読書日記

いろいろな本のレビュー

生き物の死にざま 稲垣栄洋 草思社

2019-11-24 08:54:02 | Weblog
 本書のリードに「限られた命を懸命に生きる姿が胸を打つエッセイ」とある。実際本書はよく売れているらしい。兼好法師は「徒然草」で、死は背後から忍び寄って来るもので、多くの人はそれに気付かずのほほんと暮らしていると言っているが、死は突然やって来ることが多い。自然界の生き物は自分の死について思索することはないだろうから、死についてもとりわけ特別な感傷を持つこともない。従って生き物のはかない一生を見て可哀そうになあと思うのは人間の一方的な思い入れで、彼らはそれほどウエットではない。
 自然界の生き物の役割は子孫を残して種の保存をはかることで、それが終われば死ぬ定めだ。

 冒頭にセミの一生が紹介されている。セミは幼虫時に七年程地中で過ごす。多くの昆虫は短命であるのにどうしてセミは何年間も成虫になることなく、土の中で過ごすのか。詳しいことは判らないと述べたうえで著者曰く、「植物の中には、根で吸い上げた水を植物全体に運ぶ導管と、葉で作られた栄養分を植物全体に運ぶ篩管があり、セミの幼虫は、このうち導管から汁を吸っている。導管の中は根で吸った水に含まれるわずかな養分しかないので、成長するのに時間がかかるのである」と。

 そして成虫になってからは一週間程度の命と言われているが、最近の研究では数週間から一カ月程度生きるのではないかとも言われているが、ひと夏だけの短い命である。子孫を残さなければならない成虫は効率よく栄養を補給するために篩管液を吸っている。篩管液も多くは水分であるため、栄養補給のために大量に吸わなければならない。そして余分な水分をおしっことして体外に排出する。これがセミ捕りの時によく顔にかけられたセミのおしっこである。

 オスのセミは大きな声で鳴いて、メスを呼び寄せる。そして交尾してメスは産卵する。これがセミに与えられた役目のすべてである。そして著者はまとめて言う、「繁殖行動を終えたセミに、もはや生きる目的はない。セミの体は繁殖行動を終えると、死を迎えるようにプログラムされているのである」と。

 この「プログラムされている」という言葉は非常に印象的で、昆虫の多くはこの定めに従って生きている。最後の交尾に至るまでに他の生き物に捕食されてしまう個体も多いので、ここまでたどり着くのは並大抵ではない。サケの遡上のようなものだ。でもそれはセミの運命であってそこにセンチメンタリズムが入り込む余地はない。セミを含めて昆虫にはあるいは人間以外の生き物には「老後」というものはない。

 後半に「草食動物も肉食動物も最後は肉に」という項で、ライオンとシマウマの話が出てくる。ライオンはシマウマを捕食する。いわばシマウマはライオンの餌である。食われるための存在しているようなものである。ところがライオンも歳をとるとジャッカルやハイエナの餌食となる。アフリカの草原では年老いた個体は存在しない。みんな食われてしまうのだ。「最後は肉に」の実態である。このアナロジーでいうと人間の「老後」問題もそれほど大した問題ではない。静かに死を待つだけである。まだ食われないだけましかもしれない。その意味で本書は「人間でよかった」という安心感をあたえるがゆえに、多くの人に読まれているのだろう。

 セミ以外に、ハサミムシ、サケ、アカイエカ、カゲロウ、カマキリ、アンテキヌス、チョウチンアンコウ、タコ、マンボウ、クラゲ、ウミガメ等々、今まで知らなかった生き物の生態が満載の好著である。