4人はどうしているのだろうか?

 上映会が一段落し、フォーラム&セロチームは、あの高足で神秘的な舞を披露してくれた女性・コンスエロさんの旦那さんのお兄さんの経営するカフェに行くことになった
 歩いて15~20分くらい。中に入ると、とても素敵な家の中をそのままカフェにしたような感じ。色々な絵や写真がいたる所に飾ってあってとてもお洒落。「ここに住みたい」と誰かが言っていた
 皆はセルベッサ(ビール)を、僕はコーヒーを頼む。他にもサラダやサンドウィッチを頼む。
 セルベッサを2、3本開けると2時近くになった。こーたさん、茂子さん、セサルさん、阿部さんは4時半にホテルを出てそのまま帰国するので、そろそろおいとま。

 そういえば、みゆきさんが風邪をひいてしまった。多分疲れが出たんだろうと思う。皆が頼りにして、頑張り過ぎです。でも、本当に感謝しています

 ホテルに帰ると、帰国組が順番にシャワーを浴び、僕がシャワーを浴びようとする前に出発の時間となった
 見送りの為、ロビーに降りる。茂子さんが僕もいることに驚いた
 タクシーがなかなか来ない(ギジェルモ氏が頼んだはずだが)ので、自分たちでタクシーを呼んでもらう。
 4人出発。「アスタプロント」手を振る。茂子さんとセサルさんが手を振り返してくれる。「アディオス」4人の男部屋は、僕だけの独り部屋になった

 シャワーを浴び、寝る。明日(今日)も早い

(了)

メキシコ日記~11/23(水)前半~

2006年04月15日 18時52分25秒 | メキシコ日記
 昨日は自分の出演がなくて気楽だったが、今日はセロ・ウワチパの公演がある
 朝食を済ませ、バスに乗る。この日の朝食はハムと目玉焼き。昨日と変えてみた。あとは昨日と同じ
 ギジェルモ氏のミュージアムに着くと、のぞみさんのシンポジウムが始まる。のぞみさんが日本語で喋ってみゆきさんがスペイン語に通訳するので、意味は解る。最後まで聴いていた。内容は写真を回したりして、浜松・烏山・ラテンアメリカでののぞみさんの活動の説明(たぶん)。
 次にロベルト氏のシンポジウム
 ちなみにセロの公演は1時からということで決定したらしい(それ以前は11時だと聞かされていて、絶対間に合わないじゃんと思っていた)。
 ロベルト氏のシンポジウムは全てスペイン語でもちろん通訳もなく、全く内容が解らなかったので、途中から入って、しかも中に入ってからも日記を書いていた。最後まで外で日記書いてれば良かったかな

 シンポが終了すると、昼食を食べる暇もなくセロの公演会場へ車で出発
 会場は病院の中の小学校(?)。観客も子供が中心
 風船(木の実)を膨らます練習をする暇もなく、開演
 反応をする場所や声の掛け方が一昨日とは全く違う。オープニングから、2人が島に着いた時点で歓声がわく。こんなのは初めての反応だ(と、こーたさんも言っていた)。
 魚をこーたさんが自分のだと主張する場面ではこーたさんにブーイング
 反応がとても素直
 終わったその場で子供たちの感想を聞く。その中に「木が好き」というのがあった。うれしうれし
 とりあえず公演は大成功最後の「イマジン」で花が出るところも決まったし。
 最後(3回目)の"ナウフラゴス"も終わり、今回の僕の滞在中の出番は全て終わった
 日本チームの他のメンバーも歩いて会場まで来て、ナウフラゴスを楽しんでくれた

 車でギジェルモ氏のミュージアムまで戻ると、茂子さん、摂さん、和重さん、tacaさん、福原が出掛けるところだったのでついて行った。今日の午後はフリータイム
 タクシーで近くの路面電車の駅まで向かう。普通のタクシーにいっぺんに6人乗車。これも日本でやったら捕まるな
 路面電車で数駅。ここでtacaさんと福原は別行動。茂子さん、摂さん、和重さん、僕とで博物館に向かう。
 路面電車からメトロに乗り換える。
 とある駅で降り、「地球の歩き方」の地図を見ながら博物館へと歩いて向かう。
 意外と距離ある。途中に作りかけの牛の像がいくつもあった。かなり派手な模様。それぞれにとても個性的な外観
 博物館に到着。この辺りは東京でいうと上野公園のようだと僕と茂子さんの意見が一致。
 中に入るとまず荷物検査。そして手提げのビニル袋を受付で預けないと入れないと言われる。
 茂子さんと摂さんは先に進み、和重さんが待っていてくれた(荷物を預けている間)。中にはまず原始時代の狩りの様子や、石器、頭の骨、メキシコの原住民の生活の様子などが紹介されている。
 それから、アステカ・ティオティワカンの石像、特に「太陽の石」と呼ばれる直径が人の3倍もあるような巨大な円盤型の石(彫刻?)が飾ってあり、これがすごかった。茂子さん、摂さんによると、前に立ったら「太陽の石」から発せられるオーラで体がゾゾーッとなったそうな。すごいパワーだと言っていた。僕は単純にこんなの作れるのはすごいなーくらいしか思わず、それほどパワーのようなものは感じなかったが。でもすごいものだとは思ったよ。
 他にも人の背丈の2~3倍ある石像がたくさん飾ってあった。

(続く)

