おっちーの鉛筆カミカミ

演劇モノづくり大好きおっちーのブログです
いろいろ活動してます
そのうち、みなさんにお目にかかれたらうれしいです

映画『サマーウォーズ』を観てきました!!

2009年08月20日 21時23分18秒 | コラム・批評・エッセイ
とっても面白かったです!

いやひとつひとつの要素はですね、完全に目新しいものはないんです。ある意味王道。でもだからこそ楽しめたし、すごく面白かった。
全体として、総合的にみて、この出尽くした時代に、とてもオリジナルな作品だったと思いますよ。

三回くらい、感動・興奮して泣きそうになった場面がありました。
「面白いなぁ~」って、思わずニヤついちゃった瞬間が何度もありました。

エヴァとどっちが面白かったかなあ……?
エヴァは演出に奇をてらったところがあったんですが、サマーウォーズは、王道なんです。
だから素直にみんなが面白いと思える作品なんじゃないかなあ。
ただ、あれですね、僕たちくらい以前の世代でないと、設定の理解が難しいかも知れませんね。完全ヴァーチャルワールドの話ですからね。
それと、現実世界のリンクの仕方のアイデアが不思議なリアリティがあって面白いので、そこを無理なく捉えられると、この作品は本当に面白いです。

こんな脚本書けたらなぁ~っ…って本当に思いました。

よし、充電完了!
明日からまた頑張るです~っ

ではでは。また

エヴァ破を観てきました!

2009年07月03日 12時00分40秒 | コラム・批評・エッセイ
いやあ凄かった。
『序』と同じく詰め込み過ぎ、強弱の抑揚無し、の感はあるんだけれども、それは、「全編見せ場」とも言い換えられる。
まさか『破』であそこまで話が進むとは……。
『序』を観て「焼き直し?」の疑惑を抱いた方は、安心してご覧になってもよろしいかと。

なんで庵野監督が再度エヴァにこだわったのかが分かってきた気がします。
多分、御自身の「力不足」から誤解(?)を与えてしまったエヴァという作品を、成長した今の庵野監督の力で表現のし直しをしたかったんじゃないかなぁ、なんて思ってみたり思わなかったり。

この作品、お時間に余裕のある方には、是非是非、お薦め申し上げます。
 ただし、ご注意! この映画は2時間という長時間、集中し続けて観なければなりません。一瞬たりとも画面から目を離す暇はありません! 疲れていたり、トイレへ行きたかったり、などなど、ご自分の集中力が続かないな、という時には観るのを控えるのが賢明かと、思われます。では。

茂木健一郎、小林秀雄を呼んでみよう。……じゃなかった、読んでみよう。だった

2008年11月19日 04時25分18秒 | コラム・批評・エッセイ
 ちょっと皆さんの影響で読んでみたくなりまして、小林秀雄さんと茂木健一郎さんの著作をそれぞれ2冊づつ、手に入れました。

 すごくいろいろ考えたことあったんですが、全部読んでからそれは論じたいと思います。
 今1冊目を半分ほど読んだところです。これ僕にしてはすごく速いペースなんですよ。やっぱり興味を本気で持つと、違いますね。(じゃあ紫式部はそれほどでもなかったのか、って話だが)

 小林秀雄さんはともかく、茂木健一郎さんって方は、最初テレビで見たとき、こんな大物だとは思わなかったんですよ。
 だって髪ボサボサだし、顔は優しそうでおおよそ科学者の鋭い眼光というものとは無縁。
 普通のおっさんやん!みたいな。
 NHKの『プロフェッショナル~仕事の流儀』では、レギュラー解説者されてますが、隣のアナウンサーの女性の方がゲストに話振るの上手いし。彼女の方がいい事訊くし(笑)……いや、僕が観た時ですよ。僕の感想。

 でも本のカバーについてるプロフィール見たら、驚いて。
 僕は肩書きではあまり人を判断しないように心掛けてはいるんですが、それでも、これはハンパないな、と。
 科学者なんですから、テレビに出るのは本職じゃありませんよね。そんな上手い方がちょっと疑いの目になっちゃいます。(と、いう目でこれからテレビにでてる茂木さんを見ようと思った)
 テレビに出るからには、そういうスキルがあるんだろうと思ったんですよう。ちょっとでもバカにしてごめんなさい。

