読書日記

いろいろな本のレビュー

「論語」再説 加地伸行 中公文庫

2009-04-18 14:23:15 | Weblog

「論語」再説 加地伸行 中公文庫



 儒教の宗教性を日本の読者にいち早く知らしめたのは加地氏である。日本の葬式の伝統は仏教のものではなく儒教のものである。日本仏教の儀礼は、年忌という命日や、位牌などといった儒教の祭礼に関する儀礼を盛んに取り入れ日本の中に根付いていったのであると。これまでは儒教といえば、「論語」に代表されるように、死を説くのではなく、現世、それも政治の世界を説くもの、また「礼記」のように日常の礼儀作法を説くものという説明がなされてきた。実はこの考え方は儒教の一断面しかとらえていないのだ。
 著者によれば、一、孔子以前の儒(原儒)の土俗宗教性、二、孔子の説く儒教の宗教性・哲学性、三、孔子より数百年後の漢代に始まり、ずっと後まで続く(政治的性格の強い)経学の三者を区別しなければならない。世上よく知られているところの、天下国家を論じる経世致用の儒家とは、実は三の経学を学んだ人々のことである。経学とは、秦の始皇帝がたまたま行った焚書坑儒という伝説的事件をダシにして、秦王朝から漢王朝へと移るときに完成される中央集権的皇帝制の理論に合うよう、新史料をたくさん作り出しては、いずれも焚書以前の古い書物だと吹聴し、一、二の古代儒教を改変して登場したグループを一つの軸とするところの、現実政治理論である。個人に関わる死の問題などは蹴飛ばして、つとめて国家に関わる経世致用を説いた内容であり、この経学が、後の人に儒教として理解されてゆく。しかもそれは、十二世紀の朱熹によって、さらに一層宗教性を薄め、政治性・礼儀性(道徳性)を強くしたためである。その結果、十二世紀以後、道徳的な礼儀秩序中心の政治主義的儒教が一層東北アジア一帯に普及する。そうした朱子学的経学によって儒教を見ている人は、原儒や孔子の儒教における宗教性が見えなくなっているのであると。まことに明快な説明と言わねばならない。
 朝鮮儒教の儀礼性はまさに朱子学によってもたらされたものであるし、孔子の伝記を読めば、原儒としての宗教性は明らかだ。今まではこの三点を総合的に見る視点が欠けていたのである。その意味で加地氏が儒教の宗教性を説かれた意味は非常に大きい。本書を導入として氏の「論語」(全訳注 講談社学術文庫)を読まれることを勧めたい。目からウロコの新見解がたくさんあって、飽きさせない。

アメリカの宗教右派 飯山雅史 中公新書ラクレ

2009-04-18 11:29:44 | Weblog
 アメリカは世界中で突出して宗教的な国だということは案外知られていない。有名な大学、ハーバード、コロンビア、プリンストン、ジョージタウン等々が、キリスト教の団体が設立したものであることからもわかる。その中で今、宗教右派と言われる勢力が、アメリカの政治に大きな影響を与えつつある。彼らは基本的に共和党の支持者で、大統領選の候補者に、人工妊娠中絶と同性愛に対する立場の表明を迫ってきた。もしこれに賛成と言おうものなら、たちまち不支持が表明されるのである。また進化論に対する嫌悪感も非常に強い。要するにアメリカの保守的思想集団である。彼らはアメリカの政治を動かす大きな力を持っている。オバマ大統領は民主党で、民主党は本来は宗教に冷淡だったが、右派の代表である福音派の取り込みに力をいれはじめている。本書は清教徒革命から現代に至る、アメリカのプロテスタントの歴史を政治との関連で俯瞰したものである。
 1920~1930年代にプロテスタントの大分裂が起きた。これは進化論など近代科学を受け入れる「近代主義者」と、それを拒否して聖書を字句通りに解釈する「原理主義者」の大論争がきっかけだった。結果は近代主義者が勝利して、敗れたほうは独自路線を歩みはじめて原理主義派となった。一方で原理主義にもついて行けず、新たな穏健派を作った者がいた。彼らは、福音派と呼ばれることになった。そして、論争に勝利して、主要教派の主導権を握った近代主義者たちは、多数派で主流派と呼ばれるようになった。主流派プロテスタントは全米キリスト教会協議会(NCC)を作り、福音派プロテスタントは全国福音派教会(NAE)と各種原理主義団体(ACCなど)とペンテコステ派独立教会で構成されている。
 この福音派は行き過ぎたリベラルに対して常にチェックする機能を果たしてきたが、彼らが運動目標としてきた「人工妊娠中絶の禁止」や「同性愛結婚禁止の憲法修正」「公立学校での祈りの復活」などは一つとして実現はしていない。逆にこうしたテーマで国民を分断し、対立を煽ることによって運動の勢いを維持してきた宗教右派の、過激で攻撃的な言葉が、耳障りに聞こえてくる時代になってきたと著者は言う。人種の坩堝アメリカがキリスト教の一派に道徳・規範を主導されたら、これも問題だ。無神論者が気楽に生きていける共同体がなくなることは大変危険である。神の国アメリカのゆくえはいかに。