メキシコ日記~11/22後半~

2006年04月11日 01時10分48秒 | メキシコ日記
 のぞみさんの公演開始
 僕は一般客に紛れようと奥の一番端の席に座った。そしたらJAPON勢の皆が僕と同じ列に並んで座り、日本人席になってしまった。なんだかなー
 のぞみさんの公演はとても面白かった。三階から客席に囲まれた舞台の中央に紙袋ともう1つ何か(忘れた)を放り投げ、それから1階の舞台に降りてくる
 最初は袋との絡み。袋の中に何かいるような感じで、怖々と袋の中を探る
 袋の中に手を入れる噛み付かれた?悲鳴をあげるのぞみさん
 次に、抵抗するものの、袋の中に頭を突っ込んでしまう。それで、客席の方に手を伸ばして近寄る。袋の中に顔を入れているので目の前は見えない。
 のぞみさんが客席に手を伸ばすと客が逃げる。笑いが起こる
 1人の女の子がのぞみさんに手を引かれ、舞台に上がる。
 女の子、のぞみさんのかぶっている袋を取ってしまうオーバーに驚いた顔を強調するのぞみさん(後から聞くと、この時はほんとに焦ったらしい)。「助けてくれてありがとう」そんな感じで女の子を抱きしめる。
 ほんとはもっと長いマイムのはずだったが、女の子が袋を取ってしまうアクシデントのお陰でこれで一幕終了。

 第2幕。
 今度は傍らのカバンから、折りたたまれた髪のシートを取り出す。
 この上がのぞみさんの唯一の安全地帯。その外には出られない
 シートの上に乗ったまま、器用に折りたたんだ紙を広げてゆくのぞみさん。座れない、立ったまま→広げる→座れる、横になれない→広げる→横になれる、手足を伸ばせない→広げる……という感じでのぞみさんの活動範囲は広がってゆく
 けれど全て広げても、観客との距離はまだある。
 紙の片方の裾を持ち、ジャンプしながらズリッ、ズリッ、と観客の方へ近付く。
 手を伸ばすと、1人の男性が誘いに乗って舞台の上にあがる。
 しかしすぐに男性は自分の席に戻される。
 今度はのぞみさん、紙の中にくるまる。そこから穴を開け、手足をニョキッと出す。
 舞台上を少しずつ動きながら助けを求めている。
 しばらくしてある瞬間、ある女の子がのぞみさんの手を握る。紙の中から助け出されるのぞみさん。紙を破って中から現れる。大・円・団
 のぞみさんが女の子を抱きしめ、お礼の気持ちを表現する
 2人でお客に礼をし、最後にお客の拍手に答えるのぞみさん。
 公演は大成功と言えた

 公演が終わってから、文化センターの入り口の所で、ハビエルさんというおじいさんが演劇祭中に撮った写真を売っていた。1枚10ペソ(100円)いい商売してまんなあ
 でも、すごくいい写真があったので何枚も買ってしまった。思い出思ひで。皆もおもいでたくさん買っているようでした

 帰りも車は超満員。更にのぞみさんが加わったので車内は更にキツイ確か大きめのバンに19人

 ギジェルモ氏のミュージアムに到着。夕食を食べる。確かギジェルモ氏のスピーチがあったと思った。

 この日はあと覚えていない。ホテルに帰って、シャワー浴びて寝たのか?特別な事件はなかったのか?全ては謎のままである

 日本に帰れなくなったtacaさんはホテルで一泊。明日はギジェルモ氏宅に

メキシコ日記~11/22(火)前半~

2006年04月08日 02時32分21秒 | メキシコ日記
 今日は朝8時に起きた。30分くらいTVを観たりボーとしてたりして、その後朝食に向かう。こーたさんはシャワーを浴びるので遅れて来る。
 メニューは昨日と同じ。でも不思議と飽きない。

 今日は阿部さんのまとめた路上演劇祭5年間のシンポジウムがある。今日は阿部さんの本番。頑張って
 阿部さんが日本語で原稿を読み、みゆきさんが通訳する。
 シンポは滞りなく終わる
 その後にセロのシンポもあったが、僕は外で待っていた。で、昨日書けなかった日記を書いていた
 本日のシンポは全て終了。しばらくして昼食の用意ができたらしいので、食べにミュージアムの中庭にあるテントの中へ。最近、メキシコでは濃い味付けの料理が多いので、冷や奴が食べたい。何かあっさりした食べ物ないかなー?
 その後、今日の朝日本に帰る予定だったtacaさんがミュージアムに現れた。飛行機のエンジントラブルで今日の便では飛び立てず、25日の飛行機で発つことになったらしい。今日はホテルで一泊。

 それからドイツの公演を観に車で移動。大き目のバンに20人弱乗る。日本でやったら絶対捕まるな(2度目だが)。
 ドイツ公演の会場に着く。多分高校。バスケットのコートが会場になるようだ。
 皆、昼食がまだだったので、近くにあったSUBWAYで食料調達。tacaさんの分も茂子さんが買う。チェリーさんがSUBWAYで飲み物を買えず、結局会場の高校の隣(?)にあった屋台みたいな店で僕らより安くジュースを買う

 ドイツの劇、始まる。最初に仮面をつけた女性が現れる。音楽と共に。不思議な動きで、周囲を歩く。手にぶら下げたバッグを置き、開いてその裏で仮面を付け替える。
 その他、羊の格好をした男の人が現れたり、女性と男性が追いかけっこをしたり、男性が女性に花を渡したり、両手両足に長靴を履いて手首を回転させたりして色々アレンジしながら動き回ったり、色々していたが、役者は2人で、正直何を言いたいのか、やりたいのかが解らなかった。夢がテーマだったと後から聞いたけど、それにしてももう少し構成に工夫というか、思い描いたままじゃなくて、客の目を意識した魅せ方があったんじゃないかと思った

