おっちーの鉛筆カミカミ

演劇モノづくり大好きおっちーのブログです
いろいろ活動してます
そのうち、みなさんにお目にかかれたらうれしいです

獅子舞

2008年01月31日 22時30分42秒 | 文章塾
 …この舞台の題名は『獅子舞』。「失われた日本の正月を取り戻す」というテーマだ。
 俺は獅子舞になっていた。踊る踊る。たった1人で。
 照明も音響もわからない。台詞もわからない。舞台の上に、俺がただ独り。舞台と客席。客が居るかも判らない。
 …おどる、おどる…


 某大学の演劇部、専用の稽古場兼劇場―

「お前らこの忙しいのに花火なんか見てんなよ!」
「だってニューイヤーだよ。ね、部長も一緒に花火見よ」
「そんな余裕全然ないだろ! 明日…てかもう今日だよ!今日の夜が本番なんだぞ!」

  ひゅう~~っぱーん

 あと19時間しかない。それで舞台組んで照明吊って、進行プランも確認しなきゃならない。
 何故こうなったかって? 脚本担当の部員が書く戯曲の完成が大幅に遅れたのだ。今の今まで稽古だった。
 しかし彼は責められない。年末は補習と追試を乗り切るので精一杯だったらしいから。
 台本が出来て、徹夜で稽古して何とか形になった。みんな頑張ったと思う。だが稽古から開放された途端、この体たらく。
「仕込みって嫌いなんだよねえ」
 皆が言う。全く、緊張感のない…誰だこんな時期に公演やろうなんて言い出したのは。…俺か。
 仕方ない…俺は1人で舞台を組み始めた。今晩も徹夜かな…

 釘を叩いていると、突然獅子舞が現われた。俺は大して驚かない。今回の小道具だ。誰かの悪戯だ。
「おい」
 俺が言うと、誰かに肩を後から押された。よろける。そこに獅子舞が頭を噛みついた。
「ぎゃっ」
 叫ぶと、意識が急速に遠のいた…


「部長、初日の出すごいよ!」
 …ハッ?
 劇場の外から皆が呼んでいる。
 仕込みはどうなった? 本番は間に合うのか?
「部長頑張ったじゃん」
 何を頑張ったというのだろう。俺は、お前らは今まで何を…
「ほらっ」
 腕を引っ張られる。無理やり外に引きずり出される。
 夜の帳はゆっくりと引き上げられ、現れる紫色の垂れ幕。そして一点の光。
「…」
 俺は何も言葉を吐くことなく、ただ昇ってくる朝日を見詰めた。



 第21回「文章塾という踊り場」投稿作品です。
 お題は「お正月らしい、お正月を感じさせる作品」。
 この作品に対する文章塾生の方々のコメント、それに対する僕の返信はこちらから。
 ではでは。

第二章 磯野慎平~傘もささずに

2008年01月31日 10時44分32秒 | 戯曲・戯小説『ONE EYES』
 俺は雨降る中、傘をさして町の掲示板を眺めていた。
 そこには「絵画コンクール」のポスターが貼ってある。
 俺はそれに興味を惹かれていた。
 「絵を自分で描いてみたい」 他人の描いた絵を見続けるうちに、その欲望は自分の中でどんどん大きくなってきていた。

慎平「コンクールかあ…」

 もし自分がこのコンクールに絵を描いて出したとしても、結果は箸にも棒にもかからないことになるだろう。それはわかりきったことだ。
 しかしこれはいいきっかけなのかも知れない。この掲示板でこのポスターを俺が見つけたこと自体、運命―何か大きな力―に導かれたことなのだよ。…それは大袈裟かな。でもこんな雨の中、普段なら目に留めることもない掲示板に惹き付けられた…これは偶然だろうか?
 コンクールのポスターの隣には、「絵画教室」の宣伝が貼ってある。ここに入って絵を勉強して、コンクールに出せってことかあ? なんか意図が見え見えで、ここに入る気にはならない。

慎平「自力で描くか…」

 その時、背後に人間の気配を感じた。
 俺は振り向く。そこにはニヤニヤ笑う男が立っていた。傘はささずに、レインコートを着ている。顔はよく見えないが、歳の頃は俺とさほど変わらないように見える。
 不自然な笑顔、その口元に、虫唾が走る。
 俺は無視してその場を去ろうとする。

男「ちょっと待って」
慎平「…なんか用?」
男「キミ、絵を描くの?」
慎平「なんで?」
男「このポスターを熱心に見てたから」
慎平「…。まあ…な、これから描こうとしてるとこ」

