団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

人と会わなくなったけれど

2021年12月12日 | 人間関係

母が亡くなってから人と会うことがなくなった、母が生きてた

ころは月2回新幹線で1時間実家に行き、掃除、買物、夕食

準備、病院への付き添い、7年間続けた、その後認知症にな

高齢者施設に入居してからも実家への訪問と施設の訪問をさら

2年間続けた、晩年は大腸がんに罹患、昨年の3月コロナ禍

の中95歳亡くなった。

 

病院の医師、看護師、近所の人達、施設のスタッフ、葬儀社、

さらに実家の処分では不動産業者、解体業者、市役所、法務局、

税務署など事務的とはいえ会って話さなきゃならない人がそれ

なりに多かったが今はコロナ禍もあるがほとんどいない。

 

かといって誰かと会いたいという気持ちもない、若い頃は自分

の気持ちを、自分のつらさを、自分のやりたいことをわかって

もらいたい、だから会って話したいと思ったものだが今はそん

な気持ちはない、感性が鈍ったのかもしれない。

 

自分と向き合う時間が多いせいか、わかってくれるのは自分、

自分だけだと気づいてる、そういう意味では人と会わなくな

ったけれど、なぜか今が生きやすいと思っている。


大切なのは話すことより聞くこと

2021年11月08日 | 人間関係

「天は我々に聞くためにふたつの耳を、話すためにひとつの口を

与えてくれた、従って我々は話すよりも2倍聞くべきである」こ

れは中国のことわざである、人間関係を築くうえで大切なのは話

すことよりも聞くことと言われてる。

 

人がつらい時は優しい言葉をかけられるほどうれしいことはない、

しかし相手に対して優しい言葉をかけれない時は「何もいわない」

ことかもしれない、ただじっと相手のいうことに静かに耳を傾け

る、ひたすら聞く、相手の気が済むまで悩みを聞く。

 

人は相手から受け入れられることで大きな力を得る、言葉でなく

も表情でも何かのひとつの励ましになるはずである、相手にじ

っと寄り添うことで話すよりも相手の心に響くと信じたい。

 


酒を飲むと本音が出る!?

2021年10月30日 | 人間関係

酒を飲むと本音が出ると言われる、確かに酒の勢いを借りると、

それほど親しくない人間とも盛り上がることがある、普段言えな

いことも自然に出て人間関係が上手くいく効果があることも確か

である。

 

だから職場でも友人同士でも飲み会は盛んである、ただサラリー

マン時代を振り返って見ると酒を飲むと本音が出るのは本当かな

?と思うことがある、会社の人間関係が強固に見えるのは個人の

感情を抑えて協力したり指示にしたがったり、心にもないお世辞

を上司に言ったりするのも飲み会の席であったりする。

 

 

しかし人間関係は飲みながら本音をぶつけあわないと深まらない

という旧時代の幻想はもはや賞味期限切れのような気がする、実

際飲まなきゃ人間関係は深まらないというのは違う、逆に飲むこ

とで何かのきっかけで険悪になったりケースだってある。

 

私は素面のときに本音を言うし、素面のときに言われたことを本

音だと思っている、だから昔の経験にこだわらず酒を飲む、飲ま

ないは関係ないと思っている。

 

 


定年後の人間関係に思うこと

2021年10月23日 | 人間関係

現役時代は利害関係もありビジネスライクなつきあいが多かったが

定年後は人の都合に無理にあわせることもない、しがらみを捨てる

チャンスでもある。

 


いわゆる義理のつきあいの見直し時、そのためには「いい人」を辞

め断る勇気も必要である、老後の人間関係は序列のない世界、基本

的に上下関係がない、あったとしてもそれは絶対的なものではない

どうしても厭であればそこから抜け出せばいい。

 


定年後は友人を作りどんどん活動しよう、ボランティアで社会的つ

がりを持とう、働くことが生きがいの人は健康のため死ぬまで働

こう等の論調も多いが下手な人生論にふりまわされる必要などない

というのが定年後10年の私の実感である。



 人間関係は時間とともに変化するもの、以前親しくとも共通する関

事が異なり疎遠になってしまうことも多い、人づきあいも上手に

断捨離しながらお互い大切だと思う人とつきあいたいものである。

 


人間関係は減点方式より加点方式

2021年09月09日 | 人間関係

家族以外の人間関係はお互い知らないところからスタートして、

そこから親しくなり距離が縮まるなかでだんだん相手の知らな

い部分が減っていく、それとは逆に家族関係はお互いがよく知

ってるつもりからスタートして成長するにつれ距離が生まれ、

親子きょうだいといっても実際よくわからないところがでて

きたりするような気がする。

 

