今日は僕がSOHOのバイトでお世話になっているスペシャルカラーズという劇場の、スタッフ業務をこなしてきました。
夜11時過ぎまでの仕事で、しかも電車が遅れて、そっから家に帰り風呂に入ったあとこの記事を書いているので、この時間の更新になっています。
今日、少し生き方を変えるきっかけに出会いました。
それはたぶん、今付き合っている彼女と無関係ではなく、というよりやっぱりむしろ、彼女と生きていく為に、僕は新しい生き方に気付いたんだと思います。
僕は今まで、誰の目から見ても幸せに見えるような生き方を求めていたんじゃないかと思います。
その例として、僕が真っ先に思い浮かべるのは、唐沢寿明・山口智子夫妻。
あんな感じの誰も文句の付けどころのない、人生のひとつの形を、僕は目指してきたんじゃないかと思うのです。(まああのお二人には、なぜかお子さんがいなくて、そこだけがなんとも言いようのない不安感があるんですけれどもね)
僕は、そういう生き方をすれば、周りにいい影響が出るんじゃないかと思ったんですよ。
僕は昔っからそうだった。
「特別」な存在になりたかったんです。
幸せになるにしても、ただ幸せなだけじゃ納得できない。
周りの人も巻き込んで、全員を幸せに出来るような生き方を、僕はしたかったんです。
それは不遜な考えでしょう。
ひとりの人間の身には余る思想ではないかと思います。
それでも、そうなりたいと思いながら生きていれば、生き方のベクトルが、他の人たちにもいい影響を与えて、みんなで幸せになれるんじゃないかと、思ったわけなんです。
そんな生き方にある種の自信を持ち始めていた時、僕に恋人ができました。
彼女はいろんな悩みを抱えて生きています。
そんな彼女を僕は幸せにしたい。
今日彼女の好きなアクア・タイムズ(綴りがわからん~)の『決意の朝に』を帰りの電車で聴きながら、僕はずっと彼女のことを考えていました。
彼女は今、体調が悪いらしい。
それは、僕と遊び過ぎて疲れて、それでも彼女が自分のやらなきゃならない勉強もこなそうとして、無理が出て体調が悪くなったんじゃないかと、僕はとらえています。
そうか、彼女は、僕と遊んで疲れるんだな、と。
正直な話、僕も彼女と話すと疲れるし、そっから元の調子に戻るまでは少し努力が要ります。
これは、僕たちの付き合い方に問題があるんじゃないかと思ったんです。
もっと言うと、僕が、パートナー・恋人というものに対して持っている固定観念みたいなものが、僕達が付き合うときに、何かしらの影響を及ぼしているんじゃないかと思ったのです。
だから僕は、その固定観念を捨てようと思いました。
それはこれまで持ってきたポリシーを捨てる、と同義です。
どっから見ても優良な付き合いは、もう要らん。
もし誰かが僕らを見て、眉をひそめるようなことがあっても、僕らが幸せなら、健康なら、それがいいんです。
僕は今までいろんな判断を、比較的ゆっくりとおこなってきました。
それはいつも、いろんなバランスを考えて、最良の判断を行動に移したいと思っているからです。
これからはもっと、それを反射的に行うようになるのではないかと思っています。
そうすると、今までよりいろんなことができるでしょう。
そして、今までよりも自己中心的な考えで、行動する事になるでしょう。
それが、今日入ったスイッチの結果のひとつです。
シフトした生き方の、答えの、ある一面です。
そうすれば、彼女ともう一レベル、近付くんじゃないかな。
そして、彼女が僕と一緒にいる時、気を使わなくて済むようになるんじゃないかな。
だから僕はそのスイッチを今日押しました。自然に。いつの間にか。
彼女の事を心底想ったから。
いろんなことができるようになると、生活の回転が速くなります。
すると、人間ですから、疲れます。
そういう時は、いつだったか、ぎんなんさんが忠告してくださったことを思い起こします。
「疲れたら、休む」
僕の中では、あの時のぎんなんさんのコメントは、こういった形で、心に刻み付いていますよ。
休めば、また復活します。それもそれこそ、人間ですから。
青臭い夢は消えていきますけど、もしかしたら、それは昔抱いていた夢と今の自分が同じものになっている、ということなのかもしれませんね。
人間に成るって、そういうことなのかも。
幸せって、見るもんじゃない、成るもんなんだ。
* * *
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夜11時過ぎまでの仕事で、しかも電車が遅れて、そっから家に帰り風呂に入ったあとこの記事を書いているので、この時間の更新になっています。
今日、少し生き方を変えるきっかけに出会いました。
それはたぶん、今付き合っている彼女と無関係ではなく、というよりやっぱりむしろ、彼女と生きていく為に、僕は新しい生き方に気付いたんだと思います。
僕は今まで、誰の目から見ても幸せに見えるような生き方を求めていたんじゃないかと思います。
その例として、僕が真っ先に思い浮かべるのは、唐沢寿明・山口智子夫妻。
