読書日記

いろいろな本のレビュー

荘園 伊藤俊一 中公新書

2021-11-30 09:45:37 | Weblog
 「荘園」というと、「墾田永年私財法」や「不輸不入の権」ぐらいしか思い浮かばないが、日本史学会では結構厄介なテーマであるそうだ。本書は墾田永年私財法から750年余りにわたる荘園の歴史を述べたもので、その時々の政治権力が行ってきた土地政策の諸相がリアルに浮かび上がってきて、大いに参考になった。

 荘園について、山川出版の『日本史B用語集』にはこう書かれている。「古代・中世における土地支配の一形態。成立事情からみて8~9世紀のいわゆる初期荘園と11世紀以後の本来的な荘園(中世荘園)とに分けられる。前者は中央権力者が律令体制の下で形成したもの。後者は地方豪族らが中央権力者と結合して成立した寄進系荘園(領域型荘園)が主で、他に雑役免(ぞうやくめん)系荘園もあると。本書はこれを270ページにわたって説明したものだ。

 以下私が興味を持った部分について紹介する。一つは「負名制」である。九世紀後半に天災が続き、律令制が基盤としていた古代村落が解体し、郡司を務めた古代豪族も力を失うと、摂関期の朝廷は国司に権限を委譲し新たな事態に対処させた。国司(受領)は国内の耕地を「名」(みよう)に分けて、それぞれの名の耕作と納税を負名(ふみょう)と呼ばれた農民に請け負わせた。この仕組みを負名制という。負名になった有力農民は田堵(たと)と呼ばれた。負名制の下では、国司や荘園領主が毎年春先に田地の耕作者を決める散田(さんでん)という作業を行った。決定した田地は耕作と納税を請け負った田堵の名前で呼ばれた。田堵は名を請け負う際に、実名ではなく屋号のような仮名(けみょう)を名乗った。仮名には稲吉・稲富・永富・益富・富永・久富・得冨・富田・豊田など、豊作と富貴を連想させる名前が好んで使われた。これが日本人の名字に使われている。お名前の歴史として一つ勉強になった。

 二つ目は「官省符荘」である。実は私の実家の近くに「官省符荘神社」(和歌山県伊都郡九度山町)というのがあって、なんか変わった名前だなあと思ってたが、本書に説明があった。国司の裁量で認可された荘園を国免荘というが、四年の任期で国司が交代すると、前任の国司が行った決定がいったん無効になるため新国司に対して今までの既得権益を継続することを願い出たが、新国司は自分の裁量を主張するということでいろいろ面倒なことが多かった。これに対して国免荘よりも安定した荘園があった。それは中央政府が特定の荘園について所有権と税の減免を決定したことである。この決定は太政官から民部省を経て国司に伝えられたため、この措置を受けた荘園を太政官と民部省の命令書である「符」があたえられた荘園という意味で官省符荘という。官省符があると、国司が交代しても命令を尊重するので、官省符荘は国免荘よりも強い権利を持った。官省符によって認められた官物の免除を不輸の権という。律令で寺田・社田は不輸租と定められていた伝統を受けて、官省符は寺社領荘園に与えられることが多い。1049年に高野山の麓に成立した金剛峯寺領の、その名も官省符荘(和歌山県橋本市)が有名だ。また官省符荘では国司の検田を免除することを命じた。これを不入の権というとある。これで長年の疑問が解けた。また近くに京都神護寺領のかせだ(笠田)の荘もあり、実家周辺は「荘園」と縁が深いことを改めて実感した。

 三つ目は、気候変動から荘園のありようが変わるということである。本書では13~15世紀の飢饉の様子を降水量と気温のデータをもとに説明しているところが類書にないところで、斬新だ。飢饉によって年貢が納められず逃げ出す農民。追い詰められて武家代官を排斥する一揆を起こす農民。この気候変動のリスクは現代も続いており、我々の生活の中の不確定要素として軽視できない。ともあれ本書によっていろんなことが学べた。