 その後のぞみさんの公演を観に、のぞみさん・茂子さんのワークショップ、フォーラムの公演、が行われたのと同じ文化センターを訪れる
 開始まで大分時間があったので、センターの周りの街並みを見て回る
 小さなお店で、ミニッツメイドのレモン味を買う。不思議な味。なんか「作り物」っぽい味がした。たまたま会った福原に飲ませたら「不思議な味ですね。でも日本のどこかで味わったことがある」などと言っていた。
 続いて通りの駄菓子屋みたいな所で、メキシコ版チュッパチャップスみたいなものを買う
 舐めてみると予想外の味で、すっぱ辛かった。正直、かなり舐めるのがキツかった。メキシコの子供はこんなものが好きなのか? しかし、しばらく舐め続けると中心部分の甘い黄色い部分が、すっぱ辛い赤色の層の中から出てきた。それからはおいしく食べられた

(続く)

メキシコ日記~11/21(月)後半~

2006年04月07日 00時27分17秒 | メキシコ日記
 登場(開演直後)するための出ハケを作るため、舞台の奥にある部屋の入り口にカーテンを張る
 その暗幕の裏の部屋で、最後の台詞チェック。緊張感高まる。幕の裾から覗くと、用意されたイスは全て埋まっている。大入り。2階や3階のバルコニーから観ようとしている人もいる。

 開演。まず茂子さんが呼ばれ、舞台上へ登場。次に十川さん、僕、原田さんの順。
 客は結構おばさんが多い。子供連れ。おじさん、おばあさんもいる。
 昨日より客の反応は悪い。あまり笑ってくれない。
 けれどフォーラムの段階になると、結構活発に意見を出してくれる
 最初はおばあさんに代わって、きちんと自分の仕事(おじいさんの世話)は自分でやるべき、という意見が出された
 それから太郎さんが澄子に協力して家の仕事も共同でやる、澄子も仕事をして太郎と同じくらい稼いで、一緒に協力して生活を支えればいいという意見があり、また、レイコ(元"美穂")が家の手伝いを全部しなさいと澄子の役に代わってレイコに言い聞かせる女性が現れた。レイコ役の原田さんはかなり渋って、ごねていたが(デートとか行くしー、とか家事なんてやったことなーい、とか)強力な押しに、じゃあ、ちゃんとやり方を教えてくれればやる、というところで落ち着いた。いやー、見ごたえのある攻防だった
 なかなか盛り上がった
 幸いなことにおばあちゃんがアドリブでリアクションを返さなければならない場面は最後までやってこなかった。僕アドリブ下手なんだよね。良かった

 フォーラムの公演が終わり、再び車に乗り込むと、ギジェ氏のミュージアムの近く、小さな店の前で全員降ろされた
 名前は分からないけど、とあるおじいさん(三つ編みしてた)の書いた本の出版記念パーティーに僕たちも参加することになるらしい。テキーラの炭酸割が振舞われる。ノンアルコールの飲み物はないのか 乾杯(サルー)もコップを持たないまま行う
 ギターの生演奏に合わせて、その本の朗読を、少しずつ多人数で行う。日本勢ではセサルさんとみゆきさんが参加
 僕は自分でコップにコーラを注ぎ、ようやく飲む
 ワインが入っていて、腹を押すとチューと中身が細く出る水筒のようなものを回し飲みする。僕は本当は酒は飲めないのだが、回ってきたのでこりゃやらねばなるまいと結構飲んでしまった
 店が小さいので人があふれている。僕も中の様子が窓から見える位置の、店の外に十川さんと原田さんがいたので陣取った。ちまきのようなものを貰う。少し甘い。完食。十川さんのはしょっぱ辛いそうで、少しもらったらその通りだった。全部は食べられない
 中で誰かの誕生日を祝う歌が聞こえてきた。ハッピバースディの歌は世界共通なのだろうか? ここメキシコでも、日本と同じハッピバースディの歌だった

 車でホテルに帰ると、チョニー(セサル)さんの友達がロビーで待っていた。日本で一緒の外国人アパートに住んでいたことのある友人らしい。日本語達者
 こーたさんとセサルさんはその友達の車で遊びに出掛けたが、阿部さんは明日のシンポの用意などの仕事があるので行かないらしい。僕も眠いので行かない。
 その日はそのままシャワーも浴びず、こーたさんとチョニーさんの帰りも待たずに寝てしまった

メキシコ日記~11/21(月)前半~

2006年04月06日 01時45分27秒 | メキシコ日記
 今日は榎本さんと福原が、デジタルビデオカメラを朝の7時にホテルのロビーまでとりに来るというので早起きした
 そしたら2人とも7時になっても来ず、7時半になってやっと来た。寝坊したらしい。ホテルのフロントに遅れると連絡を入れて、フロントが部屋に電話してくれたらしいのだが、僕はその頃既にロビーで2人を待っていたので情報は入ってこない。まあ待つくらいいいんだけど
 2人にビデオを渡し部屋に戻ると、みんな起きていた。フロントからの電話で起こされて、そのまま皆起きてしまったらしい
 8時45分まで僕は寝ていて、みんなが朝食を食べに行くというので起きて1階のレストランまで朝食を食べに行く
 メニューは昨日と同じ、卵とベーコンの料理にパンとジャムとバターとパンに付けるソースとオレンジジュース、コーヒー、以上。明日もまた同じなのかな?

