読書日記

いろいろな本のレビュー

ホンコン・マカオ紀行 

2013-01-06 15:18:18 | Weblog
 最近ブログの頻度が落ちているが、身辺の雑事に忙殺されていることが主な原因である。旅行もその一つの要因であるが、今回その責めを負うべく旅行記を書くことにした。昨年12月21日から24日まで、ホンコン・マカオに行った。ホンコンは二度目、最初は返還前の1996年、マカオは初めて。第一に感じたことは、人間の数がやたら多いこと。おそらく返還後、大陸から多くの中国人が流入したのであろう。中国人以外の外国人も多い。そのために観光客用の店やホテルも沢山建っている。宿泊したのは、ハイアット リージェンシー香港 チムサーチョイのハーバービュールーム。対岸の香港島が一望できる。このホテルは新しく、ひときわ目を引く高層建築だ。エレベーターはルームカードがなければ動かないシステムになっている。これは人口の増加による治安の悪化を懸念したものと言えるだろう。
 部屋から見える老舗のペニンシュラホテルは健在だが、周りに立派なホテルが林立していることもあって、少し色あせた感じがしないでもない。しかし、午後2時からのティータイムは盛況で、入場を待つ人の列の長さは驚異的、一時間半待ちと言う。これではイーヴニング・ティーになってしまうので諦める。前はこれほど混むことはなかった。香港の大陸化は徐々に進行しつつある。
 以前は香港から広州へのオプショナル・ツアーがあったが、今は少ない。当時は香港から大陸に入ると確実に差があった。大陸には人々の笑顔が無いのである。日々の生活が苦しく、笑っている暇もなかったのだろう。香港の洒脱な感じとは明らかに違うと実感できた。しかしそのイギリス的なものは希薄になっている。夕食は人気の中華料理店で摂る。酢豚は日本のものよりカラッとしていて美味しい。夜は香港島へ渡り、ガイドさんの案内でビクトリアピークから夜景を楽しむ。ここも人が多い。俗化という言葉がぴったりである。フエリー乗り場には、法輪講に注意せよという横断幕がいくつも掲げられている。大陸の戦略を忠実に履行しようとする勢力が香港に存在することを証明している。かと思えば、露店の本屋には、共産党に批判的な雑誌も多く並べられている。その代表的なものは『争鳴』で、返還前から反共産党のスタンスだったが、今も変わらない。30香港ドル(400円)で買う。日本で買うと1000円はする。ぼったくりもいいところだ。中身は習近平体制の批判で、活字も簡体字ではなく、台湾と同じ繁体字である。あと30年して、大陸の政治体制に飲み込まれたとき、これらの言論を尊重する体制になっているだろうか。はなはだ疑問である。
 二日目、長女は友人の結婚式出席のため、山の手のとある教会へ。家族一同タクシーで同行する。香港の上流階級は子女をアメリカの大学へ行かせることが多いという。家では英語を話すそうだ。この階層の人々にとっては共産主義政権は脅威ではないかと推察する。蟻のように群がって押し寄せてくる中国人たちを見て、どのような感慨を持つのだろうか。
午後、黄大仙という道教寺院へ。現世利益を願う善男善女が大勢参拝している。夕刻、女人街へ。人が多くてなかなか前に進まない。日本では見たこともない人の群れである。これで治安が保たれているのだから香港警察はすごい。相当厳しい取り締まりをしているのだろう。その証拠にホームレスの姿が街にはない。どこかにまとめて収監されているのだろう。そのへんの事情が知りたいものだ。
 三日目、高速フエリーでマカオへ。乗り場はハーバーシティーというショッピングセンターになっていて混雑している。乗り場はこちらという親切なおじさんについて行くと、ある旅行社のチケット売り場に案内された。正規の売り場はどこかと探す。ダフ屋見たいな人が手に切符を持って営業している。めいめい勝手な値段で売っているようだ。いかにも中国という感じだ。娘たちに買ってもらって乗り場へ。大変な混雑。まるで引き上げ船(乗ったことはないが)のようだ。大きな荷物を持った中国人の団体が乗りこんでくる。マカオまで1時間だが、彼らはずーと席から立って海を見ていた。内陸部の農民らしい。傍若無人を絵にかいたようだ。香港の若い女の子が文句を言っていたが、聞き入れる気配はない。この人たちが、中国共産党を支えているのだろう。日頃農村で頑張っているので、ホンコン・マカオの旅行で息抜きをさせて貰っているのかもしれない。昔の農協主催の外国旅行みたようなものだろう。降りるとき税関で、この団体の女性の荷物にトイレットペーパーがあるのを発見した。香港土産がトイレットペーパーかよ。昭和40年代の日本だな。到着後、シャトルバスでコタイ地区へ。ここは埋立地でホテルとショッピングセンターがある。海が茶色く濁っている。大河の河口でもないのに。環境汚染もけた違いだ。そこで人々はカジノや買い物にうつつを抜かす。なにか埃っぽくて好みに合わない。虚栄の市とはこのことか。ヴェネチアの街角を再現したザ・グランド・カナル・ショップスは噴飯もの。でも、妻と娘たちは楽しそうだ。昭和40年代に阪急の地下とかで客寄せのために水を流していたのを思い出した。懐かしい。ここは空もスクリーンで青く描いている。フードコートでラーメンを食す。混乱の極み。
 再び本島に戻って、セントポール天主堂跡へ。参道はほぼ女人街状態。中国人たちは遺跡より買い物に興味があるようだ。それと写真。高台からマカオの下町を見る。一部スラム化している。向こうは広東省珠海市だが、向こうの方が発展している。早めの便で香港に帰り、夜はよせ鍋で最後の夜を楽しんだ。
 今回香港で感じた「ひといきれ」は日本では体験できないものだった。発展途上の熱気とはこのことだろう。これに比べれば日本の街は死んでいるに等しい。