最後の火花 61
別々の大学に通うようになって、なかなか会わなくなり気持ちも離れていった。どうしても会いたい、とか、毎日、彼のことを考えて眠れないという夢のような情熱も自然と薄れていった。置いたままで手のつけないコーヒーのように冷めていき、そのことは電話の回数も減って行くことで証明された。
この気持ちが消えても、若さによる異性への執着がすべてなくなるわけでもない。だから、新しいパートナーが存在することになる。簡単な公式だ。
大人になるというのは、敷居を低くすることなのだ。泥水でもない限りあっさりと飛び越える。しかし、前例がないということも子どもの弱さだ。新しい恋人は嫉妬深い性質をもっていた。わたしははじめはうれしいと思っていたが、直に戸惑うようになる。警察の取り調べというものも、もしかしたらこういう執拗さが前提としてあるのだろう。詳しくは分からないが。
わたしは隠していることもないが、それでも、箱の隅まで入念に点検された。ほこりもチリもない。もしあったとしても、わたしの一体なにが分かるのだろう。それでも、総体的に彼の外見が好きだったので、しばらくは長所と短所を天秤にかけ猶予させた。
わたしは同時にひとりになる時間を見つけて本を読まなければならない。嫉妬深い本。わたしは本棚の前に立つ。聖なる祭壇に向かうように。知識の祭壇。礼拝所。そのなかに、「オセロ」と「コレクター」があった。オセロはビデオであとで見ることにして、コレクターを引っ張り出す。
これは綿密に分類すれば嫉妬ではない。入手することと、誤った手段ということだった。せっかく好きになったのに、ある性質によって、そのひとのことを自身で遠ざける結果になる。身から出た錆び。わたしは本に集中できずに、ぼんやりと自分の立場を、雨が降る窓を眺めながら考えていた。
わたしのなかで複数の路線を並列に走らせるという思考が入り込んだのは、ここらに原因があったのかもしれない。ひとつの電車が終点に着き、掃除も終わって、やっと次の電車が走り出したら、大混雑になるだろう。新幹線も数分おきに走っているそうだ。恋は仕事ではないが、スムーズにいく仕事も、取り敢えずは次の駅まで走らせて、待機させておく必要がある。わたしは自分の浮気ごころを正当化させようとしていた。本命のひとに最後に会うまでは、この方法も理にかなっている。
嫉妬から離れてしまった。わたしは両親と夕飯を食べる。ふたりの間にはそんな感情はもうないようだった。いまだからないのか、当初からなかったのか分からない。ライバルがいるから燃えるということもある。お父さんはもてただろう。母も黙っていれば、そのままで美人だ。やはり、あみだくじの当たりをつかむように蹴落としたり、追い抜いたり、ずるい策略も取ったのかもしれない。シード権もなければ。
結論を急げば、好きという気持ちより嫌悪が増したため別れることにした。わたしは一方的に冷めたためサバサバしている。彼はその後、わたしの悪口を言いふらしている。あるひとは本気にして、またあるひとは撤回を求めて、もう数人は情報自体を遮断しているようだった。わたしは狭い世界にも嫌気がさす。だが、狭い世界に生きているのだ。
優しくて、何事も許して甘やかしてくれるのが愛情なのだろうか。わたしはお箸の握り方も下手で、ナイフもフォークも器用に使いこなせない自分を想像してみた。自分の魅力というのが、いくらか目減りするだろう。別のなにかで補てんできる類いのものでもない。口紅の塗り方や、髪形で収支はトントンになるのだろうか。
「あの子から、電話ないのね?」母は梨を食べている。「次の子、名前、なんだったっけ?」そして、母は違う名前を述べた。わざとやっているんだと思う。わたしもいくつかの名前をそのうち思い出せなくなる危険もあった。しかし、それこそが幸福でもあるのだろう。
ダイレクトに家族を介さなくても会話ができるようになればいいと思う。そのうち同棲をして家族の目も入らない。不安や心配は増えるのかもしれないが、それも親の役目だった。子どもの心配から断絶できるのは、死という境界の向こうにしかないのだ。わたしは本で読んだことの受け売りが得意になって、頭でっかちに信奉していた。まだまだ自分という個体の証明がないのだ。
別れた彼と新しい女性が腕をからめて前から歩いてきた。わたしは目のはじで認めるが拘泥しない。束縛が大好きというタイプもいるのだろう。わたしは負け惜しみも段々と得意になる。レールには電車がとめどなく走っているはずだ。前の駅で電車は新しい長所を詰め込んでいる。どんなタイプが良いのだろう。生真面目なひと。本とか音楽に詳しいひと。楽器ができるひと。かけっこの速いひと。もうわたしはそんな年齢ではなくなっていた。
わたしのことを本気になってくれるひとは逆にどういうひとだろう。東京のひと。田舎のひと。方言がときどき出るひと。淋しげなひと。朗らかなひと。彼の両親に挨拶して、気に入られるかどうかもう悩みたくなかった。すると、両親が事故やアクシデントで亡くなっていることが望ましい。わたしは頑丈な危険な扉を開こうとするのをためらう。すべてのひとが幸せであるべきなのだ。わたしは振り向く。もうそこにふたりはいない。リサイクルされる男性。そして、わたしも。