 10時にバスが来て乗り込む。
 ギジェルモ氏のミュージアムに着くと、すぐセロ・ウワチパの公演の準備を始める。本番は12時から
 ミュージアムから歩いてすぐの中学校の中にある劇場でセロの公演をするらしい。キャパは200~300ほど
 幕を閉め、公演開始の準備をする。昨日、ココナッツのみを膨らませる(「木」役・僕の数少ない演技のシーン)のが遅れたので、今日は事前に早めに準備をするつもり

 公演が始まる。客席は中学生でぎっしり超満員
 ネタが決まる決まる。客席から何度も笑いが起こる
 終わってから何人かの学生に舞台に上がってもらい、感想を聞く。内容は良く解らないが、好感触らしい
 雑誌の記者が、こーたさんとセサルさんにインタビュー。英語でやり取りをしているらしい
 その間に、僕と原田さんは後片付け。
 取材が終わり、最後に舞台をこーたさんとセサルさんとでたたむ。
 tacaさんによると、芝居の中にあった台詞・こーたさんの「国境!」が中学生の間で流行っていたらしい。いい感じ
 セロの公演は大成功に終わった。ただ本当は12時と13時の2回公演と聞いていたのが、もう下校時間なので1回でいいと言われた。下校時間なんて分かってるんだから、最初からそう伝わってきていても良さそうなもんだ。メヒコ!
 ミュージアムに帰って原田さんとヒストリーの公演を観に、携帯で原田さんが場所を聞きつつ、会場へと向かう。しかしいくら歩いてもヒストリーの会場の住所に辿り着けない
 結局ヒストリーは観れずじまいで、ミュージアムに帰ってくる。原田さんは「ごめんねー振り回しちゃって」と言っていたが、僕は完全に原田さんに頼りっきりだったので、原田さんに責任はない。全然大丈夫
 ミュージアムで用意してくれた昼食を食べる。パンと鶏肉とコーヒーと、後何か色々……(忘れた)。最初は外人さんの中で1人で食べていたが、後からヒストリーから帰ってきた日本勢がやって来る。僕は食べ終わったので、和重さんに席を譲る。
 その後、ミュージアムの中庭にフォーラムのメンバーが集まったので練習を始めた。本番は今日の18:00。
 中庭にいたこーたさんのアドバイスで芝居がちょっと変わる。テンポが良くなった感じ

 そして車で公演会場へ。茂子さんやのぞみさんがワークショップをやった文化センターの1階が会場。
 蛇足だが、移動の車の中でJAPONチーム15人+1人(tacaさん)が揃った。車は少し大きめのバン。中はギュウギュウ詰め。3人のイスに4人、2人のイスに3人、イスのないタイヤの上の部分にも座る(日本でやったら絶対怒られる)。
 会場に到着。開演30分前。急いで着替える。で、台詞の練習。ほとんどスペイン語なので、みゆきさんからもらったダメをもう一回確認する。こーたさんからのアドバイスも。

(続く)

メキシコ日記~11/20(日)後半~

2006年04月05日 02時49分53秒 | メキシコ日記
 セロの公演を終えて、十川さんと原田さんと一緒に、昼ご飯を食べに市場へ行った。例のギジェ氏のミュージアムの向かいにある市場である。
 屋台の一つに座り、注文をする。コンソメスープに、ご飯と野菜が少し入ったものとトルティージャが出てきた。結構ウマイ
 昼ご飯に行く前にフランス人の74歳・男性奇術師・フランソワさんが公演をやっていたのだが、昼ご飯を食べ終えて戻ってもまだやっていた。ほんとに元気なじいさんだ
 フランソワさんの公演は、観客の子供をうまく使ってほほえましいものにしていた

 次の公演がマラソン最後。高足に乗って、身体全体を紫色に塗った男女2人がやって来て、音楽に合わせてパフォーマンスをする
 最初、観客に高足に乗ったまま懐から出した何かの種みたいなものを一掴みずつ与える。
 なんか神聖な感じ。舞台(といっても客と同じ高さだけど)の中央に炎が燃えていて、女性は紐の先にボールが付いたものを両手に持ち、男性の方は長い棒の両端に油のような燃えるものを染み込ませた黒い物体がついているものを一本持っている。
 女性、男性、それぞれ持っているものを振り回したりしてもてあそぶ。もちろん舞台中を歩きながら。
 しばらくして、女性の方がボールに火をつける。そして振り回す。腰ミノに火が燃え移りそうで危ない危ない
 またしばらくして、女性の燃えているボールから男性の持っている棒の両端に火を移す。ここまでが引っ張る引っ張る。女の人のに火をつけるまでももったいぶるし、それから男の人の棒に火をつけるまでもすごい気を持たせる。
 でもその間も雰囲気でもっている。音楽と訓練された動きで魅せている

 話が前後するが、最後の公演になる前に少し間が開いた。その間、ピエロの格好をした司会者が間をもたせていた。スペイン語が解ればもっと楽しめたのになあ。でも解らなくても結構楽しめた。観客にリズムに合わせて拍手させたり、声を出させたり、観客を舞台に連れてきていじったり、面白かった

 そして演劇祭(マラソン)にもフィナーレが近付いてきた。日本を最初にして、参加した全ての国の人々が呼ばれる。そしてフィナーレ。

 終わってから、ミュージアムのテントの中で夕食会が開かれた。
 ギジェ氏の話の後、参加者が今日の感想を述べる。全部何言ってるんだかチンプンカンプンなのだが、一応拍手はする。
 日本勢は、みゆきさんが代表として感想を述べる

 ホテルに帰ってから、PM10時くらいにフォーラムチームとセロチームで酒盛り。トルティージャを頼む。飲み物は皆はビールだが、僕はペプシコーラ。最初「コカ」と頼んだら、肩のペプシマークを店員さんに見せられてしまった。ここはペプシコーラの店なのね。メキシコはどこもコカコーラばかりなんだと思っていた
 メキシコの食べ物は全部ウマイと感じるようになってきた

