爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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最後の火花 64

2015年05月22日 | 最後の火花
最後の火花 64

 進路ということで両親が会話している。母はなるべく将来に有利になるように気にかけ、父は普通のひとと同じことをして後は自分で這い上がれという信念があるようだった。当人のわたしの意見ではない。そもそも意見などない。野心もなく、反対にバカでいたくもない。ただずっと本が読めればいい。

 読まないと理解できないひとと、耳で聞かないと理解できないひとがいると父は言った。そのことが仕事の進め方に大いに関係があるそうだ。どんなに饒舌に説明されても読まないことには分からないひとに対しては無駄であり、どんなに時間をかけて手引きを書いても耳を頼りにするひとにとっては労力を捨てたようなものらしい。

「お父さんもビジネス書で学んでいるんだよ」と父は何気なく言う。「光子は読む人間だな」
「話もきくよ!」
「聞くより、話す方が多いじゃない」と母が揶揄する。しかし、そういう部分は母に似たんだと思う。

 妹はマンガを読んでいる。彼女は彼女で絵とかイラストで理解しているのだろう。トイレの男女のマークは便利である。非常口の看板。横断歩道。消火器や消火栓の赤い色。ひとは複数のもので個別に理解している。同時にいろいろなものを見落としてもいる。

 成長するための物語をさがす。「あすなろ物語」という本が並んでいた。横には、「しろばんば」があった。うちは本屋さんより品揃えが良いところもある。

 物語の少年は訳があって祖母と暮らしている。人質のようでもある。両親もそばにいる。だが、そのいびつさにもすっかり満足しているようだ。わたしは加藤さんの家に居候すると考える。加藤さんも夫の転勤とかでうちに通うことをやめてしまうらしい。それでも、後釜となるひとの手配をしてくれるひともいる。元締め。

 お婆さんはご褒美として直ぐ飴をくれる。その所為で、若いころからすっかり歯がダメになってしまったと自嘲している。甘いものは危険でもあるのだ。

 こういう男の子のことを考えてみる。両親とは違うひとと暮らして育った子。不幸なのか、幸福なのか分からない。愛情というものの深さを与えてくれるのは実の両親だけではないのかもしれない。同時にしつけと訓練も必要だ。無条件の愛、と大人びたことを口にする。そんなものは、でもないようにも思えた。

 部屋は加藤さんによってきれいに保たれている。別のひとになったらどうなるのだろう。この本の多さにびっくりするかもしれない。その反面、それほど賢くないことがばれて、恥ずかしい思いをするだろう。人見知りと淋しがりとなれなれしさと親しさの分量を比較する。

 制服が変わってランドセルを捨てる時期がいずれ来る。ひとには負けないようにと思いながらも絶対に勝てない部分があることを知る。可愛い子もいて、絵が見事なぐらいに上手な子もいる。足が速い男の子がいて、裁縫が上手な子もいた。わたしは不器用にできているようだった。ミシンの糸のラインはゆがみ、ボタンはたるんだ。宿題を加藤さんにしてもらう。ボタンは引き剥がされ、新たな定位置を見つける。

「いつか、男の子にしてあげると優しいと褒められるのよ」と加藤さんは言う。
「男の子も自分でしなきゃ」
「そうかもね。そういう時代になるといいわね」

 だが、実際はわたしはしてあげてもいいと思っている。ピーマンを克服したように、ボタン付けも克服する。習得して、習熟する。日本語はむずかしい。わたしはもっと本を読まなければいけない。

「光子は、将来、なんになるの?」と母が無邪気に訊く。
「分かんない、会社員かな?」
「夢がないのね」

 わたしには夢という観念がない。あるのは現実と目標だけだった。クラスでもこの質問をされるのが苦痛だった。男の子は野球の選手や、レーシング・カーを乗るとか言っていた。野球のコーチや、車を整備するひとだって立派だし、いないと困る。逆にいなければその社会は成立しないはずだった。こういう理屈ばかり考えているから、夢がなくなるのだろう。しかし、わたしの出るべきことばは頭のなかに納まったままだ。

「いつか、やりたいことは見つかるよ」父は暢気そうに言う。自分の実感でもあるようだった。

 わたしは医者にはなれないだろう。教授にもならない。トラックの運転手にもならない。花屋にもケーキ屋さんにもならない。女子プロレスラーにもなれない。自分の未来が限定される。作曲家。園芸家。着物教室の先生。自分は誰にも、何にもなれない気がして不安になる。

 自分の部屋で寝そべって本を読みだす。父はしわがれた声のおじさんのレコードをかけていた。サッチモというあだ名らしい。わたしも知っているディズニーの音楽を楽しそうに歌い、トランペットを吹いていた。世の中は悪い所ではないと思える。トランペットは男性の楽器。ハープや竪琴は女性の楽器。本のなかで若い女性教師は偶像視される。自分もパンツ姿ではつらつと教える姿を想像してみる。誰かが、悪くない世界だとその事実を思ってほしい。