読書日記

いろいろな本のレビュー

生麦事件(上・下) 吉村昭 新潮文庫

2014-01-06 11:32:17 | Weblog
 生麦事件は文久二年(1862)八月二十一日、島津久光の行列が横浜の生麦村にさしかかったとき、イギリス人四人(内一人は女性)が馬に乗ったまま行列の前を通過しようとしたのを、従士が非礼であると怒って切りかかり、一人を殺害、他の者にも重傷を負わせた事件。翌年イギリス軍艦の鹿児島砲撃(薩英戦争)の原因となったが、幕府は責任を負い、償金10万ポンドをイギリスに支払った。この事件で幕府の財政は逼迫し、滅亡の速度を速めたと言える。本書は事件の発生から、薩英戦争、薩長同盟に至るまでを詳細に描いて、歴史小説の醍醐味を味わわせてくれる。
 騎乗したイギリス人たち(当然彼らは大名行列に出会ったときの作法は心得ていない)が久光の行列に邂逅するまでの様子、行列を目の当たりにした時の戸惑い、久光の家臣の目、抜刀して切りつけるまでの緊張感、すべてが映画のように可視化される。映画「ジョーズ」の冒頭を思わせる。緊張感を徐々に盛り上げていく技法は、著者の名作『羆嵐』でも使われていた。明治時代、北海道の天塩山系の開拓民の村がヒグマに襲われる悲劇を描いたものだが、村人の一人また一人と熊に襲われ連れ去られる恐怖の描き方は素晴らしい。妻を食い殺され、髪の毛の一部しか残っていないのを見つけた男の言葉、「おっかあが、少しになっている」は読む者に衝撃を与える。吉村昭の代表作たる所以である。
 彼の作風は登場人物に極力、余計な発言をさせないで地の文章を大事にしているところだろう。その地の文は広汎な資料の読み込みに支えられているので、作品全体が非常に品格がある。司馬遼太郎の歴史小説との違いはその辺にあるのではないか。司馬氏の小説は吉村氏のと比べるとずっと通俗的というか、読みやすい。ストーリーに沿って司馬氏の歴史的な蘊蓄が披露されることが多いが、それは、『街道をゆく』のパターンである。ある土地を訪ねてその地にまつわる歴史的な蘊蓄を披露するというものだ。最近、朝日文庫版で数冊読んだが、わかりやすい歴史事典のような感じだ。ときどき独断と偏見が垣間見られるのは御愛嬌か。吉村氏の場合はそういうことはなく、時系列にそって淡々と話が進行する。非常にストイックである。
 本書の後半、攘夷一辺倒の長州藩と公武合体の薩摩藩、水と油の両藩が協同して倒幕に向かう所の記述は、歴史のダイナミズムを描いて圧巻である。著者が鬼籍に入られたのが誠に残念である。