団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

食べれるだけ幸せかもしれない

2022年01月11日 | 健康

食べたいものが食べれないのはつらいものである、15年前に

大腸憩室炎で入院して以来、腹痛に悩まされることが多い、年

々食が細くなり満腹感を味わうことなどなくなった、焼き肉、

アイスクリーム、チョコレートなどは好物だけど体が受け付け

なくなった。

 

痛みの感覚はなかなか理解してもらえない、CTで検査、点滴、

飲み薬をもらって食事制限とこの10年間はおなじようなこと

を繰り返してる、年間2万人ほどの患者数といわれるが、人間

は痛みのまえでは打ちひしがれ、謙虚になることは間違いない。

 

満腹感を味わうこともないものの何とか普通に食べれてる、し

し世の中には食べる楽しみを奪われ闘病生活を送ってる人た

ちが大勢いることも確かである、その人たちのことを思えば私

の悩みなど贅沢、不安はあっても食べれるだけ幸せかもしれな

い。


定年後の静かな世界

2022年01月10日 | 定年後の生活

定年退職して10年、人と会うことも激減、行動範囲も大幅に

小し時間だけが過ぎていく毎日、一日一日にメリハリはない

ものの世間の波風から離れ自然に穏やかになったのを痛感し

る毎日である。

 

物欲もあまり関係なく人にも執着しない、かつての人間関係も

互いが面倒だと思ったりして連絡が途絶えると自然に関係は

消滅してしまうのが現実、とっくに人間関係のピークは過ぎた

のかもしれない、だからどこかで偶然会ったり奇跡的に再会し

ないかぎり復活することはない。

 

 ただ私自身定年後のこんな静かな世界を求めていたのかもしれ

ない、何をしてもいい自由、何もしなくてもいい自由、至福な

時間というわけでもないが、私にとっては気分が落ち着く心地

のいい定年後の静かな世界である。


幸せな年金生活を送るためには

2022年01月09日 | 年金生活

日本で年金受給してるひとは4千万人、そのうち基礎年金で暮ら

している人は約1千万人、基礎年金は満額でも月約6万5千円で

ある、そこから下流老人が6百万人から7百万人いると言われて

るのかもしれない。

 

しかし高齢者の資産、特に預貯金の実態はわからない、基礎年金

しか受給してなくても預貯金が1億円という人もいる、特に事業

をやってる人の中には成功して資産を持ってる人がいるが基礎年

金しか加入してないケースが多々ある。

 

実際年金も多く資産も多いほうがいいに決まってる、特に年金生

活に入った場合身にしみて感じることは確かである、しかし預貯

金が5百万円の人と1億円の人がいた場合、1億円の人が5百万

円の人の20倍幸せかというと、そんなことはないはずだ。

 

幸せな年金生活には健康が大切、病院通いとなると医療費だけで

なく色々かかる、さらに食べたいものが食べれない、足が悪く行

きたいところに行けないとなると楽しみが減ることは確かである、

やはり治療より予防である、そしてお金の多寡より日常のなかに

小さな楽しみや幸せを見つけることが上手な人ほど豊かな年金生

活を送れるような気がする。

 


ひとりの時間も悪くはない

2022年01月08日 | 孤独

孤独という言葉はどうしてもマイナスのイメージがある、孤独だ

と寂しい、仲間外れ、疎外されてる等、だけど、ひとりの時間と

考えてみたらどうだろう、音楽を聴く、映画を観る、本を読む、

料理をするなどはひとりの時間だ、ひとりでいる時空が最も安ら

ぐことだってあるはずだ。

 

誰かと一緒にいなければ幸せになれないわけではない、ふだんは

ひとり、そうすると会いたい人と会う喜びが増すもの、ひとりで

あることが不幸なのではない、ひとりであることに耐えられない

ことが不幸のような気がする、老後は特にそう思う。

 

誰にも気兼ねなく、誰にも気をつかわず、ひとりの時間を楽しむ

この感覚を大切にしたい、そうするとひとりの時間も悪くはない

と思えるものだ。


長い人生不安はあるけれど

2022年01月07日 | 生き方

人生は長い旅、しかし明日のことは誰もわからない、明日がく

るかもわからない、長い旅のなかで何が起こるかわからないの

が人生だ、例えば一寸先は闇という言葉がある、今がよくても、

ある日状況が変わって悪くなることである。

 

に齢を重ねると不安がつきまとう、健康やお金の問題は

である、もし自分や家族が入院するような病気になったら、

婦のどちらかが認知症になったら、介護状態になったら、コロ

ナ禍の終息はいつになったら、大震災などの災害がきたらどう

しよう、考えたらキリがない。

 

