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仕組みとアプローチ -   山崎の戦いの謎 筒井順慶のもたつきから見えて来る仕組み

2019-05-12 15:40:58 | 明智光秀
 前回記事の続きです。
 前回の考え方と同じでその延長になります。
 山崎の戦いの時に筒井順慶がもたついた件ですが、秀吉からの調略や工作が及んでいたにもかかわらずイエズス会や千利休の目論んでいたシナリオが筒井順慶に伝わっていなかったとしか思えないのは何故か? と言う事になるかと思います。
 これは前回記事の観点で見ると自然な成り行きだったのではないでしょうか。
 それはまず一つが筒井順慶がキリシタンでなく敬虔な仏教徒であった事、そして千利休の高弟でも無かった事、更に信長への臣従に関して明智光秀に世話になった事、と3つの要素が挙げられます。
 これだけ材料が揃うと流石に秀吉でも本能寺の変から山崎の戦いとその戦後処理に至るシナリオやキリシタン強化を明かすと筒井順慶が光秀に通報する可能性が有ると考えてシナリオの本質を教えずにただ秀吉方に加勢すべき事を要請したのではなかったのかと思えます。
 一方で高山右近や中川清秀らはイエズス会や千利休ルートからの確かな情報が有ったからこそ大胆に明智勢に撃って出る事ができたのだと考えられます。
 筒井順慶は山崎の戦いの後にそう長く時を経る事も無く36歳で病死と言う若死になってしまいます。 
 事の真相を知らされずに秀吉から叱責されたりキリシタン武将が何故か増えたりとストレスが大きかったのではないでしょうか。


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