爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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問題の在処(31)

2009年03月31日 | 問題の在処
問題の在処(31)

 順調にお腹はふくらみ、その誕生を期待するようになっていた。彼女は、数か月前に産休を取った。いつか仕事に戻るのか分からないが、彼女には、その様子がないようだ。このまま、家庭で子供を育てることを、いまのところは望んでいた。

 その前に、彼女の両親に会って結婚の許可をもらいに行った。ふたりは拍子抜けするほど、あっさりと許してくれた。しっかりした自分の娘の判断を大事にしているようだった。それを感じて、ぼくはあらためて決心にともなった責任の重さを知った。

 それぞれのアパートを引き払い、ぼくらは家族と収入に応じた家に住まいを替えた。ぼくは、家のことをすることが減ってしまった。しかし、一人で暮らしているより居心地の良いものに変わったことは間違いない。

 時間が経って、ぼくは病院の一室の前にいる。彼女の体調は急激に変化を遂げ、もう一つの命をまさに産み出そうとしている。それを、ぼくは変わってあげることは出来ない。ただ、期待と不安に包まれているだけだ。

 元気そうな男の子が夜中に産まれた。ぼくは、家族をもった手応えを感じていた。その時にでも、頭の片隅にはA君がいた。彼にも、このような瞬間が将来のいつかに訪れてほしいとも思っていた。

 男の子は、幸太と名付けられ、世間の一員になる。それ以後は、早かった。
 彼は、歩き出す。自分の疑問を問うことを覚える。泣かないように我慢することを、ある日学んだ。一緒に遊んでいる子が有利になるよう、取り図ってあげる優しさを見せた。そうしたことが、成長の一部であるようだった。当然のように、ぼくも祐子も一緒に成長していた。

 その一部を写真というかたちでA君にも送った。彼は、いまだに別の世界にいる。

 ある夏休み、ぼくらは千葉に海水浴に行った。祐子は大きな帽子をかぶり、さらに大きな砂に刺した傘の下に隠れていた。ぼくは、幸太に手を引っ張られ、砂浜と海水の境にいた。彼の小さな海水着は、もう来年には着れないだろう。少し、遊んだあと彼は急に眠気を感じ、祐子の横で眠ってしまった。ぼくは、アイスクーラーからビールを取り出し、缶を開けて飲んだ。祐子も同じように口にした。見上げると、空は限りなく青かった。

 ぼくは、少し経ち彼ら二人の静かさを後に残し、海に入った。どこまでも遠泳しようと思った。そこで、手足を動かし、波に乗った。

 この海は、まだ学生のころ、A君とB君と一緒に来たことがある。その当時をぼくは、泳ぎながらも考えていた。自分の存在が遠くまで来てしまったことを実感した。誰が、当時この家族3人で自分がここにいることを想像できただろう。ぼくは大きなオレンジ色の丸い球をつかんで、休憩した。そこから、砂浜の方を眺めると人がいることが分からなかった。海の家の大きな木製の柱と屋根だけが目に入った。

 そこから再び、ぼくは泳いで戻った。彼女らは、ぐっすりと眠っていた。幸太は、彼女の腕にからまれ、一体になっているように見えた。
 夕方になって、泊まっているホテルに帰った。ぼくと幸太は一緒にシャワーを浴び、砂を落とした。そこから出ると、彼女は冷たいものを飲んでいた。日焼けしないようにしていたが、いくらか鼻の頭が赤くなっているようだった。

「ごめん先に。あれ、鼻、日焼けしたみたいだよ」と、ぼくは自分の鼻を指差し、口に出した。

「え、やだな」と彼女は眉間にしわを寄せ、鏡に向かった。
 夜になり、乾いた衣服に包まれ、近くのレストランにいった。いま、稼いでおこうという雰囲気が、その店に充満していた。活気があって、華やいだ女性たちも多くいた。それを目の端で追っている若い男性もいた。

 ぼくらの前には新鮮そうな魚介類が並べられた。幸太は、大きな海老のヒゲを興味ありげだが、おそるおそる触った。動かないと分かると、安心して握った。ぼくらは楽しかった。そこに隣の部屋に泊まっている幸太と同じ年ぐらいの女の子が入って来た。