あんな感じの誰も文句の付けどころのない、人生のひとつの形を、僕は目指してきたんじゃないかと思うのです。(まああのお二人には、なぜかお子さんがいなくて、そこだけがなんとも言いようのない不安感があるんですけれどもね)
僕は、そういう生き方をすれば、周りにいい影響が出るんじゃないかと思ったんですよ。
僕は昔っからそうだった。
「特別」な存在になりたかったんです。
幸せになるにしても、ただ幸せなだけじゃ納得できない。
周りの人も巻き込んで、全員を幸せに出来るような生き方を、僕はしたかったんです。
それは不遜な考えでしょう。
ひとりの人間の身には余る思想ではないかと思います。
それでも、そうなりたいと思いながら生きていれば、生き方のベクトルが、他の人たちにもいい影響を与えて、みんなで幸せになれるんじゃないかと、思ったわけなんです。
そんな生き方にある種の自信を持ち始めていた時、僕に恋人ができました。
彼女はいろんな悩みを抱えて生きています。
そんな彼女を僕は幸せにしたい。
今日彼女の好きなアクア・タイムズ(綴りがわからん~)の『決意の朝に』を帰りの電車で聴きながら、僕はずっと彼女のことを考えていました。
彼女は今、体調が悪いらしい。
それは、僕と遊び過ぎて疲れて、それでも彼女が自分のやらなきゃならない勉強もこなそうとして、無理が出て体調が悪くなったんじゃないかと、僕はとらえています。
そうか、彼女は、僕と遊んで疲れるんだな、と。
正直な話、僕も彼女と話すと疲れるし、そっから元の調子に戻るまでは少し努力が要ります。
これは、僕たちの付き合い方に問題があるんじゃないかと思ったんです。
もっと言うと、僕が、パートナー・恋人というものに対して持っている固定観念みたいなものが、僕達が付き合うときに、何かしらの影響を及ぼしているんじゃないかと思ったのです。
だから僕は、その固定観念を捨てようと思いました。
それはこれまで持ってきたポリシーを捨てる、と同義です。
どっから見ても優良な付き合いは、もう要らん。
もし誰かが僕らを見て、眉をひそめるようなことがあっても、僕らが幸せなら、健康なら、それがいいんです。
僕は今までいろんな判断を、比較的ゆっくりとおこなってきました。
それはいつも、いろんなバランスを考えて、最良の判断を行動に移したいと思っているからです。
これからはもっと、それを反射的に行うようになるのではないかと思っています。
そうすると、今までよりいろんなことができるでしょう。
そして、今までよりも自己中心的な考えで、行動する事になるでしょう。
それが、今日入ったスイッチの結果のひとつです。
シフトした生き方の、答えの、ある一面です。
そうすれば、彼女ともう一レベル、近付くんじゃないかな。
そして、彼女が僕と一緒にいる時、気を使わなくて済むようになるんじゃないかな。
だから僕はそのスイッチを今日押しました。自然に。いつの間にか。
彼女の事を心底想ったから。
いろんなことができるようになると、生活の回転が速くなります。
すると、人間ですから、疲れます。
そういう時は、いつだったか、ぎんなんさんが忠告してくださったことを思い起こします。
「疲れたら、休む」
僕の中では、あの時のぎんなんさんのコメントは、こういった形で、心に刻み付いていますよ。
休めば、また復活します。それもそれこそ、人間ですから。
青臭い夢は消えていきますけど、もしかしたら、それは昔抱いていた夢と今の自分が同じものになっている、ということなのかもしれませんね。
人間に成るって、そういうことなのかも。
幸せって、見るもんじゃない、成るもんなんだ。
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理想も・・・
恋愛は相手があってのことだから自分のそういったものを押し付けたら止まっちゃいますよね?
幸せって、見るもんじゃない、成るもんなんだ。って一緒に進んで行ったら自然とそうなりますね~
おっちーは違う意味で今、経ち止まってるんですね。
もちろん表面上で押し付けているわけではないんですが、逆に僕の内面に強くそれがあるので、それがなんとなく伝わっちゃって、相手の負担になってるんじゃないかなあって。
だったらむしろ、そういうのを開放しちゃって、表に出しちゃった方が自分でもその考えを変えるきっかけができるし、相手にとっても楽になるかなあって思ったんです。
思ったことをガンガンやってっちゃおうかなとも思うのです。
実際に二人が思いを、理想を、表に出して、そうすれば、二人にとっての理想も少しずつ出来上がってくるんじゃないかなと。
思ったわけなんですね。
僕はひとりの間が長かったので、幸せって、作り上げて外から見るものだったんですよ。
自分がいくら幸せだなあって思っても、その幸せに浸りきれないんです。
どっかで俯瞰的に見ている自分がいて、幸せの「中」には存在できないんです。
やっぱり人って、一人じゃ本当の幸せにはなれないんじゃないかと、今の僕は思うわけなんです。
相手との関係の中にこそ、幸せは見付かる?