 なんで俺はこんな男に自分の話をしているのだろう。とっととここから消え去りたい衝動に駆られる。

男「この絵画教室に入らない?」
慎平「はぁ?」
男「絵、好きなんでしょ? ならちゃんと習ったほうがいいよ」
慎平「余計なお世話です。俺用があるから」

 嘘をついた。本当は暇を持て余している。でも嘘なんかついて当然だ。

男「どうせ暇なんでしょ。教室って目の前だからさ。寄ってみるだけでも」

 そのとき、気が付いたことがあった。この声、チラッと見えた顔、風貌…この男は、この間美術館で絵に落書きして捕まった奴だ!! こんな所で遭うとは…
 男はまだ薄笑いを絶やさずに俺の方を見ている。
 こんな奴に時間を割くほど俺は暇ではない。雨も降っている。早く屋根のあるところに行こう。

慎平「俺忙しいんだ。じゃ」
女の声「将、さんっ!」

 突然声がしたので俺はそちらの方に顔を向けた。

男「あ? みどりか。傘もささないでなにやってるんだよ」
みどりと呼ばれた女「もう先生始めてるよ。早く中に入ろう」
将と呼ばれた男「ちょっと待ってよ。この人と話があるんだ」
みどり「?…お友達?」
将「そんなもんだ」

 あ!? なに言ってやがんだこいつ。俺とお前がいつ友達になったんだ。
 俺は、この男の人を無視した勝手な言動に腹が立ってきた。もう今立ち去ろう。俺は黙って歩き出した。

みどり「ちょっと待ってよ。将さんのお友達でしょう? 気を使わないで。…いいわ。あなたも教室に入って」

 俺は思わずみどりとかいう女の顔を見た。
 丸っこい顔立ち…人なつっこい唇…少し濡れたショートボブの髪…
 意外と可愛い娘だな。ちょっとお友達になってみようか。

将「この人は教室に入学するんだ」
みどり「そうなんだ!? じゃあなおさら。どうぞこちらへ」
慎平「あ、ええ…」

 俺はそのみどりという女目当てに、その絵画教室に行くことになった。
 まあいっか。どうせ暇なんだし。この将って男はムカつくが、無視しときゃいいだろ。
 でも俺は、ここに入学するつもりはない。それだけははっきりしておく。この将って男が勝手に言ってるだけだ。

みどり「お名前なんていうんですか?」
慎平「慎平。」
みどり「あら、名字は?」
慎平「無い。いいから行くんならその教室に早く行こう。みどりちゃん風邪ひくよ」

 みどりはくすくす笑った。やっぱかわいいかも。

みどり「ご心配ありがとうございます。でも冗談ばっかり。いいですよー、教えたくないんなら。こっちからも訊きませんから」
将「みどり、慎平くんは僕の客だぞ」

 「慎平くん」!? 馴れ馴れしい。そして気持ち悪い。みどりちゃんがいなかったらぶん殴ってるところだ。

慎平「で、教室って何処にあるの、みどりちゃん?」
みどり「えっ? ここがそうですけど…」

 絵画教室は本当に掲示板の目の前にあった。正確に言うと、絵画教室のある建物の前に掲示板が立っているのだ。
 傘をたたんで、屋根のある建物の敷地内に入る。雨は止む素振りも見せていない。
 その建物はアパートのようだった。この中の一室を使って開いているらしい。
 建物は結構古い。

慎平「ボロい建物だねー」
みどり「そうなの。もうドアとか建て付け悪くなっちゃって。私力ないから時々開けるの大変なことがあるの」
慎平「ふうん」
将「…みどり、ほら」

 将はみどりにタオルをナップサックから出して渡した。

みどり「ありがとう…」

 みどりは渡されたタオルで、濡れた頭と顔を拭き始めた。

慎平「アンタ、用意いいな」

 将は不気味に(俺にはそう見えた)微笑んだ。
 そして、俺とみどりちゃん、それからどーでもいい将って奴の三人は、絵画教室の古いドアを開け、中へと入った。

ちょっとしたことだけど、本人にとっては重大なことの始まり。

2008年01月30日 22時01分44秒 | 日々つれづれ
 ついに花粉の季節がやってきました。(ToT)
 今日、今年初めて鼻水とくしゃみがでました。
 嫌な季節の始まりだあ。

 花粉さえなければ、春って一番好きな季節かもしれないのにねえ。

 母のお見舞いの帰りにさっそく薬を買って、飲んだら少し治まった。
 こういう風にいつも薬が効いてくれればいいんだけどねえ。
 本格的に花粉の季節が始まったら、こんなもんじゃないんだろうな。
 薬なんていくら飲んでも効かないんだろうな。