 でも、それでもまだ、茂木さんの理論には100%の信頼は持てないんです。
 なぜかというと、それはコマンタさんのブログのコメントでも述べましたが、「心」の問題が、残されている、ということ。
 定量化できない「心」や「気持ち」を説明できない。
 当然なんですが、そんなもん、「論」では解明できない。
 でもそんな大きな問題、「これからの科学の発達による」とそのままにしておくのもなんだと思うんですよね。
 もちろんそういった問題は、言葉では説明つかないんですが、たくさんの言葉を積み重ねることによって、それがある方向は示せる。ベクトルは描けるとも思うんです。
 つまり、実体そのものは論ずることができなくても、こっちの方にあるよ、というベクトルを示すことで、その輪郭がぼんやり、いや、そういうベクトルを、「知る」キッカケを、限りなく重ねることで、輪郭がいや実体が、「感じられる」のではないか、と思うのです。
 こう述べていくと、これはますます科学者の仕事ではない気がしてきました。それはアーティスト、作家の仕事かもしれません。
 でも、ちょっと本を読んだ感じでは、茂木さんはまったくその問題から逃げているわけではないんですよね。いつか解き明かそうとはしている。
 そう、いつか、「理論」で気の問題を喝破できる日が来ることを、心待ちにしています。

 あ、、、でも、、それを喝破している人、それにいちばん近い人を僕は知っているかもしれない。
 太極拳のおっしょさん。
 あの方の理論は、科学と読んでもいいものである。
 しかも人の「気」について説いている。
 ずっと思ってはいたが、やっぱり、
 すげ。

美嘉さん新作『こんぺいとう』

2008年11月17日 00時43分14秒 | コラム・批評・エッセイ
 古くからこのブログを訪れてくださっている方々はご存知だと思いますが、僕は映画にもなった小説『恋空』の作者、美嘉さんのファンです。
(最近そんな話題ばっかですが許してえ……まあそれは置いておいて……)

 その美嘉さんが今月、新作の小説『こんぺいとう』という作品を発表されました。
 元々彼女のホームページで連載されていたので、始めの方は読んでいたのですが、彼女への「感謝」の意味も含め、上下刊揃って買ってしまいました。

 彼女の作品は面白くて、別に特別目を引く表現があるわけでもなく、書いている視点が目新しいわけでもなく、ただ誠実に、作品というものを書かれてるだけなんですが、読み進めていくうちにどんどんのめり込んでいくんですね。夢中になってしまうんです。
 それはたぶん、美嘉さんという、人間自身の持っている魅力に、魅了されているのかなあ、と感じながら今読み進めています。

 美嘉さんは、自身のブログで、『恋空』を書いてから、沢山の人々の声を聞いた。中でも多かったのが恋の悩み。そういう声に応えたかった。と書いています。

 彼女の作品を読んで、写真やエッセイ集、ブログの記事を読み続けて、感じるのは彼女のとても共感できる人柄です。
 もちろん誠実な、考え方が真面目で一生懸命な方なんですが、やはり、「共感できる」というのが一番の彼女の魅力なんだろうなあ、と思っています。
 わかりやすい、というよりも、もしかしたら――あんまりその辺は僕自身考え抜いていないで放つ言葉なんですが――彼女は自己表現のスキルに長けているのかもしれません。ドライな言い方になってしまいましたが。
 だから身近に、味方や信頼できる仲間が多いのだと思います。

 僕は、へたに芸術の才能がある方々よりも、彼女のような能力を持つ人間に、今は憧れを抱きます。
 だからYUIさんと同様、(笑)美嘉さんの言動にも、僕は目が離せないのです。

YUIさんについて、補足。

2008年11月16日 01時18分22秒 | コラム・批評・エッセイ
 先日YUIさんについての記事を書いた時に、YUIさんがアルバム『MY SHORT STORIES』の制作を最後に活動を休止して、もう音楽界に戻ってこない、みたいな印象を皆さんに与えてしまったと思います。

 申し訳ありませんでした。それは誤解でした。
 YUIさんは、リフレッシュ休暇に入っているだけで、音楽業界を辞めたわけではありません。必ず戻ってきます。そういう約束での、休養をしているだけです。