 ……で、今寝ようとしています。シャワーはホテルに帰ってからすぐ、こーたさんたちがソカロなどにメトロで遊びに行っている間に浴びてしまった
 そういえば、ギジェルモ氏と初対面のおばさんに、おばあさんの演技がとても良かったと言われた。うれしうれし

ごぶさたメキシコ日記~11/20(日)前半~

2006年04月04日 00時26分24秒 | メキシコ日記
 昨晩も日記書いてて寝るのが遅かったけど、今日の目覚めはスッキリ よく眠れた
 今日起きたのは8時。8時半に皆で朝食を食べようという約束だったので。
 でも8時過ぎに電話がかかってきて、その約束はなしにしましょうということになった。眠いのね。
 それでも8時半くらいに阿部さんと1階の食堂に朝食を食べに行った。よく分からないまま適当に注文して、出てきたのがコーヒーとパンと卵料理とパンにつけるらしきソース。ちょっと少ないかなと思ったけど、食べ終えたら結構お腹一杯になった。
 今、日本に帰り、この日記を書いている今、このホテルで毎朝出てきた食事がとても恋しい。また食べたいな。というか今食べたい。今から考えると美味しかったなと思う。
 1回9時くらいにもうバスが来て出発するらしいという情報が流れてきて、急いでジュースを飲み、コーヒーを残して出発の用意を整えた。しかし後から、もっとゆっくり朝食食べていいよ、待ってるから、みたいな事をバスの運転手さんが言っているという情報が再び流れた。メキシコに来てから振り回されっぱなしだ。(笑)
 結局10時くらいにバスが出発するということで、その前に阿部さんと近所を散策した。阿部さん、出店で手回しの8ミリカメラを買う。積極性にびっくり。
 戻ったら、もうバスが出発する直前で、焦って乗り込む。行き先はギジェ氏の事務所兼ミュージアム。近くに今日のマラソン演劇祭(出場グループが連続して次々と公演を行うもの)のステージがある。
 ミュージアムの中庭でフォーラムシアターの練習開始。みゆきさんの指導のお陰で、やっとスペイン語もサマになってきた
 演劇祭始まる。一番手は日本のヒストリー組。しかしフォーラム組にはそれを悠長に観ている余裕などなく、ミュージアムの中庭で練習練習。
 しばらくしてヒストリーが終わったらしく、皆が戻ってくる。そして十川さんがフォーラムの練習に加わる。
 それからいくらか練習して、こーたさんが今4番目ののぞみさんがやってるからそろそろだよ、と伝えてくれた(フォーラムは6番目)。
 若干緊張しながらステージに向かう
 司会者が、日本のフォーラムシアター組の紹介をする。
 みゆきさんがハイテンションで、もっと前に来て、こっち来て、とか言って客の配置を誘導し、フォーラムを始める為の体制を整える
 入場。みゆきさんが役者一人一人の説明と紹介をする。
 公演開始。なるべく大きな声で台詞を読んだ。受けを狙っているところで、観客から笑いが起こる。
 公演終了。みゆきさんが再び全員の紹介をする。それぞれがポーズをとり、再び客に笑いが。
 多分公演は成功。手応えアリ。終えたメンバーには笑顔が。

 しかしその次の次の順番は日本のセロ・ウワチパ。僕も出るのだ。
 柱の後ろで急いで着替える。木の格好はマスクをしていて目立つので、ステージの裏の方に隠れていたが、時々人が通って不思議な顔(もしくは面白そうな顔)して僕を見るので無視するわけにもいかず、困った。一応「オラ!」とか挨拶しておいた。
 セロ・ウワチパの公演開始。ネタが次々決まって客の反応はとてもいい感じ。ひとネタ飛ばしてしまったり、ラストのシーンが音楽でなくてカットになったり、色々アクシデントはあったが、観客は大満足な感じ。大成功
 tacaさんの話によると、日本勢の公演は、他の参加者と比べてもお客の反応は良かったそうな。

(続く)

メキシコ日記~11/19(土)後半~

2006年03月20日 13時58分00秒 | メキシコ日記
 ステージの上に上がって、みんなはじけるはじける。観衆の拍手を受けて、ステージの後方に並んだ
 後ろには、風船でいろんなものを作るパフォーマーとか、マジシャンのおじいさん(74歳!)とかがいた。

 パレードが終わり、衣装も着替えて、今度は全員でバスに乗り、交流会の会場へ

◎交流会
 椅子を丸く囲んで中央に机を置き、その上にアルコールとおつまみを並べる。日本から持ってきた泡盛とか、お酒を皆に振舞うため、テーブルの上に置く。ジュースもある(僕はこれオンリー)。お酒はテキーラが多かった。やっぱりメキシコ
 「サルー」で乾杯。談笑。マイクでいろんな人やピエロが何か喋っているが全然解らない
 しばらくして、JAPANチームの一人一人をみゆきさんが呼んで紹介。それぞれ歓声に答える。
 またしばらく経って、団歌を歌うことになった。十川さんの努力が実った。形式はみんなでハミングして、みゆきさんがマイクで歌詞を読み上げる形。替え歌の時は他の国々の人々の反応もイマ一つだったが、みゆきさんの機転で「上を向いて歩こう」をオリジナルの歌詞で歌ったら、いっぺんに会場がノッてきた。最後に替え歌バージョンの最後の歌詞「エンカンタド ムチョグスト/エンカンタダ ムチョグスト/コンニチハ アリガトウ」を歌い終わったら大喝采。とても気持ちが良かったし、嬉しかった

 話は戻るが、パレードが終わった直後、僕の着けているおっぱいで反応してくれたメキシコ人のサルバドール(前に出てきた人とは別人)と友達になった。ふざけ合って、その様子が結構周りの人達にもウケていたようだった。
 他の女性達にも笑われていたので、「オーッホッホ……」と高飛車笑いしたら更にウケた