 今年は去年の花粉の量の三倍飛ぶのだという情報を、叔父から聞きました。
 去年はけっこう薬が効いて、症状はそれほどでもなったような気がしたから、…そうかあ、三倍かあ…。
 気が重いです。怖いです。

 会社勤めになって初めての花粉の季節。
 大変だろうけど乗り切んなきゃな。

 頑張りまーす。
 ではでは。

近年のTUBEについて考えたとき―多くの人が一つのものを創るということとは?―僕の拙い演劇論。

2008年01月27日 20時56分37秒 | コラム・批評・エッセイ
 野田秀樹という方がいます。
 この方について、「野田秀樹は理想だよねー」と僕の演劇仲間が話していたことがありました。
 その話に僕も基本的に賛成です。
 では、野田秀樹さんは、どういう具合に「理想」なのか。
 「演劇」という多人数の人間が関わってひとつのものを創る、その場所を作るやり方が彼は非常にうまいのです。
 それでは場所の空気とは、どのように作られるものなのでしょうか。
 やはり、そこを司る一人のひとが作る比重が非常に重いのがほとんどの場合です。
 野田秀樹さんは、場を「乱す」のがうまいのです。
 彼は自分から率先して、現場で「遊び」ます。そこを司る「長」でありながら、自ら遊び回ってしまうのです。
 その場にいる役者(スタッフも?)たちはそれを見て自分も努力して遊ぼうとします。そしてだんだん楽しくなってきて、「遊ぶ」ということの本当の意味を身を持って感じ取るのだと思います。
 遊びを観せるのは勇気が要ります。
 真面目な方が、批判を受けにくいからです。
 演劇は、遊ばないと面白くありません。できた結果として、それを観にきた観客も一緒になって遊んだ気分になるというのが、理想です。

 僕の過去の話をします。
 僕は、休学2年を合わせて9年間、大学に在籍しました。
 その間ずっと演劇をやっていたわけではない―最後の二年半くらいは、病気のリハビリをしながら授業に通っていた―のですが、かなり濃い演劇経験を積ませていただきました。
 そこで学んだこと。
 自ら率先して動くことは大切です。
 そして、「下の者」のやっていることに自分から「入り込む」ことも重要なことだと思っています。
 仕事という名を借りて、一緒に「遊んで」しまうのです。
 そうすると、みなが生き生きとしてきます。自らの意思で考え、アイデアを出し、成し遂げる楽しさを得るために頑張ります。
 これは演劇の世界に限ったことではとどまらない話のようにも思えます。
 一つ言えるのは、人は周りを見ながら、自分の行動を選択していく、ということです。
 人はとりあえずとして、自分の「上」に当たる人の行動をまねしようとします。だからいちばん「上」の人間はそれらの焦点になるわけで、その行動が注目されるもの―重要なもの―になるわけです。リーダーの存在いかんで、そのチームが成功するかどうかを左右しかねないのです。
 それは形の上での「トップ」だけを頂点とするという意味を持ちません。
 みなが一目置く存在であれば、それは大きなものになるわけです。
 人間の集まりですから、その形成にはいろんな経緯があるでしょう。
 それでいいのです。ひとのやること。それに王道はありません。
 戦って戦って、楽しんで、苦しんで、泣いて、笑って、少しずつ、獲得し続けるものです。
 失うこともあるでしょう。けれども本当に失ってはいません。人間は偉大です。ひとは皆神なのかもしれません。素直になれば。
 もう一度言います。人は獲得し続けると思います。

 今日はありがとうございました。
 これからもよろしくお願いします。
 ではでは。

第一章 磯野慎平~出逢って初めて

2008年01月25日 00時00分09秒 | 戯曲・戯小説『ONE EYES』
 時は今から十年と少し前の日本、場所は地方のとある田舎町。その町にある美術館から物語は始まる。

