問題の在処(23)
多分、明日香の持っている穏やかさが一番自分に合っていたのだろう。いま当時を振り返ってみると、そのことは良く分かる。しかし、物事が進行中のときには、自分が最善の道を選んでいるかどうかなど分からないし、分かりたくもなかった。
まじめな彼女は、ある役柄を自分で設定すると、もちろんそれが仕事でもあるわけだが、なかなかそこから抜け出せずにいた。それで、仕事から帰ってきてもたまには、違う存在であるかのように映った。たまみの不思議な挙動で慣れっこになっていたので、そうしたことにも自分は驚かなくなっていた。
しかし、数日経てば気の抜けた炭酸飲料のように役柄や設定は抜け、いつもの彼女に戻った。それで、いつもの彼女は、とても穏やかな人だった。
二人で街をよく歩いた。彼女はすれ違う犬を撫でることがあった。犬自身もそうしてくれることが、なにより嬉しそうな表情をした。子供のころに犬にかまれた経験を引きずっている自分は、遠目でそれを見た。彼女は、振り返りぼくにもそうするように促した。何度か試そうとしたが、犬はいつも態度を豹変させるような雰囲気を出し、彼女がいつもなだめてくれた。
世界がそうした細々したことをとおして、彼女に役割を与え、暖かい手で包んでくれているように感じることが、ぼくには多かった。こうした時に、ぼくは友人のA君のことを思い出したりもした。気がかりということでもあったが。
明日香と違い、A君は自分で意図したことではないが、世界とのずれで自分の存在を実感し、その小さな傷をとおしてしか役割が与えられていないようにも思えた。その点、B君はひとに傷を与えている事実も知らないし、認めようとも当然のようにしなかった。それは、ある面ではとても幸福のような気もするし、とてつもなく不幸の固まりを抱えているようにも、ぼくには思えて仕方がなかった。
ひとりの人とある程度の関係を深めれば、たくさん学ぶことがあることを知り始めた。
そうした優しい明日香の存在があり、多くの人目に入る仕事を選んでいるのだから、そこはたくさんの男性の視線が待っている事実もあっただろう。ぼくは、そのような心配を感じながらも、それだけに捕らわれることは恐れたし、またそれほどに暇でもなかった。根底には、自分はサービス・エリアのような存在でもあるということをかすかに感じてもいた。いずれ、彼女はどこかに走り出さなければならないのだろうと。
その時に、ぼくはぶざまにならないで済ますことができるだろうかと、そのことも心配の種だった。優しい彼女は、自分から大変な告白を簡単にはできないだろう。それを強いることもしたくなかった。自分は、いつものように心の中のどこかで別れる準備をしていた。それは一種の病気なのだろう。永続的な関係性未発達症とでも命名すれば良いのだろうか。
しかし、幸福な人間が常にそのようなことばかり考えているわけでもないし、頭の中でこねあげているわけでもない。楽しいときは誰よりも楽しい気分でいられた。
ぼくは、そろそろ学生時代にピリオドを打つ時期になっていた。80歳までの自分の人生を4等分するならば、我が第一期学生時代は幕を閉じるのだ。次は、第二期雇われ時代に突入する。もっとましな選択はあったのかもしれないが、速報性のニュースといいながらも、人のスキャンダルを暴き立てるような出版社に入ることが決まっていた。ある人の世話でそこを紹介され、自分は深く考えもせず、そこに決めてしまった。しかし、つまらないながらも運命という言葉がどこかにあるならば、その言葉は威力を発揮できるよう、どこかでじっと待機しているのだろう。それを撥ねつける勇気と実行力のある人こそ勝利者でもあるのだろう。
自分は、勝利者になれるものを持っていたのだろうか。そのことは分からない。でも、自分の小さなアパートの、これまた小さなテーブルで明日香の存在を感じながら食事などをしていると、目の前まで幸運はきていたのだなと思うことがあった。しかし、それも過去のことだった。