 間違った情報を皆さんに与えてしまったことを、お詫び申し上げます。

  *  *  *

 そんな情報を集めるついでに、YUIさんのホームページを初めて覗いてきました。
 そこには"YUI RADIO"というコーナーがあって、YUIさんがナビゲーターを務める声だけの番組を配信していました。
 その番組の中では、YUIさんがリスナーのメッセージに応えて「モノマネ」をしてみたり、とにかくたくさん喋っていて、それを聴いて、だいぶ僕の中のYUIさんのイメージが広がりました。
 ますますYUIさんのことが好きになったし、ますますこの人から目を離さないでおこう(休養中ではありますが)、と強く思いました。

 本当に、休養が過ぎたら真っ先にファンクラブ入ろうっと。

YUIのファンクラブに入りたかった……

2008年11月12日 01時15分09秒 | コラム・批評・エッセイ
 今日、日本の女性シンガソングライター・YUIさんのニューアルバムを手にしました。
 今も、それを聴きながらこの記事を書いています。

 このYUIさんって方は、とても若くてきれいな顔立ちをしたアーティストさんです。
 僕の中では、同じくルックスのよい女性シンガソングライター・大塚愛さんと対極にいる存在かなと、今気付きました。
 大塚愛さんが「柔」なら、YUIさんは「剛」です。
 同じく大塚さんがオレンジ色なら、YUIさんは灰色(銀色?)がかった白です。
 そんな美しいYUIさんだから、僕は彼女がきれいなひとじゃなかったらファンになってなかったのかと、自問してしまいます。

 その答えは謎です。
 だってYUIさんはこういうスタイルで生まれてきてるんですから。
 五感全てで感じられるこの存在が、YUIさんなんですから。

 答えがないってわかっていて、あえて答えを求めるヒントを出すなら、僕はYUIさんの声質と、奏でるギターと歌の、胸をきゅっと締める旋律が好きです。
 それが、僕がYUIさん(の曲)を好きな理由の全てであります。
 ただ、YUIさんのルックスは、そのハスキーな歌声と、作り出す切ない旋律とあいまって、絶妙なハーモニー美を生んでいて、そこはすごく気に入っているんですけどね。

 YUIさんって、ハードロックを歌うんですよ。
 ストイックな感じが漂ってくるんです。
 派手さは無いのに、僕は、YUIさんの作る曲から、言動から、目が離せません。
 なぜだろう、期待してしまうんです。

 そんな素敵なYUIさんですが、このアルバムの発売を区切りに、活動を休止させるそうです。
 残念だな~ これから情報集めて、ライブとかも行きたいと思っていたのに……
 生で歌を聴けるのも楽しみだったし、MCでどんな話をどんな話し方で話すのかも、とても興味があった。

 残念です。
 いつかまた音楽界に戻ってきて欲しいな。そしてその時には、絶対にファンクラブに入ろう。

コード・ブルーを観て思ったこと

2008年09月04日 23時08分21秒 | コラム・批評・エッセイ
 戸田えりかかわいい。
(漢字わからない上に調べるのも面倒がってる)
 しもぶくれで。
(しかも失礼)
 面白いこと書こうって言ってるそばからこれだよ。
(ちゃんちゃん)

 ではでは。

上原浩治と僕

2008年07月20日 00時44分00秒 | コラム・批評・エッセイ
 今、巨人の投手・上原浩治のドキュメンタリー番組を観終わりました。

 上原は今スランプの中にあります。そこから脱しようともがいています。
 そんな最中に、上原は世界一を競う、オリンピックの出場メンバーに選ばれました。それは皆さんもご存知の通りです。

 上原は今シーズンが始まった直後から、不調でした。
 僕がテレビで見ていても、明らかにおかしかった。去年の上原ではなかった。

 番組を見ていて、そんな上原浩治に今の僕が重なりました。
 忘れていた、熱い気持ちが蘇りました。

 僕は、大学生時代、舞台照明の「仕事」をしていました。
 その頃の僕は、自信満々でした。
 練りに練ったプランと、現場での直感的な発想、それが僕の武器でした。
 「どうだっ!」って作った照明を観客に見せて、「おぉ~」と思い通りの反応が周りから返ってくる。
 充実していたし、毎日が熱かった。

