読書日記

いろいろな本のレビュー

カティンの森のヤニナ 小林文乃 河出書房新社

2023-06-04 13:01:21 | Weblog
 副題は「独ソ戦の闇に消えた女性飛行士」。「カティンの森」とは「カティンの森事件」のことで、1939年ソ連のポーランド侵攻で捕虜になった22000~25000人のポーランド人がソ連のスモレンスク近郊のカティンの森でソビエト内務人民委員部によって虐殺された事件。これはスターリンの命令だった。殺されたのはポーランド軍将校が大部分だが、他に国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者がいた。ソ連側の思惑は、国家の中枢を担う高級軍人やインテリ層を抹殺することで、ポーランド支配を徹底させることにあった。処刑は銃殺によるもので、銃と銃弾はドイツ製を使用してドイツ軍の仕業に見せかけようとした。しかし、捕虜たちは「ソ連縛り」で後ろ手に縛られて後頭部を一撃されていたので、ソ連の所業であることは明らかだった。

 ドイツは1941年6月にソ連に侵攻し、1943年4月に「カティンの森で1940年4月頃虐殺されたと推定される多数のポーランド将校の射殺死体を発見した」と発表した。ソ連はドイツの仕業と一貫して主張したが、ミハイル・ゴルバチョフがソ連共産党書記長時代にポーランドと合同委員会で調査して、ソ連の非を認めポーランドに公式に謝罪した。さらには1992年10月にロシア政府は、ポーランド人2万人以上の虐殺をスターリンが署名し指令した文書を公表し、事件はソ連が実行者であることが確定した。

 この「カティンの森事件」事件で女性飛行士が犠牲になっていたことは本書で初めて知ったのだが、著者は彼女の人生をたどることで、改めて戦争の悲惨さを浮き彫りにしている。労作というべき書である。「ヤニナ・レヴァンドフスカは、1908年4月22日に、ロシア領の都市ハリコフで生まれている。彼女の父は、帝政ロシア・第一ポーランド軍の創設者で、後の大ポーランド蜂起の最高司令官でもあった。ポズナン飛行クラブに入会し、ヨーロッパでは女性初の高度5000メートルからのパラシュート降下に成功した人物尾となった。開戦3日目の9月3日、ヤニナはポズナン西駅から出征し、その行方不明となり、1943年にカティンの森で、多くの遺体とともに発見される。ヤニナ・レヴァンドフスカの殺害された日は彼女の32回目の誕生日だった。、、、、、、」これは「カティン博物館」で彼女の人生を紹介するナレーションだが、この素描に著者は本人はもちろん父や兄弟の履歴など、色彩を加えていく。

 ヤニナは1939年6月に三歳年下の男性とポズナンで結婚している。御年28歳。しかし80日間の結婚生活で別れ別れになってしまう。夫はナチスによって総督府域へと移動させられたが、幸いなことに戦後も生き残った。ヤニナはパイロットだったが、軍人としては一度も操縦桿を握らなかった。ソ連軍に捕まった時に将校という肩書だったために処刑の憂き目を見たようだ。ちょっとしたことが人生の分かれ道になる。このように死体となって発見された将校の一人一人にそれぞれの人生がある。それを掘り起こすことは非常に重要だ。大量虐殺の怖さは、死んだ人間が個人としての死を無視されることだ。それを具体化することで死は弔われる。今回の著者の行為はまさにこれを実行する営為であり、賞賛すべきものだ。

 「カティンの森事件」についてはポーランドの名匠、アンジェイ・ワイダ監督の映画「カティンの森」がある。ワイダ監督の父・ヤクプ・ワイダ大尉はこの事件で殺害された将校の一人で、無念の死への哀悼と平和への祈念が伝わってくる名作だ。捕虜たちは最初オプティナ修道院に収容されるが、場所が場所だけにみんな国に帰れると安心する場面が悲しい。人間てどこまで残酷になれるものなのだろう。