でも一寸先は闇ということはいつか闇がくるということで、闇

くるまでは光が射しているということだ、それまではその光

中の日常を淡々と歩けばいい、もし闇がきたらその時こそ真

に考えよう、どこかで好転することを祈りながら精一杯生き

しかない。

 


友だちはいたほうがいいけれど

2022年01月06日 | 人間関係

この1年間はほとんど人と会っていない、かといって人が恋しく

なることもなかった、自宅には家族がいるので日常の会話は普通

だったし、決して鬱になることもなく過ごしてきた、だから誰か

に会いたいと思ったことはなかった。

 

決して人間嫌いになったわけではないが、人と会わなくてもよい

というこの状態が快適というほどではないが居心地がいいことは

確かである、今は便利な世の中でパソコンやTVなどひとりで楽し

めるものがあるので人と会わなくても退屈することはない。

 

日々、人間関係は変化するもの、永続的に保証された友人関係な

どないものである、確かに友だちはいたほうがいい、かといって

いなくても生きて行ける、心理的負担になるような友だちならい

らないと思っている。

 

 


言葉のうらみは恐ろしい

2022年01月05日 | 言葉

人間関係というのは言葉を通しての関係であり人間関係をむすび

つけるための工夫である、反面言葉のうらみは恐ろしい、昔言わ

れた言葉に傷ついて、ずっと続くと思えた友情が一瞬でこわれる

こともある。

 

人間は自分の言ったことを覚えてないが、言われたことは覚えて

いるものだ、例えば私の妻が30年以上前に私の母に何気なく言

われたひと言を不快に思い、いまだに鮮明に覚えていること、そ

れだけ人の口から発せられた言葉は力があることは間違いないと

いうことである。

 

言葉のうらみは恐ろしい、逆に人を救う言葉だってある、だから

こそ自分が使う言葉の重みをいつも心の隅で自覚することこそ大

切なのかもしれない。

 


群れの中の一匹の羊であるより

2022年01月04日 | 生き方

「群れの中の一匹の羊より、孤独な狼でありたい」は蝉しぐれ、

たそがれ清兵衛等で知られる人情小説家で有名な藤沢周平氏

(1927~1997)の言葉である、人生の本質はつらく、

人間は孤独であると自らの体験から出た人生観である。

 

また「生きている痕跡をだんだんに消しながら、やがてふっと

消えるように生涯を終えることが出来たら、しあわせだろうと

時どき夢想する」という言葉を残している。

 

郷土山形県鶴岡市をこよなく愛しつづけた藤沢周平氏、彼の人

間性が下記の藤沢家の6ヵ条に如実に表われており私にとって

共感できる大切な言葉である。

 

1 普通が一番

2 挨拶は基本

3 いつも謙虚に感謝の気持ちを忘れない

4 謝るときは素直に非を認めて清く謝る

5 派手なことは嫌い、目立つことはしない

6 自慢はしない


平凡な人生もいいもんだ

2022年01月03日 | 生き方

行動するということは現状を変えるということ、行動しなければ

なにも変わらない、確かにじっとしていればすべては平穏で多少

居心地が悪くても安心して生きていける、多くの人はこんな感じ

で生きている。

 

だから行動する、現状を変える、ちょっとした冒険をしようとす

る、しかし下手をすると人生がつぶれてしまう、家族のことも考

える、今こそやるべきだ、行動すべきだ、と思っても予期される

危険があまりにも大きいことがある。

 

だからもう一歩というところで、せっかくの決心を行動に移せな

い、私も長い人生のなかでそういう局面があった、もし行動に移

していればと思うこともあるが、行動しなかった自分、行動でき

なかった自分、それこそ平凡な人間の人生なのかもしれない、そ

れでも最近では平凡な人生もいいもんだと思えるようになったこ

とは間違いない。

 


4つの当たり前に感謝

2022年01月02日 | 老後の生き方

健康というものは人間の活動のすべての源である、特に老いる

と健康が生活のすべてを支配するといっても過言ではない、機

能も美貌も知能レベルも体力も衰える、病気になると、てきめ

ん自信を失い気持ちも、内へ内へと向かっていく。

 

実際加齢というのは誰にとっても望ましいことではない、当た

り前のことが当たり前にできなくなるからである、だから、歩

けて当たり前、食べれて当たり前、眼が見えて当たり前、耳が

聞こえて当たり前、これだけの当たり前が何とかできてる、

4つの当たり前ができてることに今は感謝しかないと思って

る。