 俺は慎平。俺の趣味はいろいろあるが、その中でも最近は美術館で絵を見るのがマイブームだ。
 もっとも俺の住んでいる町はとても小さいので、美術館は一つしかない。そこは、駅から歩いて十分くらいのところにある。
 絵に興味を持ち始めたのは、ここ半年くらいのことだ。
 中学に入って最初の三ヶ月くらい絵画部に入っていたことがある。話は逸れるがその絵画部はすぐに辞めて、陸上部に移籍した。やっぱり俺は、身体を動かす部活の方が性に合っていると当時は思った。それから中学高校で約六年間、陸上をやっていた。種目は中距離だ。風を切ってローラースケートで滑るように走る。走っている時は気分がいい。そして走り終わって飲むスポーツドリンクがやたらと旨い。ほてった身体をグラウンドに横たわらせると、一面の空が目に入る。気持ちいい。
 今は大学生になっていて陸上は引退した。アルバイトがない日は、こうやって半日以上プラプラしている。
 そうこうしているうちに、前に少しだけかじった「絵」というものへの興味が再び湧き出てきた。どこから出てきたのかわからない。今は自分で絵を描くことはないが、他の人たちの描いた絵を見るのが楽しい。
 そういうわけで今日も美術館にきている。
 なんでも一年前に東京で募集された絵画コンクールの入選作品を展示してあるということだ。
 絵はそれぞれバライティに富んでいて、観ていて楽しい。素人が描いたものという感じはしない。むしろ何人かのアーティストに絞っているいつもの展示より束縛がなくて、それぞれが自由に描いたものという印象があり、それが面白い。

慎平(これが大賞をとった絵か…)

 大賞受賞作品の前にきた。平日なのでここにもほとんど人がいない。ここから見える範囲に二人、警備員が立っているだけだ。警備員…今日は楽な仕事だけど、かえって暇でツラいかもな。
 しかしその警備員の安息を打ち破る事件が、これから起きる。

 俺はその受賞作品に魅入られていた。はっきり言って俺にはこの絵が本来なにを表現したくて描かれたものなのかは全くわらない。
 しかしその絵には、パワーがあった。ここから抜け出したい、自分はこんなもんじゃない、カラを打ち破ろうとする力と意思が、この絵から俺には感じられた。

慎平(大したもんだな…それにしてもこんな絵を描くのってどんなヤツなんだろう?)

 爺さんさんか?…そんな感じじゃないな。もっと若い。
 じゃあこの鬱屈したエネルギーは若者?いや、タッチが大人びている…
 そうか!四、五十代の中年だ!この絵からにじみ出てくる力感は、現代社会に虐げられて、押さえ込まれているストレスが昇華したものに違いない。
 そうか大変なんだなあ……芸術家も楽じゃない。人より繊細な感性を持ち合わせている分、きっと現実社会を生き抜くには人より大きな労力を要するのだ。

慎平「かわいそうに…」

 俺は知らないうちにそう呟いていた。
 事件はその次の瞬間に起きた。
 その男は、いつの間にか俺の後ろで同じ絵をしばらく眺めていたらしい。
 そいつは絵の方に近付くと、俺と絵の間にスッと滑り込んできた。

慎平「!?」

 その男は突然どこからかペンのようなものを取り出し、大賞受賞作にガリガリと落書きを始めたではないか! 俺は驚いて何も出来ない。
 当然男の行動に気付いた警備員が驚きながら駆けつけてくる。

警備員「何をしているんですか!?」

 もう一人の警備員も男を取り押さえにやってくる。

男「!!」

 男は二人の警備員に羽交い絞めにされ、動きを抑え付けられた。

男「!!!」

 男は無言のまま抵抗する。しかし二人の男の力にはかなわない。

警備員「なんてことを! 手に持っているものを離しなさい!」
男「嫌だ!」

 俺はこのとき男の声を初めて聞いた。不思議と以前聞いたことのある声のような気がした。まだ声変わり前の少年のような声。小学校の頃の友達の声だろうか、それとも中学? とにかく濁りのない、けれども良く響く声。
 男はひとしきり暴れたあと、諦めたのか、身体の力が抜けたようだ。無理やり開かれた手の平から、ペンが床にカシャッと落ちる。
 男はうなだれている。

警備員「話を聞きます。警備室まで来なさい」
男「…何ひとつ、僕の思い通りになるものはないんだな…」

 俺はその男の小さなささやきを聞き逃さなかった。
 男は、二人の警備員に両腕を抱えられながら、その場を去った。
 俺はただ一人、その場に残された。

慎平「帰るか…」

 俺は、残りの作品を眺めることなく、その美術館を後にした。本音を言うと少しは観ようとしたのだが、全く頭に入ってこなくて、それ以上観るのを諦めたのだ。
 梅雨の始まりだ…美術館を出ると雨が降り出していた。ジャケットのフードを被り、俺は小走りで家路を急いだ。走れば十五分程で着くが…傘をコンビニで買っていくか。
 傘をさして道を歩く。ボツボツと傘に雨が当たって音がする。雨粒が大きいのだ。本降りだ。いよいよ、家に着くのが待ち遠しくなった。早く帰りたい。家の中に入りたい。温かいコーヒーが飲みたい。
 梅雨の始まりは、春の終わり。まだその日の空気は冷たかった。



