▼メ~テレ太陽ジーパン編は6月11日に終了。
さて、次・・・テキサス編につながるか!?
▼増山江威子さん
昨年、毒蝮三太夫さんの「マムちゃんねる」にて軽快なトークを披露なさっていたのに・・・・清志さんと同じ肺炎、しかも年齢も近い・・・・。
残念ですね・・・・ご冥福をお祈り申し上げます。
▼太陽という番組の継続性、視聴者の気持ち(1979年)
太陽の番組的転機をいうのは細かくあるんですけど、その中で、テレビ番組のいちコンテンツであったのはギリギリでジーパン殉職ぐらいで、それまでは若手主演の青春アクションドラマというコンセプトだったのが、テキサス登場を以て演技経験の殆どない勝野さんを補うためにチーム戦に移行、テキサスの延命嘆願ごろからメディアミックスも多くなって、200回記念の1976年で本格化、ある意味一事業体として動き出して、そこにテキサス殉職とスコッチ登場という衝撃的展開を交えた段階で、実は既に太陽の番組的コンセプトのみの継続じゃいられなくなり、事業的な事情が絡むようになって、スコッチ転勤とともに完全オールスターチーム戦となったのはいいのですが、逆に俳優も視聴者も番組卒業は「殉職で」を求め、脆いところもありながらも安定したボン・ロッキー編というのは、ウラには各局で放送されている刑事ものの後押し(というか太陽は「本家」みたいな立ち位置に・・・)、殉職ブーム・・・(^_^;)。
ここで太陽の基本フォーマットは継続的固定化してしまったというのが、正直なところかと。なので、やっぱりここでもボンの動向だったんですよね。長期番組は7年目で大きな転換期を迎えるのが結構多かったですが、やっぱり、ボンの抜けた穴は大きいし、番組を大きく変更することも許されないとなると、視聴者が離れていくのは必然といえばそうでした。いや、本当に殉職を思い切って外す事も出来た勢いであったのに、金八攻撃の後はそれも出来なくなった訳ですから、スニ登場時のキープコンセプトがいかに当時の視聴者を掴めなかったというのが、残念なところなんですよね。
というか、この段階で視聴者が、「プロレスもあるぞ」「金八もあるぞ」「外で遊ぶぞ」「塾も行かなきゃ」というのに気が付いちゃった・・・・(^_^;)
そしてあの当時っていうのは、新しもの好きの風潮は今でも強かったので、7年の歴史がそのまま単純に古いに結びつくっていうのがあって、漏れなく太陽もそれにハマっちゃった部分は否めなかったところが、スニ登場とメインテーマはじめ楽曲の変更で逆に目立っちゃったところはあったかもしれません。
ただ、この辺で云えるのは、男性の目線と女性の目線も違うし、キャラかチームかどちらかの目線かというところでも感じ方が違うところで、太陽の場合は結構細分化されるところがあって複雑なんですよね。これが太陽の番組自体を魔物に見せている(少なくとも小職は)元凶なのかもしれません(^_^;)