「あの子と、お友達になれた?」と、祐子は顔を近付け問いかけた。
「うん、なったよ。パパも友だちができた?」と彼は、ぼくに尋ねた。
 ぼくは、しばらく黙ったが、この文章がその答えになることを期待した。

(終わり、ネクスト)
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問題の在処(30)

2009年03月31日 | 問題の在処
問題の在処(30)

 また再スタートになった。新しいYシャツとネクタイを身に着け、面接に行った。ある児童書を主に取り扱っている会社だった。まったく今までの自分と関係のない会社にも面接にいったが、結果は悪かった。自分は、人生の裏面ばかり気にしていたような会社に所属していたので、今回もあきらめていたが、数日後には連絡があり、雇われることになった。それで、希望が膨らんだ、とかはまったくなく息をひそめて生きるような気持ちだけが残っていた。

 扱っているものが違っても仕事の順番などは、さほど違いがなかった。ただ、やり合う相手が世間ずれしているとか、社会に出る書物の受け取り手が違うだけのような気もした。

 そのような時に面倒見のよい女性があらわれた。ぼくは、26になっていた。その人は29歳で短大を卒業してからその会社に入っていたので、その面ではかなりのベテランだった。ぼくを、まったくの素人と考えていたようでいろいろなことを手取り足取り教えてくれた。ぼくも、仕事を覚えて直ぐに戦力になりたいので、たいへん役に立った。

 しかし、仕事ではまじめに働きながらも、会社の終業時刻になれば、さっと引き揚げた。自分では悪いことをしていなかったが、誰かと深く付き合うことを恐れるようになってしまった。また、妥協して自分から言い出すようなことでもなかった。

 それでも、ずっとそうしている訳にもいかず、また女性の多い職場なので、なにかと勝手に想像されるのも嫌なので、4,5回に一度ぐらいは夜の飲み会にも出かけるようになった。

 そのような時にでも、自分から楽しい話を持ち出して人を笑わせる、普通の人はするであろうこともしなかった。人の話をきいて、たのしい時は少し笑った。その合間に、これまた少しだけアルコールに口を近付けた。

 ぼくに仕事を教えてくれる人、祐子さんといった、はぼくと帰りが同じ方面なので、一緒に地下鉄で帰ることもあった。そのようなときに、「なにか心配ごとでもあるの?」と訊いてきた。さきほどの場を盛り上げる祐子さんとは違って、女性っぽくなる瞬間だった。ぼくは、こころを閉ざすのが習慣になってしまっていた。なので、返事も曖昧だった。

 そのようなことが何回か続いた。ある日、ぼくはいつも以上に酔った。自分の本心は、このように大人しく振舞うことに慣れていなかったのかもしれない。その時も、いつもの仕事のように祐子さんがとなりにいて介抱してくれた。急にぼくがそのような態度をとっても彼女はなんら変わらない応対をした。
 ぼくは、かなり酔っていたので、自分の友人のことを多分話しただろうと思ったが、彼女の態度にはそれが見えなかった。

 気がつくと、彼女の家で朝を迎えた。何度もこうした過ちを繰り返しているような気がする。そんなことがあっても職場での彼女は、いつもと変わらず、またぼくの仕事の心配もしていた。

 ぼくは一度だけで終わらそうとしていたが、彼女はそうは思っていないらしく、次の約束が決められていく。それが決められれば、従うようになってしまった。ぼくは、またある種の関係を第三者と結ぼうとしていた。それが生きるということならば、多分ただしい選択なのだろう。

 時間は過ぎ、仕事にも慣れ、ほかの人ともいくらか打ち解けるようにもなり、楽しい環境になり始めているときだった。祐子とも、休日にもデートをするようになっていた。この関係は、ぼくが望んでいたような人生設計には入っていなかったが、しかし、これが自分にぴったりと合っているといえば、そうは言えた。
 あるレストランにいた時だ。二人の前には細長いシャンパングラスがあった。そこからは微小な泡が上にのぼっていた。幸せな状況であったのは確かだ。

「言わなければならないことがあるの。わたしに赤ちゃんができたみたい」
 こういう瞬間が来ることを予感していなかった。しかし、即答することはできた。「おめでとう」

 自分は、命を大切にすることを知った。その命をどうこうすることは反対されてもできなかっただろう。
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