 そんな絶頂期の折、僕は突然病気にかかりました。
 今、その病気はおおよそ治りましたが、ここまで7年ちょっと掛かった。
 そして、僕はハンディキャップを背負うことにもなりました。
 照明家としては致命的な、「高所での作業ができない」というハンデ。
 バランス感覚が劣るようになってしまったのです。少しバランスの悪い格好をすると、フラフラする。うんこ座りをしただけでも、じっとしていられず、よろけてしまう。
 照明は、当たり前ですが、主に天井に吊るすものです。天井の上から作業することもありますが、高い脚立に登って、重いライトを持って設置することが多いのです。
 今も時々そういう作業をしなければならない時があります。
 そんなときはいつハシゴから落ちるんじゃないか、バランスを崩すんじゃないか、とドキドキしながらの作業になります。
 こんな調子では照明家なんてなれない。

 僕は照明の道をあきらめて、新しい、社会に通用するスキルを身に付けようと努力しました。
 それがパソコンの道でした。

 今日も「P(パソコン)検インストラクター」という資格の試験を受けに行きました。
 結果は合格。自慢じゃありませんが95点。1問間違えです。
 「見直しまでしたのにー。どこ1問間違ったんだろうー!?」というのが正直な感想です。そんなに試験自体は難しくないのです。
 そんなこんなで、普通に取れるパソコンの資格は、知っている限りでは大体取り尽くしました(もっとも、まだシステムアドミニストレイターというでっかい資格が残っているのですが…)。

「この道で食っていくか」
 そう思っていました。

 けれど今日、「アツい思い」が蘇ったのです。
 舞台照明にかける思いは、ハンパなものではなかった。
 だからまだ、心のどこかに残っている。
 今なら間に合いますか?
 まだ追い掛けてもいいのでしょうか。


 誰より本気だったものを、そんなに簡単に捨てられるでしょうか。


 もう一度、あの業界に戻ってみてもいいかな。
 やり直しはきくかな。
 本気になれる場所は、あそこしかないのではないのか?

 まだ本決まりではありません。
 ゆっくり、考えてゆくつもりです。
 もう一度、就職活動をするかもしれません。
 本気で、生きていきたいのです。
 バランスも大事です。
 出来ることと、出来ないこともあります。
 じっくり自分と向き合って、ほんとの自分を見つけて話し合ってみます。
 周りの仲間も、大事なのです。
 僕が照明の道を選ばなかったことで、少し戸惑った方々もいらしたようです。伝わってきました。
 いちばんいい道を選びたい。
 「今のぼく」これまでが築き上げた、現在の自分に一番合った場所が、あるはずです。
 ゆっくり考えたいと思います。
 ではでは。

TUBEニューアルバム発売!(そしてうたばん出演)

2008年07月17日 21時14分08秒 | コラム・批評・エッセイ
 ついこのあいだ、TUBEの新しいアルバムが発売されていることを、テレビのCMで知りました。
 そのときの感想。

「おぉ、かっこいいじゃん」

 3曲くらい、ほんの一瞬のフレーズを聞いただけなのですが、ピンとくるものがありました。
 で、きょうの「うたばん」出演。
 新曲は、難を言えば、「とても素人にはうたえない歌」。でもここ数年のTUBEの楽曲とは違う、気合のようなものを感じました。売ってやる!みたいな。
 しばらくしたらおじ(TUBEのライブに参加したことがある)が持ってきてくれる気もするのですが、ここは自分で買おうと思います、TUBEのニューアルバム。

