前回の記事ですが、一部誤植等が有りましたので訂正します。
1~2行目
「記述にに関して」 は 「記述に関して」 に訂正。
8行目
「桶狭間の戦いの戦いの前年に」 は 「桶狭間の戦いの前年に」 に訂正。
16行目は誤解してしまうかも知れない表現だったので念の為訂正しておきます。
「陥落しなかった丸根砦・鷲津砦以外の砦を守備していたとか」 は 「陥落しなかった砦、つまり丸根砦・鷲津砦以外の砦を守備していたとか」 に訂正。
それと誤植ではないのですが再検討して見たところ、織田軍の砦(丹下砦・善照寺砦・中嶋砦、陥落した丸根砦・鷲津砦)に残されていた兵力を考えた方が良いと思われました。
大体ですが、筆者は総数で3000は有ったのではないかと考えていますが、その配分はどれだけだったかはわかりません。
そうすると織田方の攻撃兵力は前回の記事で書いた数から3000を引いた数となります。
つまり直接の攻撃は約4260~5600か、或いは約5170~6670。
そしてそのうち、今川氏に丸見えになる囮の部隊、或いは情報が筒抜けになってもかまわない部隊が「2000足らず」。
これを太田牛一が直接間接で聞いた通りに「信長公記」で書いたのだと筆者は見ています。
「何故太田牛一が直接間接で聞いた兵力が少ないのか?」と言うと、信長は本当の作戦や兵力配分を重臣にも話さなかった事がしばしば有り、それは家臣経由で情報が敵方に漏れるのを防ぐ為と言われる通説に筆者も同感だからです。
信長は今川方には少数で攻撃するように思わせたかったでしょうし、美濃の斉藤義龍にも、尾張と美濃の国境付近には多くの兵力を残していたと思わせたかった、この2つの点だと考えられます。
以上から今川方に知られても良い数以外の攻撃部隊は、2000を差引いた値となり、それは
約2260~3600か、或いは、3170~4670。
大体、信長の精鋭部隊なら、油断している今側方の数千は討ち取れると思われます。
1~2行目
「記述にに関して」 は 「記述に関して」 に訂正。
8行目
「桶狭間の戦いの戦いの前年に」 は 「桶狭間の戦いの前年に」 に訂正。
16行目は誤解してしまうかも知れない表現だったので念の為訂正しておきます。
「陥落しなかった丸根砦・鷲津砦以外の砦を守備していたとか」 は 「陥落しなかった砦、つまり丸根砦・鷲津砦以外の砦を守備していたとか」 に訂正。
それと誤植ではないのですが再検討して見たところ、織田軍の砦(丹下砦・善照寺砦・中嶋砦、陥落した丸根砦・鷲津砦)に残されていた兵力を考えた方が良いと思われました。
大体ですが、筆者は総数で3000は有ったのではないかと考えていますが、その配分はどれだけだったかはわかりません。
そうすると織田方の攻撃兵力は前回の記事で書いた数から3000を引いた数となります。
つまり直接の攻撃は約4260~5600か、或いは約5170~6670。
そしてそのうち、今川氏に丸見えになる囮の部隊、或いは情報が筒抜けになってもかまわない部隊が「2000足らず」。
これを太田牛一が直接間接で聞いた通りに「信長公記」で書いたのだと筆者は見ています。
「何故太田牛一が直接間接で聞いた兵力が少ないのか?」と言うと、信長は本当の作戦や兵力配分を重臣にも話さなかった事がしばしば有り、それは家臣経由で情報が敵方に漏れるのを防ぐ為と言われる通説に筆者も同感だからです。
信長は今川方には少数で攻撃するように思わせたかったでしょうし、美濃の斉藤義龍にも、尾張と美濃の国境付近には多くの兵力を残していたと思わせたかった、この2つの点だと考えられます。
以上から今川方に知られても良い数以外の攻撃部隊は、2000を差引いた値となり、それは
約2260~3600か、或いは、3170~4670。
大体、信長の精鋭部隊なら、油断している今側方の数千は討ち取れると思われます。