 再び話を戻す。
 交流会に来ていた子供達に日本語を教えた。みんな好奇心旺盛で、自分の名前を日本語のカタカナで書けるようになろうと必死になっていた。初心を思い出させてもらった
 あとドイツ人の男の人と友達になった。日本人は日本酒持ってきてるのになんでドイツ人はドイツビール持ってこないんだと榎本さんが言った人。結構ふざける人で、一緒に楽しめた。笑い合った
 フランス人のおじいさん・フランソワさんが元気 手品やるわ曲芸みたいのやるわ大声で叫ぶわ乾杯のおんどを色んな国の言葉で何度もやるわで、すごい。これで74歳
 でも一息ついて皆の様子を眺めていたら、こういうのいいなってしみじみ思ってしまった。平和が一番 笑顔が一番

 交流会も終わり、ホテルへの帰路につく。
 着いてもロビーには、今日来るこーたさん、セサルさん、阿部さんの姿はない。
 部屋に入り、よし、来ないうちにとシャワーを浴びた。その時気付いたが、シャンプーとボディーソープと洗顔石鹸をギジェルモ氏の家のバスルームの棚の上に忘れてきてしまった 大失敗 明日誰かに言って持ってきてもらおうか?
 シャワールームから出て歯磨きも済んでしばらく経ったら、こーたさんたちがやって来た。意外と長旅の疲れも見せず、元気
 それから皆で1階のバーに行って(僕は飲めないけど)ビールと食事をとろうということになった。
 僕はアメリカンコーヒーを頼んだ。充分に4杯注げる量が運ばれて来た。これで115円。安っ それからセサルさんの頼んだ料理をつまみ食い。ステーキとトルティージャ。美味いっ
 そして今、床につこうとしている。セサルさんのいびきは噂通り。眠れるかな。
 お休みなさい。

メキシコ日記~11/19(土)前半~

2006年03月17日 18時36分36秒 | メキシコ日記
 今日も8時半か9時位に起きて、朝食をとった。メニューは、葉っぱで包んだちまきみたいの(僕が食べたのはちょっと辛い味がした)と、パン。あとコーヒー
 初めてギジェ氏宅の屋上に行った。洗濯物が干してあって、こんな広い屋上があったのかという感じ。
 屋上の一角に部屋があって、洗濯機が置いてあった。ここで洗濯が出来たのだな
 たかさんが僕の起きる前に観光に出掛けたそうで、僕も一緒に行くと思っていたらしく、「ゴメン」と言って出掛けたらしい。あれ?昨日一緒には行けないといったはずなんだけどな。
 今日はやっと慣れ親しんできたギジェ氏宅を離れ、ホテルへ移動の日。ヒストリーの皆とたかさんとは今日でしばらくお別れ。まあ、演劇祭会場で会えるんだけどね。
 ギジェルモ氏の奥さん(チェラさん)と別れの挨拶をした。ハグして、「アスタプロント!」本当に優しくて、暖かい人だった
 ギジェ氏の運転で、10時過ぎ、フォーラム組はホテルへ向かう。荷物全て持っての大移動。浄水器が使えなくなるのがツライ。まーそんなこと何とでもなるか
 そういえばギジェ氏宅を出る直前に、コンビニで初めてヨーグルトドリンクを買って飲んだ。和重さんお薦め。美味しいけど、日本のよりだいぶ濃い。和重さんは飲み残しを水で洗って飲んでいたが、僕はそのまま容器を捨てた。
 ホテルに到着 街中の、小ぎれいなホテル。一泊5000円位(?)。でも4人部屋。夕方、こーたさんとセサルさんと阿部さんが来るまでは1人。のんびりくつろごっと
 そーいえば昨日、初めて団歌の練習をした。十川さんと原田さんが夜到着したのでそういう流れになった。ギジェルモ氏の息子さん(ダントンさん)に聞いてもらったが、「意味が解るところもある」ということだった。アクセントとか、メロディーに合ってるかとか、意味が解ってもらうようになるまでには問題が多そう。(泣)……。
 茂子さんから、メロディーをバックでラララ……と口ずさんで、歌詞をラップ調に読んだらどうかという案が出た。悪くないかもと思う

 12時頃、茂子さん、原田さん、みゆきさんのフォーラム女性陣が、演劇祭のパレードに出掛ける時間だと声を掛けに来てくれた。
 1階のロビーで会場までのバスを待っていると、ピエロのメイク・服装をした父子(多分)が現れた。面白くて、可愛かった。きっと彼らもパレードの参加者なのだろう。僕はおばあちゃんの格好をして、「木」の傘をさすつもり。

 メキシコシティの道路はいつも渋滞。昨日は金曜日で夕立だったから余計ひどかったが、今日も車は多い。で、クラクションの嵐。プーッ、プップッ……

 バスでまず、ギジェルモ氏の事務所に到着。そこで、メキシコの地に於いて初めてフォーラムの稽古
 最初はボロボロだった(スペイン語が読めない!)が、ブレスの場所とかをみゆきさんに教えてもらって調子が出てきた。皆にも「別人になった」と言われた。茂子さんには「最初からやれ」と言われちゃったけど(笑)。
 台詞を全部スペイン語でやると決まってどうなることかと思ったけど、台詞を削ったり、日本語で読む部分を作ったりして、何とか形になってきた
 ギジェルモ氏の事務所、というかミュージアムで、遅いお昼(おやつ?)を食べさせてもらった。メニューは、パンとジュースと、あと色々。スープみたいの(忘れた)。