 他にはどんな曲が入っているのか、ひさびさにワクワクしています。

天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず。

2008年04月05日 23時43分50秒 | コラム・批評・エッセイ
 僕ってお調子もんで、すぐ熱くなるし、自惚れ屋なので、なんでも自分が一番だなんて思ってしまうんですよ。
 それって良くないなあって。
 でもあれですね、そういうのって僕だけじゃない、結構そういう考えの方々は存在することも確かですね、とも思うんです。
 みんな自分がトップで、自分が中心だと思っている。
 特に僕が所属して活動している、演劇の世界に携わってる方々って、そういうタイプが多いですね。
 でもそれって狭いりょうけんですよね。
 人はそれぞれ世界を持っています。
 自分が主人公の、ドラマを生きています。
 だから人の数だけ宇宙は存在するんだなあって思うんです。
 それって楽しいことだと思うんですよ。
 友達ひとりひとりにも、上司にも、先生にも、子供にも、その辺に寝転んでる浅黒い肌をした路上生活者だって、一つ一つ広大な宇宙を持っているんだ。
 すごい事ですよ。
 だからやっぱり、他人を軽くあしらうなんて事は出来ない。
 自分よりひとは劣っている、自分の方が優れている、なんて考えは早く捨て去りたいところです。
 僕は演劇をやっています。
 特に今関わっている種類の演劇は、そんな人間ひとりひとりの「宇宙」をみんなで分かりあい、認め合い、そうする中で楽しむためにやるものだと思っています。
 言葉で言い表せることなんて狭いものです。
 一緒に活動していくうちに、言葉で交わせる意見や考えだけでなく、その人の持つオーラとか、雰囲気とか、「気」みたいなものとか、そんなものを感じ合って、持ち寄って、高め合ったり楽しんだりしていけたらいいと思っています。
 世界は僕らが思うより全然無限大に大きいものです。
 それって楽しいことですよね。
 いくら探求してもし尽くせないって、すごいですよね。
 あきらめることなんてないと思うんです。見限る必要もないと思うんです。
 だって宇宙は無限なんですから。
 そしてその宇宙は、人の数だけ、生き物の数だけ、「存在」の数だけ、あるんですよ。
 鈍ってる暇なんてないんです。面倒になることも勿体ないんです。
 やっぱり感受性って大事。
 好奇心がなくなったらおしまいなのでは。
 いろんな人や、「存在」たちと、深く、永く、関係していきたいですね。
 そして正直に、真正面からぶつかり続けて、自分を高めていきたいです。

 ではでは。

おち

『タイヨウのうた』を観ました。

2008年03月23日 01時21分47秒 | コラム・批評・エッセイ
 TSUTAYA DISCASで借りて観ました。
 とても良かったです。

 debbyさんお薦めの映画。
 そういうふうに以前言われていて、それがきっかけで借りました。

 僕は元々YUIというアーティストが大好きで、『CHE.R.RY』はもちろん、他のロック調のナンバーもとても好きで、はっきり言ってファンです。

 この映画を観て思ったのは、「相手を思いやる気持ち」「真っ直ぐな気持ち」って大切だなあと。
 最近大人になるにつれ、生活や人間関係が複雑化してきて、なかなか自分の理想通りに事は進まないのですが、そんな流れに巻き込まれつつも、自分の中のしっかりした信念と、その時その時における、相手に対する最大限の思い遣りは、忘れたくないものですね。
 そんなことを思いました。

 この映画は、最後にヒロインが死んでしまうストーリーなんですが、最後のスタッフロールで、スペシャルサンクスに香港映画の『新不了情』と書いてあって、実は、この『新不了情』という映画は、僕の好きな映画ベスト3に入るような大好きな映画で、そういえば『新不了情』も最後にヒロインが死んでしまいます。
 たぶん、似たところのあるストーリーの映画だから、了承をとったんでしょうね、映画製作する際に。
 でもこんなところに、なにか「縁」のようなものを感じてしまいました。

ひとを区別するということ。Ⅱ~自分が成長するには

2008年02月19日 21時53分29秒 | コラム・批評・エッセイ
 自分が成長するには…とか書いてしまったんですが、もうそういうのしちめんどくさいので、本音を言わせていただきます。

 何故、僕はこんな記事を書くのか。

 それは、ある人に
「おっちーバランス悪いんじゃない?」
 今から考えるとそういう意味のお言葉を、もらったからです。

 それを聞いた特はショックで、また精神的にバランスを崩しそうになりました。
 こういうことがあると、あぁ、まだ僕はとうごうしっちょしょうなんだなあ、と思いますが。

 僕ははっきり言って完璧主義者です。
 なんでも自分で納得いく結果を出さないと気がすみません。
 だから他人に自分をちょっとでも悪く言われた日には、それが気になって他のことが手につかない…とまではいきませんが、ずっとそれが頭の隅にある、という状態になってしまいます。

 でもやっぱり、他人から見た自分もやっぱり自分なんですよ。
 どこか真理があるのだと思います。
 たとえそれが自分にとって腹の立つような内容だったとしても、甘んじて受け止めなければならないのだと思います。