別々の大学に通うようになって、なかなか会わなくなり気持ちも離れていった。どうしても会いたい、とか、毎日、彼のことを考えて眠れないという夢のような情熱も自然と薄れていった。置いたままで手のつけないコーヒーのように冷めていき、そのことは電話の回数も減って行くことで証明された。
この気持ちが消えても、若さによる異性への執着がすべてなくなるわけでもない。だから、新しいパートナーが存在することになる。簡単な公式だ。
大人になるというのは、敷居を低くすることなのだ。泥水でもない限りあっさりと飛び越える。しかし、前例がないということも子どもの弱さだ。新しい恋人は嫉妬深い性質をもっていた。わたしははじめはうれしいと思っていたが、直に戸惑うようになる。警察の取り調べというものも、もしかしたらこういう執拗さが前提としてあるのだろう。詳しくは分からないが。
わたしは隠していることもないが、それでも、箱の隅まで入念に点検された。ほこりもチリもない。もしあったとしても、わたしの一体なにが分かるのだろう。それでも、総体的に彼の外見が好きだったので、しばらくは長所と短所を天秤にかけ猶予させた。
わたしは同時にひとりになる時間を見つけて本を読まなければならない。嫉妬深い本。わたしは本棚の前に立つ。聖なる祭壇に向かうように。知識の祭壇。礼拝所。そのなかに、「オセロ」と「コレクター」があった。オセロはビデオであとで見ることにして、コレクターを引っ張り出す。
これは綿密に分類すれば嫉妬ではない。入手することと、誤った手段ということだった。せっかく好きになったのに、ある性質によって、そのひとのことを自身で遠ざける結果になる。身から出た錆び。わたしは本に集中できずに、ぼんやりと自分の立場を、雨が降る窓を眺めながら考えていた。
わたしのなかで複数の路線を並列に走らせるという思考が入り込んだのは、ここらに原因があったのかもしれない。ひとつの電車が終点に着き、掃除も終わって、やっと次の電車が走り出したら、大混雑になるだろう。新幹線も数分おきに走っているそうだ。恋は仕事ではないが、スムーズにいく仕事も、取り敢えずは次の駅まで走らせて、待機させておく必要がある。わたしは自分の浮気ごころを正当化させようとしていた。本命のひとに最後に会うまでは、この方法も理にかなっている。
嫉妬から離れてしまった。わたしは両親と夕飯を食べる。ふたりの間にはそんな感情はもうないようだった。いまだからないのか、当初からなかったのか分からない。ライバルがいるから燃えるということもある。お父さんはもてただろう。母も黙っていれば、そのままで美人だ。やはり、あみだくじの当たりをつかむように蹴落としたり、追い抜いたり、ずるい策略も取ったのかもしれない。シード権もなければ。
結論を急げば、好きという気持ちより嫌悪が増したため別れることにした。わたしは一方的に冷めたためサバサバしている。彼はその後、わたしの悪口を言いふらしている。あるひとは本気にして、またあるひとは撤回を求めて、もう数人は情報自体を遮断しているようだった。わたしは狭い世界にも嫌気がさす。だが、狭い世界に生きているのだ。
優しくて、何事も許して甘やかしてくれるのが愛情なのだろうか。わたしはお箸の握り方も下手で、ナイフもフォークも器用に使いこなせない自分を想像してみた。自分の魅力というのが、いくらか目減りするだろう。別のなにかで補てんできる類いのものでもない。口紅の塗り方や、髪形で収支はトントンになるのだろうか。
「あの子から、電話ないのね?」母は梨を食べている。「次の子、名前、なんだったっけ?」そして、母は違う名前を述べた。わざとやっているんだと思う。わたしもいくつかの名前をそのうち思い出せなくなる危険もあった。しかし、それこそが幸福でもあるのだろう。
ダイレクトに家族を介さなくても会話ができるようになればいいと思う。そのうち同棲をして家族の目も入らない。不安や心配は増えるのかもしれないが、それも親の役目だった。子どもの心配から断絶できるのは、死という境界の向こうにしかないのだ。わたしは本で読んだことの受け売りが得意になって、頭でっかちに信奉していた。まだまだ自分という個体の証明がないのだ。
別れた彼と新しい女性が腕をからめて前から歩いてきた。わたしは目のはじで認めるが拘泥しない。束縛が大好きというタイプもいるのだろう。わたしは負け惜しみも段々と得意になる。レールには電車がとめどなく走っているはずだ。前の駅で電車は新しい長所を詰め込んでいる。どんなタイプが良いのだろう。生真面目なひと。本とか音楽に詳しいひと。楽器ができるひと。かけっこの速いひと。もうわたしはそんな年齢ではなくなっていた。
わたしのことを本気になってくれるひとは逆にどういうひとだろう。東京のひと。田舎のひと。方言がときどき出るひと。淋しげなひと。朗らかなひと。彼の両親に挨拶して、気に入られるかどうかもう悩みたくなかった。すると、両親が事故やアクシデントで亡くなっていることが望ましい。わたしは頑丈な危険な扉を開こうとするのをためらう。すべてのひとが幸せであるべきなのだ。わたしは振り向く。もうそこにふたりはいない。リサイクルされる男性。そして、わたしも。