爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

問題の在処(22)

2009年03月07日 | 問題の在処
問題の在処(22)

 明日香は、だんだんと仕事をするようになった。その要求が確実に増えてきた。そもそも根本的に頑張り屋である彼女の望みに、なにかの力が報いたいと働いてもいるようだった。また、仕事がないときにも演技の学校などにも行った。夜は、夜で二人になる時間ももてた。

 ぼくは、学生時代を半年ほど残し、一番、のんびりとした時期でもあった。
 図書館に行っては、いまの期間をつかって知らない本のリストを減らす作業を続けた。疲れては、昼間ののどかな公園に座っては、ベンチで怠惰な時間を過ごすことも多かった。その横には、たまには明日香がいた。

 ぼくは安いカメラを手にいれ、被写体としての明日香を撮った。その造形的に優れた横顔は、この瞬間だけはぼくのものでもあったようだ。その証拠としての写真でもあったのかもしれない。

 そのまま、まだ続けている飲食店のバイト場まで行くこともあった。たまに、明日香も見知らぬお客のように座っていた。ぼくは、最初はそんな気も少なかったかもしれないが、徐々に彼女に傾く気持ちが膨らんでいってしまった。止める必要もないが、もうそれは止まらぬ速度まで到達してしまったようだ。

 また、深夜ドラマの原型である筋書きを求める催促の電話がかかってきた。ぼくは、三本ほど手元にあったので、それをカバンに詰め込み、この前の場所に向かった。

「なんか、いつも済まないね」と、彼は丁重に言った。
「いえ、いいんですが、これで終わりにしなければならないと思います」
「なんで? 困るな」と一方的にいって、その後は口喧嘩のようなものになったり、彼の懇願があったり、ぼくの説得にかわったりしながら、20分ほど話した。ぼくは、自分の才能の浪費をとどめたかった。しかし、彼は、ぼくのつまらない才能をなじりながらも、最後には頑張ってみろ、という言葉にかわった。ぼくは、小さくうなずき外に出た。

 彼のたばこの煙りが充満した薄暗い部屋から、快適な外に出ると、ぼくはこころから自由な感じがしたのを覚えている。

 最後に、彼からもらったお金をもとに、ぼくは気前よく使い切ってしまうことのみを考え、明日香のために服とバックを買いに行った。あの頃の、表参道のひかりとそれに伴う未来に拓けた感覚が、いまの自分の中にもまだある。その空気の一部として、自分が存在していた事実も美しいものだったと記憶している。
 必要なものを手にいれ、家に戻った。

 彼女も、ちょうど演劇クラスから帰ってきたところで、手荷物を嫌うぼくが大きな袋を抱えていることに注目した。

「どうしたの? そんなに大きな荷物」
「最後の原稿代を無駄に使ってみたかった」と言って、彼女にそれを手渡した。
 明日香は、無駄遣いしないでね、と言いながらも包みが開くたびに嬉しそうな顔をした。ぼくは、それが自分の頭でねつ造したものが化けた事実に嬉しかったのかもしれない。だが、事実は事実として、そのような半端な仕事に自分は向いていて、将来、ロシアの無限に続くような小説が書ける人間になりたかった希望は、明日香が袋をひらいてしまったときに、空気より薄いガスのように、この世界に散らばってしまったのだろう。だけれども、その時はそんなことには気付きもしないことだった。

 彼女は、新しい服を着て、ぼくにカメラをもたせ記念として写真に撮ってほしいと言った。

 それで、ぼくらは近くの公園まで散歩した。

 彼女のことを撮っていると、学校帰りのちいさな少年たちがぼくらのことをからかった。彼らは、そのような瞬間を与えられても当然の好奇心をもっていた。

 ぼくは、自分にもそう遠くない将来、かれらのような好奇心の固まりが、自分の分身として訪れる世界を想像した。その想像は意外と安易なものだった。そのかたわらに明日香がいてくれれば良いが、それは、自分で決めても良いことだとは思えなかった。