 『ONE EYES』ようやく第一章、物語の始まりです。
 例によってこの作品は、文章塾のWAの方にもアップしてありますのでそちらもどうぞ。
 なるべく沢山の方々に触れていただきたいのです( ̄ー ̄@
 それではでは。

地球と月の間で立っている。

2008年01月23日 20時57分41秒 | ニュース・報告
 どーもすんまそん。
 おっしょさんの太極拳講座はもちろん参加してきました。
 ところが僕、きちんと体で理解したことじゃないと記事には書けない気がしていたんですね。
 それでまだ理解はし切れていない。まだ1回目。当たり前ですが。
 だからすぐにはレポートを書けなかったんですが、気にしてくださる方もいらっしゃるようなので、ちょっと無理して書けることだけ書いてみようと思います。

 とりあえず、世界には4つの力があると、おっしょさんは言われました。
 それは、大きい力、小さい力、電磁気力、重力(引力)です。
 これは僕もどこかで聞いたことがあった。(もしかしたら間違って書いてるかもしれないが)
 そしてこれがまさに「太極」だとおっしょさんは言われました。(ここのところ僕はまだよく理解していない)
 まずは重力を感じる身体になること、なんだそうです。
 太極拳には「柔」と「剛」があり、柔の極意こそ、重力を感じられるようになることなんだそうです。
 今回はまず「柔」から入りました。
 とりあえずひたすら脱力~。
 神経って身体の前面ばかり敏感になってるじゃないですか。目も鼻も前についてるし、耳だってそう。
 脱力することで、背面の神経にも脳の伝達物質が行き渡るようになっていくんだそうです。
 ピンと立っていた背骨の力を抜き、頭もだらんと垂れ下がる感じ。
 腕も、足も脱力~。
 指先は指の間に水掻きが張ってる感じにして、基本的に指はまっすぐ。で、力は抜きまーす。
 脱力したら身体全体を揺らします。これ重要らしい。ぶらんだらん。
 それをひたすら続けた後で、「歩き」ました。
 場内をぐるぐると。
 もちろん普通の歩き方ではなく、太極拳のエッセンスが入った歩き方で歩くんですが、そのやり方は秘密にしておきます(^-^)。
 今気づいたんですが、あんまり内容をここで発表したら、営業妨害になっちゃうもんね。自粛自粛。
 で、その後まだ時間があったので、少し「剛」の部分をかじらせていただきました。
 まず筋トレ!…腕立てです。
 僕苦手なのに…こんなこともやるんだあ~?
 速攻肩が、腹筋が筋肉痛になって、腕が上がらなくなりました。(笑)
 その後は少し型をやってみました。
 おっしょさんを見よう見真似。
 でも去年の末に初めてやったときよりはサマになってる!?
 おっしょさんの醸し出す空気に乗っかって動いてる感じ。結構自然に身体が動く瞬間があった。
 以上で終了~。

 昨日おっしょさんからメールがあって、太極拳の極意の一部分がいろいろと書いてありました。
 この記事はそのメールも参考にしつつ書かせていただきました。おっしょさんありがとうございまーす。
 でもこれからはあんまりその内容を載せるのもやめておきますね。
 知りたい方はおっしょさんから直接聞きましょう。
 関東圏外の方々は残念でした~。

 ではでは。

最近なんだか忙しい。

2008年01月19日 00時30分54秒 | 日々つれづれ
 どうしてか分からないのですが、去年の年末から、ずっと慌ただしいのです。
 病気をする前の、7年前、一番忙しかった頃に匹敵するくらい毎日忙しい。

 こういうとき怖いのは自分を見失うことです。
 7年前は、いろんなことがゴチャゴチャになって、自分も周りのことも冷静に見る部分を失って、本当にいろいろ見失って、結局現実世界に持っていたすべてのものを失いました。
 それからここまで復帰するのに7年もかかった。
 長い道のりでした。

 でも今はまた忙しくなって、精神状態がその頃に近付いてきているような恐怖を感じています。精神の…頭の回転が速くなってきているのです。
 今度コケたら二度と立ち直れないでしょう。
 病院の先生もおっしゃっていました。
「2回目入院したら慢性化する、二度と治らない」
 それは僕にとってもんのすごい恐怖です。

 7年前と違って救いなのは、「仕事」という生活の柱を持っていることです。
 やはり、現実の社会と真剣な接点を持っているということは大切なことです。
 それが本当に救いです。
 そしてその仕事が、決してうまくいっていないという訳ではないということも、大きな救いです。自信になります。やりがいも生まれます。