 それでいよいよパレード開始。僕はおばあさんの衣装に、ナウフラゴスの木の傘を持って歩くことに
 皆に見せたら大ウケで、おっぱいも作ろうということになって、榎本さんのマフラーと軍手と福原の軍手でおっぱいを作った。かなりセクシーなばばあになった
 福原は背広にちょんまげのカツラをかぶってサングラス。かなり怪しかった。榎本さんは新撰組みたいなキチンとした和服に、扇子を帯にはさんでいた。これは沖田総司みたいできまっていた。成沢さんと和重さんは、和服で、へいらっしゃいみたいな古い前掛けを帯びていた。こちらもいい形になっていたと思う。日本らしくて。あとの人はみゆきさんが目だけ隠す紙製のマスクをかぶっていたくらいで、普通の格好か衣装
 パレードが始まると、みんな掛け声で「ハッポン、ワッショイ」などと踊りながら歩いて、かなりアホなパレードとなった。でも楽しかった。
 他の国々の人たちも、ピエロの格好をしていたり、お揃いの緑の服を着てプラカードと横断幕を持っていたり、紫の色を全身に塗って高足を履いていたりして、かなりにぎやかな、個性に富んだパレードとなった
 パレードの最後に、会場の真ん中にあるステージに上がり、ギジェルモ氏に紹介を受けた

(続く)

メキシコ日記~11/18(金)後半~

2006年03月14日 11時03分23秒 | メキシコ日記
 ワークショップ終了し(案の定テープはワークショップの最中に切れた。もうテープはない。阿部さん待ち)、車でみゆきさんを聞き書きワークショップ会場へと送る。お疲れ様です
 その後、車が立ち寄ったのは何故かギジェルモ氏のオフィス。入ると中庭にコンサート用のステージと客席が設置されていて、その横に遅い昼食(おやつ)の用意が 鶏肉を煮たのとか、生野菜(ブロッコリー・ニンジンなど)、パン、マカロニなどがメニュー。茂子さんは「不味い」と言っていたが、僕はそれほどでもなく、普通に食べられた
 車両を替え、今度は十川さんと原田さんを空港に迎えに。しかし途中すごい渋滞で、空港に着いたのが予定の45分以上遅れ。しかし幸運にも原田さんがすぐに見付かり、十川さんも後から合流してきた
 ギジェルモ氏宅への帰路もすごい渋滞。交差点では車が有り得ない方向から走ってきて、クラクションの嵐。何度か車がぶつかってきそうになりながらも(かなり怖かった。笑ってしまうくらい怖かった。すごい迫力(苦笑)。ユニバーサルスタジオみたい)、何とか突破し、帰路へ。
 だがしかし、細かい裏道を何度も通ったせいか、単に道を迷ったのか(今まで初めて通る道を何度も通った)、ギジェルモ氏の家に着くまで今までは考えられない位ものすごい時間がかかってしまって、帰ってから疲れ切ってしまった
 帰って、少しビールの買い出しに。コンビニへ出かけ、帰ると夕食の支度が整っていた。クリームソースにチーズの風味のついた料理がとても美味しかった
 フランス人の74歳のおじいさん・フランソワさん(やっぱりこの人もギジェ氏の家にホームステイしている)が、紫大根と呼べるような野菜をブロックにして皆に分けてくれた。外の見てくれはまるでナス。中は白。食べてみるとすごくカライ大根の味がした。水なしでは食べられない
 夕食を食べ終えたあたりで、ギジェルモ氏の息子さん(ダントンさん)(多分)がやって来て、ダンスパーティーに行こうと迎えにやって来た。そういえば僕も朝、誘われたのだった。その時は断ったけど、それはやっぱり正解で、その時、行く気力は全くなかった
 洋服のまま布団に寝転び()、もう何もする気力なしという感じで仮眠をとっていたら、ダンスパーティーに行ったはずの福原がもう帰って来た。もう終わったのかと聞くと、「今日は中止になりました」とのこと。なんだ
 そのまま歯磨いて薬飲んで寝ます。今日も現在午前3時半。
 おやすみなさーい。……
P.S.そういえばコンビニに買い出しに行く時、遅れてギジェ氏宅を出たので追い付こうと走ったら、皆に走って逃げられた。ヒドイ(笑)

メキシコ日記~11/18(金)前半~

2006年03月12日 08時19分15秒 | メキシコ日記
 そういえば、メキシコはサボテンとポンチョの国という先入観があったが、来てみたらそんなもの全然ないじゃんというツッコミが某女性からあった。砂漠があるのはもっと北の方と、また別の女性からの言葉。
 こっちに来てからまだ泥棒とか強盗の類に合う素振りもないので、「スペイン=泥棒の国」という図式は、僕の頭の中から消えつつある。
 今日はようやく時差ボケが捕れてきたのか、8~9時ごろに目覚め、皆で朝食を食べた。メニューは、榎本さんとたかさんが買ってきた、イモをすりつぶしたのを固めたような棒状の料理2種類(味はカレーにそっくりなのと、マイルドなクリームスープのような味)と、鶏肉と野菜のスープ(これが美味しかった ちょっと生姜風味で、醤油の日本の味に近かった)、パンにそれからパンに塗るもの数種類。パンに塗るのは、チョコレートの味と、キャラメルを溶かした(ハチミツ?)ようなのを食べたが、どちらもそれほど甘過ぎず、美味しかった
 只今11時。まだ時間に余裕ある

