快気分析

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仕組みとアプローチ -  家康の伊賀越え 護衛部隊の本質

2018-05-27 22:22:28 | 明智光秀
 家康の伊賀越えすが、本能寺の変の後から家康が伊賀忍者などの支援受けて脱出したと言う話が多いようです。
 個人的にですが、本能寺の変の後から、と言うのは有り得ない話だと考えています。
 家康が安土城で信長と会うために重臣を含む家臣数十名とだけ来たような話が通説のようですが、それは考えられません。
 それだけでは家康の護衛はできないはずなのです。
 そんな杜撰な態勢で家康がノコノコと安土に来る事はないわけで、実は商人や僧侶など様々な形に偽装して家康護衛団である伊賀衆、その他など忍者集団がかなりの人数で同行していたものと考えています。
 従って伊賀越えのサポートしていたのは本能寺の変の後から家康と会ったのではない、最初から三河から安土へ向かう家康を護衛していたグループだったと思われます。
 


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