 この記事は自分にとって、これからもやっていくための教訓的な意味を込めて、書いています。考えをまとめて、形にすることで頭に留めておこうとしているのです。一種の備忘録です。
 僕の「我がまま」に付き合っていただいてありがとうございます。
 この記事が皆さんにも何かの足しになったなら、とても幸いなことです。
 これからもよろしくお願いします。
 ではでは。おっちーでした。

P.S. 最近またハンドルネームを戻そうかと思案中です。病気する前の自分に戻りつつあるから。ケジメのひとつの形です。

今日思ったこと。

2008年01月16日 22時03分30秒 | 日々つれづれ
 今日は仕事でした。
 これから母の見舞いに行きます。

 今日、仕事で思うことがありました。
 言ってしまうと、仕事って面白い!ということです。
 上司の指示と僕のやっていたことにすれ違いがあったことがわかって、―要は僕の勉強不足なんですが―僕も少しは反省しました。なは。
 でもそれで勉強できたんですよね。いろいろと。それで面白いなあ、と。
 今まではよく理解できずにいた仕事や会社の複雑な仕組み…それが解きほぐれてきたのを実感しています。
 外からは複雑怪奇に見えて理解できない!と思っていたものが、実は単純な仕組みの集合体だとわかり、それを身体で理解できたときというのは、快感が走るものです。そんな感じ。
 またもう少しこの仕事を続けていたい、という気持ちが強まりました。 頑張りまーす。
 ではでは。(山、無し、落ち、無し、意味は?)



 上の記事は会社からの帰りに書いたものです。
 ケータイで書いたのでなんかしっくりこないかも。
 今日も一日面白かった。
 さあ明日も早い。早く風呂入って寝よ。

父親と言い争いをしました。

2008年01月15日 21時18分08秒 | 日々つれづれ
 それで1人で風呂に入って考え込んでいたら、ひとつ前の記事のようなものが出てきました。
 創作ってこういうんなあ。
 ただ生きてるだけです。
 それだけでいろいろ言いたくなります。
 これからもよろしう。
 んじゃ。(ギャグ無し)

66億5千万人66億5千万1脚(おおよそ)

2008年01月15日 21時11分30秒 | 小説・短編つれづれ
 僕らは皆、いえない傷かかえながら歩き続ける。
 いくら抱き締め合っても
 いくら語り合っても、
 いつまでも触れ合うことなく
 分かり合えることなく。

 薄くて硬いバリヤーの中
 いくらでもはしゃぎ合えるし、
 大笑いし合える。
 それでも僕らは独りなの?

 みんなで手を繋いで大きなジャンプをする。
 高く高く、
 深く、深く。
 そこに見える物
 遠ざかるもの 近付くもの
 みんなあるんでしょう?
 わかってるんだから
 ひとりでも それを信じて
 大きなジャンプをして。

近年のTUBEについて話し合った時考えた、どうすればいいものを創り続けられるのかということについて。

2008年01月14日 00時43分41秒 | コラム・批評・エッセイ
 結論から言うと、それは常日頃の心の向き、心掛けです。
 それがきちんと前を向いているか、上を目指しているか。…これは自戒を込めた発言になりますねえ。
 それから自分にとって新しいもの、面白いと思えるものを見つけ、吸収することも大切なことです。
 前回のコメントに、桑田圭祐うんぬんということを書きましたが、彼は「遊び」を忘れていないのだと思います。そんなに目に付いて新しいフィールドに飛び込んだり、冒険をしているようには僕には見えません。それでもファンに飽きられないものを提供し続けているというのは、きっと遊びに貪欲であること、好きなことに素直なこと、それをし続けているのだと思います。自分が面白がっていれば、ファンも付いて来るんですよ。
 僕は、自分が面白くもないのに、勉強のためだ、と思って経験することを良しとはしません。それはものすごく大雑把に言うと、時間の無駄だと思います。それは何故か。
 人は自分の興味を持っているものに接している時に、一番吸収する力を発揮します。集中力が持てるということです。
 こういうと当たり前なことなんですが、その事実を生かしていない人はものすごく多いとは思いませんか? 実際僕もそのひとりでした。けれども最近は、自分にとって為になるものを探すよりも、興味を惹かれる物を探します。興味を持ってそれに接せば、吸収できるものが多い、それはすなわち時間の短縮に繋がります。短い時間で、多くのことを勉強できるのです。その結果、多くのものが吸収できれば、思ってもいなかった部分―かつて自分が見に付けたいと思っていた他の分野―まで実際に身に付けることができるのです。
 付け加えておきますがもちろん、楽しむ、ということはとても生きていく上で大切なことです。そのためにも、ということです。
 人間元気でないと何もできません。そのためには、興味のあるもの、楽しませてくれるものにいつも触れていることです。