多分、明日香の持っている穏やかさが一番自分に合っていたのだろう。いま当時を振り返ってみると、そのことは良く分かる。しかし、物事が進行中のときには、自分が最善の道を選んでいるかどうかなど分からないし、分かりたくもなかった。
まじめな彼女は、ある役柄を自分で設定すると、もちろんそれが仕事でもあるわけだが、なかなかそこから抜け出せずにいた。それで、仕事から帰ってきてもたまには、違う存在であるかのように映った。たまみの不思議な挙動で慣れっこになっていたので、そうしたことにも自分は驚かなくなっていた。
しかし、数日経てば気の抜けた炭酸飲料のように役柄や設定は抜け、いつもの彼女に戻った。それで、いつもの彼女は、とても穏やかな人だった。
二人で街をよく歩いた。彼女はすれ違う犬を撫でることがあった。犬自身もそうしてくれることが、なにより嬉しそうな表情をした。子供のころに犬にかまれた経験を引きずっている自分は、遠目でそれを見た。彼女は、振り返りぼくにもそうするように促した。何度か試そうとしたが、犬はいつも態度を豹変させるような雰囲気を出し、彼女がいつもなだめてくれた。
世界がそうした細々したことをとおして、彼女に役割を与え、暖かい手で包んでくれているように感じることが、ぼくには多かった。こうした時に、ぼくは友人のA君のことを思い出したりもした。気がかりということでもあったが。
明日香と違い、A君は自分で意図したことではないが、世界とのずれで自分の存在を実感し、その小さな傷をとおしてしか役割が与えられていないようにも思えた。その点、B君はひとに傷を与えている事実も知らないし、認めようとも当然のようにしなかった。それは、ある面ではとても幸福のような気もするし、とてつもなく不幸の固まりを抱えているようにも、ぼくには思えて仕方がなかった。
ひとりの人とある程度の関係を深めれば、たくさん学ぶことがあることを知り始めた。
そうした優しい明日香の存在があり、多くの人目に入る仕事を選んでいるのだから、そこはたくさんの男性の視線が待っている事実もあっただろう。ぼくは、そのような心配を感じながらも、それだけに捕らわれることは恐れたし、またそれほどに暇でもなかった。根底には、自分はサービス・エリアのような存在でもあるということをかすかに感じてもいた。いずれ、彼女はどこかに走り出さなければならないのだろうと。
その時に、ぼくはぶざまにならないで済ますことができるだろうかと、そのことも心配の種だった。優しい彼女は、自分から大変な告白を簡単にはできないだろう。それを強いることもしたくなかった。自分は、いつものように心の中のどこかで別れる準備をしていた。それは一種の病気なのだろう。永続的な関係性未発達症とでも命名すれば良いのだろうか。
しかし、幸福な人間が常にそのようなことばかり考えているわけでもないし、頭の中でこねあげているわけでもない。楽しいときは誰よりも楽しい気分でいられた。
ぼくは、そろそろ学生時代にピリオドを打つ時期になっていた。80歳までの自分の人生を4等分するならば、我が第一期学生時代は幕を閉じるのだ。次は、第二期雇われ時代に突入する。もっとましな選択はあったのかもしれないが、速報性のニュースといいながらも、人のスキャンダルを暴き立てるような出版社に入ることが決まっていた。ある人の世話でそこを紹介され、自分は深く考えもせず、そこに決めてしまった。しかし、つまらないながらも運命という言葉がどこかにあるならば、その言葉は威力を発揮できるよう、どこかでじっと待機しているのだろう。それを撥ねつける勇気と実行力のある人こそ勝利者でもあるのだろう。
自分は、勝利者になれるものを持っていたのだろうか。そのことは分からない。でも、自分の小さなアパートの、これまた小さなテーブルで明日香の存在を感じながら食事などをしていると、目の前まで幸運はきていたのだなと思うことがあった。しかし、それも過去のことだった。