 そういうところで、やっと出てきました、

「自分が成長するには」

 それは、ひとの言葉をすべて受け止め、そこに違った方向から見なければ見えないかもしれない、真理を見い出すことです。
 一見どうでもいい言葉かもしれない、もしくは、受け入れたら自分が壊れてしまうような言葉かもしれない、でも、それらをていねいに受け止めるのです。
 そして、自分の糧にするのです。
 人生で目にするもの、耳に入るもの、感覚で受けるものすべては、意味の…意義のあるものだと思います。
 五感を、いや、六感すべてを張り巡らせましょう。疲れない程度に。
 そうすれば、また違った景色が見えて、気分いいですよ。

 なんかエラそうでした(照笑)、すみません。

 ではでは。

ひとを区別するということ。

2008年02月19日 12時57分31秒 | コラム・批評・エッセイ
 僕は、自分の理解できないものを特別扱いして、自分と(簡単に)区別してしまうのが嫌いです。

 僕は、中学の頃クラスでずっと一番の成績をとっていました。
 だからみんなは言います。
「おっちーはすごい。やつは違う」

 違うんです。みんな同じなんです。ただ、置かれている状況と、アドバンテージが少し違うだけで、中身はみんな同じなんです。
 それをわかってくれない。
 自分と違うだけで、軽い「差別」をする。
 それは自分を保つ為に、楽な道です。
 でもその「差別」された本人にとっては、どうでしょう。
 とても孤独なんです。
 理解されない。理解しようとしてくれる、その行為自体を放棄されてしまう。

 だから僕は、全ての人を自分と置き換えて、ものを考えます。理解するように努めます。
 わからなかったら、話し合います。理解しようと、努力します。
 あとは想像力です。努力を怠ってはいけません。
 楽なことは、幸せにはつながらないのではないかと、僕は考えます。

 ではでは。

近年のTUBEについて考えたとき―多くの人が一つのものを創るということとは?―僕の拙い演劇論。

2008年01月27日 20時56分37秒 | コラム・批評・エッセイ
 野田秀樹という方がいます。
 この方について、「野田秀樹は理想だよねー」と僕の演劇仲間が話していたことがありました。
 その話に僕も基本的に賛成です。
 では、野田秀樹さんは、どういう具合に「理想」なのか。
 「演劇」という多人数の人間が関わってひとつのものを創る、その場所を作るやり方が彼は非常にうまいのです。
 それでは場所の空気とは、どのように作られるものなのでしょうか。
 やはり、そこを司る一人のひとが作る比重が非常に重いのがほとんどの場合です。
 野田秀樹さんは、場を「乱す」のがうまいのです。
 彼は自分から率先して、現場で「遊び」ます。そこを司る「長」でありながら、自ら遊び回ってしまうのです。
 その場にいる役者(スタッフも?)たちはそれを見て自分も努力して遊ぼうとします。そしてだんだん楽しくなってきて、「遊ぶ」ということの本当の意味を身を持って感じ取るのだと思います。
 遊びを観せるのは勇気が要ります。
 真面目な方が、批判を受けにくいからです。
 演劇は、遊ばないと面白くありません。できた結果として、それを観にきた観客も一緒になって遊んだ気分になるというのが、理想です。

 僕の過去の話をします。
 僕は、休学2年を合わせて9年間、大学に在籍しました。
 その間ずっと演劇をやっていたわけではない―最後の二年半くらいは、病気のリハビリをしながら授業に通っていた―のですが、かなり濃い演劇経験を積ませていただきました。
 そこで学んだこと。
 自ら率先して動くことは大切です。
 そして、「下の者」のやっていることに自分から「入り込む」ことも重要なことだと思っています。
 仕事という名を借りて、一緒に「遊んで」しまうのです。
 そうすると、みなが生き生きとしてきます。自らの意思で考え、アイデアを出し、成し遂げる楽しさを得るために頑張ります。
 これは演劇の世界に限ったことではとどまらない話のようにも思えます。
 一つ言えるのは、人は周りを見ながら、自分の行動を選択していく、ということです。
 人はとりあえずとして、自分の「上」に当たる人の行動をまねしようとします。だからいちばん「上」の人間はそれらの焦点になるわけで、その行動が注目されるもの―重要なもの―になるわけです。リーダーの存在いかんで、そのチームが成功するかどうかを左右しかねないのです。
 それは形の上での「トップ」だけを頂点とするという意味を持ちません。
 みなが一目置く存在であれば、それは大きなものになるわけです。
 人間の集まりですから、その形成にはいろんな経緯があるでしょう。
 それでいいのです。ひとのやること。それに王道はありません。
 戦って戦って、楽しんで、苦しんで、泣いて、笑って、少しずつ、獲得し続けるものです。
 失うこともあるでしょう。けれども本当に失ってはいません。人間は偉大です。ひとは皆神なのかもしれません。素直になれば。
 もう一度言います。人は獲得し続けると思います。