 それからもうひとつ、ここでは、いつだったかおさかさんがおっしゃっていた「業」という言葉を使います。
 少し厳しい言い方になりますが、人は、業をこなさねば生きていく資格がありません。
 それは物を創るということを生業とする人間にとっても同じことです。
 業を行うことをさぼっていては、天はいいものを創る資格を与えてくれないのです。
 これは難しい問題です。
 僕もかつて「ものを創る」ということ、それだけで生きていた時期がありました。けれども僕はその頃、業をこなすことを忘れていたのです。
 だからある時、破綻が起きました。それは取り返しのつかないことであるように、当時は思えました。
 けれども僕は現在、そこから復活しつつあります。それには7年以上という長い年月が必要でした。
 業をこなすからこそ心の中に生まれてくるものがあるし、意識しないうちに見えてくるものがあるのです。

 最後にもうひとつ、大切なことを書きます。
 それは謙虚になることです。これは決して言い古された訓示などではありません。僕の経験(まあ拙いものですが)から結論付けた、自分を良い状態に保っていくための知恵です。
 謙虚にならないと、物事を本当の意味で(身体全体で)吸収することが出来ません。それは物を創る人間にとって大変な損失です。
 やはり、ふんぞり返ってどっかと座ったままでは、いいものは創れないのです。頭を、足を、手を、体を使って快活に活動し続けなければならないのです。
 自分に自信を持つことは大切です。そうしないと作品に迷いが出ます。
 けれども自分はまだ知らないことが沢山ある、ということを忘れても、いい作品を創り続けることは難しいのです。

 とりあえずあまり長くなるのもどうかと思うので、今日はこのへんでお開きとします。
 次は「多くの人がひとつのものを創るということ…僕の拙い演劇論」と題してお送りします。よろしければまた懲りずにお越しください。それでは。

近年のTUBEについて。

2008年01月11日 23時53分40秒 | コラム・批評・エッセイ
 いやTUBEは好き…いや正確に言うと好きだった…昔のTUBEの曲は今も大好き…なんですけどね。今は…ねえ? どうでしょう?

 僕の伯父はプロのミュージシャンです。TUBEの所属している会社の社長と今も親交があります。
 それで先日、僕と伯父でTUBEに関して話し合う機会がありました。
 そこで出た話と、そこから僕が「ものを創る」ということに関して考えたこと…2つの話をここに記しておきたいと思います。

 伯父と話している時、僕は、例えばドリカムは今でもいい曲作り続けてる、何でだろうねー、とか、TUBEにはなんで最近これといった曲がないのかねー、とか話しました。
 きっと、TUBEのみなさんは幸せなんだと思うのです。そして、そこに安住してるんじゃないでしょうか。それは当たり前ですが、悪いことではありません。
 でも安住して、どっかと座りっぱなしじゃあ、いい作品を創り続けることはできないのも確かです。
 あ、でも付け加えておきますが、TUBEの最近の曲にいい曲がまったくないというわけではありませんよ。『Ding! Dong! Dang!』とか、大好きです。
 でも昔のTUBE…アルバム『湘南』・『納涼』・『浪漫の夏』・『終わらない夏に』の頃のTUBE…は本当にものすごく良かったですよ。アルバム中に素敵な曲がもう綺羅星のごとくありましたもの。
 今はいい曲、あって1、か2曲ですよね。
 なぜ今、こうなっているのか。

 最近の話ですが、僕はいい作品を作り続けるという問題を考える時、最初に思い浮かべる人がいます。それは DREAMS COME TRUE の吉田美和さんです。
 彼女はすごい! と思います。本当に。
 ただ彼女のような人生を送りたいか? というと少し躊躇してしまう自分がいます。それほど彼女の人生はハードなもののように思えるのです。
 しかし物創りをする人間としての彼女、アーティストとしての彼女は、ほぼパーフェクトだと最近では思っています。
 彼女は僕から見るに、情熱のかたまりのような方です。DREAMS COME TRUE 『朝がまた来る』という曲の歌詞の中に、こんなフレーズがあります。

「雨なら傘持って 晴れたら上着脱いで みんなそうして生きて行くのに
 雨に打たれたい 晴れたら焼かれたい」

 これが彼女の気質をすべて物語っていると、僕は考えます。
 彼女は、人生の激流をまともに受けながら、立ち向かって、それでも立ち上がって生きているのです。これはすごいことですよ。もしかしたら男性には出来ないことかもしれません。女性だから、出来る生き方なのかも、とこれを書いている今ふと思いました。まあとにかくすごい。
 こんな彼女が書く歌が、人を感動させないわけがありません。だって僕らの知りたい人生のドラマがそこにはつまりに詰まっているんですから。それが、生の魅力というものです。