 しかしどーもこの、家の中も靴を履くという習慣に馴染めない。どうしてもベッドから降りた後とか、裸足で歩いてしまうし、逆に布団の端を靴で踏んだりしてしまう。不衛生だ

 これから茂子さんのワークショップに出掛ける。参加できるというので、楽しみ楽しみ
 メキシコの家って、カラフル。ピンクとかブルーとか黄色とか様々な色でペインティングしてある。壁はコンクリ?とにかく何か塗ってある。
 メイン通り沿いには近代的な建物もたくさんある。思ったよりメキシコはずっと近代的
 車で信号待ちしてる間、車の間を縫って物売りの人が何かを売りに歩き回る。びっくり。危なくないのかな?
 また、この国のバスは乗降口を開けたままで走る走る……。時々乗客が自ら閉める。なんだかなー
 この国は車もカラフル。TAXIはグリーン、他の車も白、ブルー……他、鮮やかな色が目立つ。乗用車は日本と同じだけど。

 2回目の茂子さんワークショップ。今回は僕とたかさんも参加
 ビデオカメラを教室の端に設置する。今日はこの場所で据え置き撮影
 今日は、足と腰のツボの講座
 足の指の骨の付け根(隣の指の骨との結合部分)あたりがツボになるらしい。肝臓や膀胱などに良い刺激を与えるツボを教わった
 腰は、肩を固定して腰をひねらせてあげるストレッチ(?)を習った。
 それから身体の調子が悪い人を対象に、お灸をすえる場面もあった
 腰のストレッチは、あと、膝を持って胸までつくように丸まらせて押してあげる運動も行った。
 そして最後に腰の左右を持ってブランブラン揺らしてあげる運動で締め。
 後は全身をリラックスさせる運動と(肩から先の力を抜く。で、ブランブランさせる)、丹田を意識してきれいな姿勢で立つ練習。お腹の前の部分を前に出して、お尻を引いて立つ。
 それで、その姿勢のまま「しこ」を踏み、その後、正座して皆でお辞儀をしながら「ありがとうございました」と合唱し、終了。(参加者は、「ありがとう」の発音はできても、「ございました」の発音に苦しんでいた)
 今日の参加者は7名に増加。また、皆、昨日よりも早くに来た。どうやら前日参加者の口コミで広まったらしい。

(続く)

メキシコ日記・その13~11/17(木)・後半~

2006年03月11日 12時48分41秒 | メキシコ日記
(続き)

 次の場所は、聞き書きワークショップ会場。入ると、つなぎの遊びをやっていた(だるまさんが転んだとか。よくあの人数で、あの狭い教室の中でやったと思う。でも、皆楽しそうだった)。
 しばらくそれをやって、前日の「振り返り」の時間になった。質疑応答含む。ここで今日2度目の訳者・みゆきさん登場~~。本当にお疲れ様です。この会場に来る前に、疲れてくると言葉がすぐに出てこなくなると言っていた。みゆきさんなしでは、今回のメキシコ演劇祭参加はありえません。本当にありがとう
 質疑応答が終わり(この聞き書きは役者になるために必要か、とか質問されていた。女優の茂子さん曰く「役者になる為には聞き書きは全く訓練しなかった。しかし、この方法はとても大切だ」ということだった)、実際の聞き書きが形になった公演をビデオで鑑賞。ここでもみゆきさんの翻訳が入る
 ビデオ鑑賞が終わると、実際聞き書きを行う段階に入る。皆、自分の宝物を持ってきて、その自分との歴史(思い入れ)について話し、もう一方は言葉を書きとる。15分で交代。2人ずつ組になる。
 ここで榎本さんの誘いにより、僕とたかさんも聞き書きワークショップに参加することになる
 僕はメキシコに来て買った炭酸水について、和重さんに語った。ちなみに和重さんが話したのは、8mmビデオカメラについて。阿部さんからの影響で始めた、という事。
 結局、ワークショップ僕らも最後まで参加した
 そうそう、驚いたのが、参加者の高校生たちの中にカップルが1組いて、隣同士で、ワークショップ中もずっとハグしたりキスしたりしてるの わーこれがこの国では普通なんだなー。日本もこれ位オープンになると楽だなーと思った
 終了後、車が来るまでしばらく待って、参加者たちをほぼ全員見送り(握手、ハグ、挨拶)、その後でギジェルモ氏宅への帰路につく。
 おっとその前に今晩のお好み焼き・餃子パーティー(結局そばは作らなかった)に参加するのぞみさんを車で拾う。
 前日の2度の転倒で、膝のじん帯を痛めてしまったというのぞみさん。今日は1日部屋で動かないでいたそう。のぞみさんのワークショップは全日程終了していたが、まだ公演本番がある。のぞみさんは、「やるかやらないかだ」と言う。心配
 ギジェ氏の家に着くと、そこには何人もの知らない外人さん(日本人も1人混じっていた)が 皆、多分演劇祭に参加するのだろう。今晩のパーティーにやって来たのだった。
 急いで調理にとりかかるJAPAN組。成沢さん、和重さん、福原が餃子の皮をのばし、僕とタケさんが肉を皮で包む。あとはお好み焼きチームと、和重さんの提案で始まった、ギョーザ用の肉で作ったギョーザ照り焼きハンバーグチーム
 かなり長い間何も食べずに作って他の皆さんに振舞っていたが、味は好評 最後になって食べてみたが、意外と美味かった。お好み焼きは特に。そういえば、照り焼きハンバーグの味は永遠に謎にままになってしまったな……
 食事とその後のお喋りも終わり。僕は早々にシャワーを浴びに2階に
 その後、寝る前の身支度を終えて、下に降りて成沢さんに話を聞くと、あさってから僕らフォーラム・シアター組はホテルに移動するらしいことが分かった
 明日来る十川さんと原田さんは、1回のリビングのソファーをベッドにして、一夜を明かすことになったらしい。
 で、寝ます。あ、もう午前3時半。
 以上

P.S. メキシコは今乾期で、すぐ喉がカラカラになってしまう。水は手離せない。  だから宝物