また人間関係で自分のことをこのように見て欲しいと思ってる

のに全く真逆の判断をされることがある、それはどんな身近な

人でも自分と全く同じ考えや価値観ではないということ、20

年来、30年来のつきあいだといっても自分と相手は違う存在

だということである。

 

人とのコミュニケーションを考えたとき自分とは異なる他者と

つながりであるという前提から考えるのがいい、いわゆる減

方式でなく加点方式で人間関係を考えたいものだ。


ウマが合う人合わない人

2021年08月25日 | 人間関係

好感のもてる人、どうも好感のもてない人、私たちは、そういう

好き嫌いの尺度で判断することがある、それがいいことか悪いこ

とかといえば悪いことかもしれない、それでもそういう尺度で人

を見るのが人情というもの、この好き嫌い、誰の経験のなかにも

あるもの、私たちはこの直感的判断によって左右される。

 

 

 この感覚はどんなふうに形成されるのだろうか、きっと容貌だけ

でなく、その人が発散させている雰囲気から判断すると思う、だ

から第一印象がよく好感が持てれば打ち解けるのが早いし、そう

でなければ遠ざかる。

 

 

 この好き嫌いを克服するには、やはり話しあうことで変化する場

がある、実際苦手だと思った人が話し合うことで友人になるこ

とがある、趣味でもない、かといっても価値観というほどでもな

い、利害関係がからまないでウマが合う人、不思議と一緒にいる

とほっとする人、同性異性に限らずいるものだ、だから幾つにな

っても人との出会いは大切にしたいものだ。

 


人間関係は変わるけれど

2021年06月13日 | 人間関係

年を重ねると人間関係は変わる、 相手が去っていく、その場所

から私が去っていく、その人の居場所がずうっと私のなかにな

かった人、必要としなかったし必要とされなかった関係、途中

もっとメンテナンスをしてればと悔やまれる人、もう会わずに

終わる人間関係、人生を振り返ってみるといかに多くの人と疎

になってしまったと実感してる。

 

それでも会わなくても変わらない関係がある、会わなくても自

分の心の中で変わらない存在感を持つ人、大事な存在である人、

そういう人は私のなかでの信頼感は変わらない、そういう意味

では会う、会わないだけで親密度を測ることはできないかもし

れない。

 

時々そういう人に心のなかで語りかけてる自分がいる、それこ

そ私のなかでは変わらない人間関係だと思いたいし、そう思わ

れる人間でありたい。

 


長くつきあいたい人

2021年05月28日 | 人間関係

人間関係は流動的で時間ととももに変わるものである、5年前に

気が合った人と今も合うとは限らない、果たして自分にとって

必要なつきあい、いわゆるつきあいたい人、つきあいたくない人

とはどんな人だろうか?

 

私にとってつきあいたい人の基準は一緒にいて居心地がいいかと

いうのが基準になる、逆につきあたくない人は一緒にいて居心地

の悪い人である。

 

会うと元気になる、一緒にいると安心できる、くつろげる、癒さ

れる、楽しい、勇気づけられる、そして大切なのは無理に話そう

としなくても場がもつ、こんな人とは長くつきあいたいものだが

なかなかいないものである。

 


わかっているようでわからないのが人間関係

2021年03月24日 | 人間関係

わかってるようでわからないのが人間関係、わかっているのは表面

的なこと、食べ物や好み趣味スポーツ、いわゆる自己紹介的なもの

その人の本質でもない単なる好みや行動パターンにすぎないことが

結構あるものだ。

 



例えば職場の仲間であっても今思い起こせば、何年も一緒に仕事を

て考え方や悩みを聞いたり価値観を共有できる人間はそんなにい

ないもの、知ってるのは案外人づてに聞いた話でその人のことを知

ったつもりになってることがよくあるものである。

 



また人間の行動や考え方は変化するだけにさらにわかりにくい、い

ゆる置かれた立場によって物の考え方に変化が生まれることがあ

る、そもそも自分自身でさえ理解できないことがある自分というも

のを他人が根本的に理解することなどできないかもしれない。

 


誰もがいい人と思われたいけど

2021年02月21日 | 人間関係

悪く思われるよりよく思われたい、誰もがそう思うのは明らかで

る、人は往々にして必要以上によく思われたいという傾向があ

る、いい人に思われたいというのは他人からいい人だと評価して

欲しい、しかしいい人でいようとすると余計な気を遣う。

 

人間関係が絡むと自分の気持ちが見えにくい、人間関係を優先し

ようとするため自分の気持ちに目をつぶってしまう、要はいい人

と思われたい気持ちが強いのだ。

 


本当は他人の目を気にして、いい人になんかならなくていいので

ないか、他人の期待に応えるより自分の期待に応えたい、いい

人と思われるより自分が納得できるいい人でありたいと私が思う

ようになったのは会社を定年退職して数年経ってからである。