 じゃあ物の創り手は、常に彼女のような波乱の人生を送らないといいものは創れないのか? ある意味それはイエスとも言えます。けれどもここで、僕は他の可能性もあると答えたい。
 じゃあそれは?…と、今日はここまで。続きは明日か、あさってか、とにかくまたの機会に…では。

検査結果。

2008年01月11日 10時47分44秒 | 日々つれづれ
 今日病院に行きました。
 それで先日行った血液検査の結果が出たのでご報告。

 かなり炎症はひどいようです。そりゃそうだろうなー 数値は通常のウン十倍っておっしゃってました。
 それで、今回の腸炎もウイルス性のものだったようです。
 そのウイルスの反応もかなり高いとおっしゃってました。

 食事は少しずつ、何回かに分けて食べるように言われました。
 やはり柔らかいものがいいそうです。

 こんなんでも午後から会社です。
 だいじょぶかなー?

こんなんでました~

2008年01月10日 23時43分25秒 | イラスト
 部屋を片付けていたら、昔に描いたこんなイラストが出てきました。たぶん、高校生くらいに描いたものです。
 アニメっぽい。でも柔らかい感じはいいな。
 今は薬飲んでるのでこんな絵は絶対描けないと思うが、いつかまた「今」描ける絵を書いて発表したいな。そのための、このカテゴリーです。

今年前半の予定~それからコマンタさんへ。

2008年01月10日 22時02分56秒 | ニュース・報告
 腸炎治りません。残念ながら。
 まだ下痢ぴーです。かれこれ丸4日間の下痢ぴー。長い…

 そんなことが治らずとも毎日は回転していくわけで、そろそろ今年前半の活動が出揃ってきました。

 まず!
 今年はおさかさんのところの(という書き方は誤解がありそうだがまあいい)おっしょさんの太極拳の稽古に参加しまーす。
 最初は1月20日(日)湯島にて。15:30~17:00。
 なぜこんなに細かく書いているかというと、コマンタさん(名指し)、一緒に行きましょう! というわけです。参加費など詳細は後日。あ、そんなに高くありませんからご心配なく。僕が参加できるんですから、言わずもがな。
 この会は月3回開かれているらしく、僕はとりあえず体が許すのが月1くらいかなあと思うので、月1回、どこかの日曜日を選んで行くことにしました。
 待ってま~す。

 それからついさっき連絡があって決まったんですが、来月2月の4日、東京都大森高校にて19時くらいから、セロ・ウワチパという劇団の『ナウフラゴス(漂流者たち)』という芝居に出演することになりましたーーー。
 とはいっても大したことはなく(芝居自体は大したことあるんですが)、僕は無人島に一本生えている、「木」の役です。切られそうになります。実をつけます。取り合いになります。見所はそれくらいです、木の視点では。はっはっはっ
でもこいつがいなくちゃこの芝居はできないんだぞッッッ
 終わってから高校生たち(定時制)に感想を聞く時間があります。それが楽しみですね。
 これ面白い芝居ですよ。よく出来てて。いっぺん観せてあげたいです。

 で、細かい芝居の手伝いとか受付係とかあるんですが、大きなのは5月!
 世田谷区の千歳烏山から徒歩1分、区民センター前広場にて「路上演劇祭Japan」というものがありまして、僕もこれに参加します!
 てかもう参加し始めて4回目になるんですけどね。今回で。
 でも今回大きく違うのは、本気で役者をやる!ということです。
 路上演劇祭ということで、「路上」…劇場の芝居とはまた違うんですが、役者は役者…というかある意味劇場の役者以上に力がなきゃ出来ないものです、この路上演劇の役者というものは!
 そんなわけで僕に務まるのか? というご指摘は多々あると思われますが、結構皆てきとーに集まってやる(肩肘張らないという意味で)会なので、そんなに心配はしていません。皆さん他の仕事持ちながらやられてる方ばかりですしね。専業の「役者」という方はこの中にはひと握りしか居ません。
 まだ開催の日にちを僕は把握していないんですが、たぶん母の日の前後の土日…10、11とか17、18あたりだと思います。決まり次第また別途、お知らせします。

 そんなわけで本業もあるのにまー大変。両親には芝居また始めたなんて怖くて話してません。なに言われるかわからない。なので皆さん、この話は後内密に…