読書日記

いろいろな本のレビュー

愛と欲望のナチズム 田野大輔 講談社選書メチエ

2012-12-31 09:38:59 | Weblog
 田野氏には『魅惑する帝国ー政治の美学とナチズム』名古屋大学出版会、2007年)という大著があり、この欄でも取り上げた。ナチスによる人民統制の方法を、主にニュルンベルグの党大会にスポットを当てて、人民をブロックのように型に嵌めていくなかでヒトラー総統に忠誠を誓わせるメカニズムを分析した好著であった。今回はナチズムの「性ー政治」を考察することで、この運動の危険なダイナミズムの理解を深めようとしている。
 ナチスのもとでは、婚前の純潔と家庭生活の再建を求めて、保守的な道徳家たちが熱心に自説を展開していた。ゲアハルト・ラインハルト・リッターは『ドイツ民族教育における性の問題』で、「ドイツの血の唯一の守護者」である家族を強化するため、「人種的・民族的な性の純潔」に立ち戻る必要を説いていたが、一方で健康で豊かな性生活の実現をめざす医師や教育者の啓蒙活動が展開され、部分的には「性の解放」へ向かうような価値観の変化が生じつつあった。
 その後、人口政策と人種衛生の広報機関である「ナチ党人種政策局」は子どもの性教育を中世宗教的リゴリズムから解放する必要があるという認識のもと、実践されていった。オッケルからシュルツへと性生活の効用が説かれ、性愛の喜びを率直に肯定する言説が広がっていった。
 その一方でナチス親衛隊長ヒムラーはこの精鋭部隊に受け継がれている優れた血を維持することで、北方人種の未来永劫の存続を確保しようとして、隊員の同性愛禁止と人種的に価値ある健康なドイツ的家族を築くための当局の介入を推し進め、産めよ増やせよを奨励した。その動機付けのために女体の美しさを賛美し、裸体文化を称揚した結果、ヌードが氾濫した。その中で売春は制度として内向し、兵士の慰安のためのものとなった。このような「性の解放」がナチスの権力を裏から支えていた。
 著者は、「ヒトラーの演説が聴衆の間に激しい興奮とエクスタシーをもたらしたこと、総統と聴衆の間に感情を揺さぶる性愛的な関係が成立していたことは、同時代人の目には明らかだった。ヒトラーは結婚を避け続けたが、その理由は自分の伴侶はドイツ民族であり、日陰の愛人(エヴァ・ブラウン)邪魔な存在でしかないという認識があったからだ。この男が最後に求めたのは、一緒におとなしく死んでくれる相手だったが、彼が国民に要求したのも、破滅までの無条件の帰依と忠誠だった。ドイツを道連れに死へ赴いた独裁者の末路は、性愛化された権力が甚大な災禍をもたらしうることを示している」と結論しているが、なかなか見事な分析である。愛と欲望がナチズムの原動力だった。振り返って、この前の総選挙。あの投票率は熱狂とはほど遠い。逆に言うとそれが国民の冷静さを示すメルクマールになっているのかもしれない。
 因みに、ヒムラーの優生人種政策にヒントを得た『ナチの亡霊 上・下』(ジェームズ・コリンズ 竹書房文庫)が面白い。ナチ残党が遺伝子操作で強力な生命体を作り出して、世界を制覇しようとするが、アメリカ国防総省の秘密特殊部隊が阻止するという話。特に最初の100ページはわくわくする展開だ。