 今日はありがとうございました。
 これからもよろしくお願いします。
 ではでは。

近年のTUBEについて話し合った時考えた、どうすればいいものを創り続けられるのかということについて。

2008年01月14日 00時43分41秒 | コラム・批評・エッセイ
 結論から言うと、それは常日頃の心の向き、心掛けです。
 それがきちんと前を向いているか、上を目指しているか。…これは自戒を込めた発言になりますねえ。
 それから自分にとって新しいもの、面白いと思えるものを見つけ、吸収することも大切なことです。
 前回のコメントに、桑田圭祐うんぬんということを書きましたが、彼は「遊び」を忘れていないのだと思います。そんなに目に付いて新しいフィールドに飛び込んだり、冒険をしているようには僕には見えません。それでもファンに飽きられないものを提供し続けているというのは、きっと遊びに貪欲であること、好きなことに素直なこと、それをし続けているのだと思います。自分が面白がっていれば、ファンも付いて来るんですよ。
 僕は、自分が面白くもないのに、勉強のためだ、と思って経験することを良しとはしません。それはものすごく大雑把に言うと、時間の無駄だと思います。それは何故か。
 人は自分の興味を持っているものに接している時に、一番吸収する力を発揮します。集中力が持てるということです。
 こういうと当たり前なことなんですが、その事実を生かしていない人はものすごく多いとは思いませんか? 実際僕もそのひとりでした。けれども最近は、自分にとって為になるものを探すよりも、興味を惹かれる物を探します。興味を持ってそれに接せば、吸収できるものが多い、それはすなわち時間の短縮に繋がります。短い時間で、多くのことを勉強できるのです。その結果、多くのものが吸収できれば、思ってもいなかった部分―かつて自分が見に付けたいと思っていた他の分野―まで実際に身に付けることができるのです。
 付け加えておきますがもちろん、楽しむ、ということはとても生きていく上で大切なことです。そのためにも、ということです。
 人間元気でないと何もできません。そのためには、興味のあるもの、楽しませてくれるものにいつも触れていることです。

 それからもうひとつ、ここでは、いつだったかおさかさんがおっしゃっていた「業」という言葉を使います。
 少し厳しい言い方になりますが、人は、業をこなさねば生きていく資格がありません。
 それは物を創るということを生業とする人間にとっても同じことです。
 業を行うことをさぼっていては、天はいいものを創る資格を与えてくれないのです。
 これは難しい問題です。
 僕もかつて「ものを創る」ということ、それだけで生きていた時期がありました。けれども僕はその頃、業をこなすことを忘れていたのです。
 だからある時、破綻が起きました。それは取り返しのつかないことであるように、当時は思えました。
 けれども僕は現在、そこから復活しつつあります。それには7年以上という長い年月が必要でした。
 業をこなすからこそ心の中に生まれてくるものがあるし、意識しないうちに見えてくるものがあるのです。

 最後にもうひとつ、大切なことを書きます。
 それは謙虚になることです。これは決して言い古された訓示などではありません。僕の経験(まあ拙いものですが)から結論付けた、自分を良い状態に保っていくための知恵です。
 謙虚にならないと、物事を本当の意味で(身体全体で)吸収することが出来ません。それは物を創る人間にとって大変な損失です。
 やはり、ふんぞり返ってどっかと座ったままでは、いいものは創れないのです。頭を、足を、手を、体を使って快活に活動し続けなければならないのです。
 自分に自信を持つことは大切です。そうしないと作品に迷いが出ます。
 けれども自分はまだ知らないことが沢山ある、ということを忘れても、いい作品を創り続けることは難しいのです。

 とりあえずあまり長くなるのもどうかと思うので、今日はこのへんでお開きとします。
 次は「多くの人がひとつのものを創るということ…僕の拙い演劇論」と題してお送りします。よろしければまた懲りずにお越しください。それでは。