そうなのかもしれません。
今はそう思っています。
なんだか、とてもコマンタさんのお人柄がしのばれるコメントですねえ~
ありがとうございます。
スレッカラシの意味がわからなくて、すみません、辞書ひいちゃいました。
アクビについてですが、もっと正確に言うと、僕の場合アクビをした事すら悟られないように誤魔化しますね。我ながら腹黒です。
でも一方で、別にアクビなんかしたっていいじゃん、みたいな開き直りも確かにあるので、我ながらいい性格してると思います(笑)。
自分もその方にはまろう、似たようなものを求めていこう、あるいは洗練された型であろう、そういう気持ちになることは別に不思議でもなんでもないし、大なり小なり多くの人が無意識にそうしていると思います。悪いことではない。
でも何にでも例外はありますからね。
何にでも「変型」とか「規格外」はあります。
同シリーズのバリエーションとかマイナーチェンジとかね。
やたらあります(笑)
二人は二人だけの時間のもちかた、交信のしかたを見つけていちばん楽な方法で過ごせばよいと思います。
愛するという動詞は労働するに限りなく近いですが、そこに愛があるということはそこに安心があるとほぼ同義。疲れをどっとさらけ出せることも安心のひとつですしね。
> 二人は二人だけの時間のもちかた、交信のしかたを見つけていちばん楽な方法で過ごせばよいと思います。
ありがとうございます。この言葉、心に刻んでおきます。
まだまだ僕らは始まったばかり。
通過点なんですね。
これからこれから。
いい関係を築いてゆきたいです。
素敵なコメントをありがとうございます!
君よりも大きい
そして君は僕じゃない
僕の向かう道のりは果てしなく
君の目にもわかる筈だけど
ああ、話し過ぎてしまった
はじめから言い直すよ・・・
・・・
今晩は、おっちーさん、25年近く前から大好きなREMというアメリカのロックグループのルージングマイレリジョンという曲の出だしの歌詞を書いてしまいました。
何度もおっちーさんの書いた文章を読んで、でも僕はどんな言葉をコメントしたらいいか困ってしまったんです。
僕が彼らから学んだのは「等身大」です。
等身大の自分を受け入れ、家族がそばにいることが空気みたいにあたりまえの生活・・・
人から見れば平々凡々のつまんない生活かもしれないけど、そこに青い鳥を見つけることができる人が幸福なんだと思います。
ゴメンナサイ、ありきたりなつまんない話を書き過ぎてしまいました。・・・けど、はじめから書き直しません~(笑)
ありがとうございます。
僕がこんなにいろいろと考えてしまっているのは、僕らが始まったばかりだからなんだと思うんです。
子供の頃の夢って果てしなくでっかいじゃないですか。
でも大人になるにつれ、だんだんと等身大の自分でいいんだと、それを受け入れていく。
今の僕の時期も、それと似てるんじゃないかと思うんです。
だんだん、そのまんまの彼女を、いることが当たり前のように受け入れて、自分も自然に振る舞える。
まだ彼女は僕にとって『特別』な存在なんです。
だから僕は頑張ってしまう。
彼女を「幸せ」にするために何ができるかと悩む。
でも時が二人を慣れさせて、ナチュラルな中に入ってしまえば、ただ等身大の、当たり前にいる二人が、ここでやっていけるようになるのかな、と考えます。
でも今頑張ることも無駄じゃないと思うので、今はやりたい様にぎゃむばってみます!
応援……ですよね、応援、ありがとうございます!!
ではでは。
できあがっていく段階だと思うから
その段階で出会えたわけなので
お互いにお互いを作っていくって感じ?
とにかくおっちーさんの
幸せを願う!
よいお年を
お互いにお互いを作っていく感じ……全くその通りで、彼女は彼女で僕の影響を大きく受けて変わってきている感じがすごくしますし、僕は僕で、彼女のタメにと日々変化している。
疲れますけど楽しいです。幸せな事なんだと思います。
ちなみにこれ愚痴なんですが、僕のパソコンがウイルスに感染しちゃったみたいなんですよう~
一度治ったかと思ったんですが、またOSが立ち上がらなくなって、今はセーフモードで起動しています。
もしかしたら、これも危険な事なのかなあ~?
よく分からないので、しばらくお休み、というか復旧作業を頑張ります!
どうやりゃ治るんだろう~?
わから~ん
ろくこさんも、良いお年を迎えられますよう……お祈りしています。
ではでは。