爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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最後の火花 66

2015年05月26日 | 最後の火花
最後の火花 66

 わたしは中学校に通うようになっている。段々と個性が目立ち、それを生かす方法も知らないまま毎日を送っている。頭脳の程度を測られ、美醜の採点を男子生徒からされている。ひとはランク付けをされる。柔道やボクシングのようにあからさまな体重別ではない。だが、そのランクによって進むべき学校も決まり、将来の生活環境も選別される。

 社会のシステムも教わる。成功しなかった統治形態も学ぶ。大きな終わった文明も教科書に書いてある。その遺跡の写真を見る。父のコレクションしているレコードのようにどれも昔のものだ。わたしにとって。

 本の好きな友だちが蟹工船を読んでいる。終わったら貸してくれるそうだ。わたしの家には思想の強いもの、強烈なものはあまりないのかもしれない。過剰な物語への愛だけが強かった。

 彼女はわたしの家に遊びにくる。とても色が白くてかわいい子だった。わたしはスポーツをして色が黒くなってしまっている。父は喜んでいるが、母はそうでもないらしい。お手伝いさんが驚くほど食欲もある。
「学校のお昼には、そういう食べ方をしないでね」と、母は注意をする。わたしをバカだと思っているようだ。

 わたしは宿題を先延ばしにしてモーパッサンを読んでいる。数行で簡単に別の世界に導いてくれる名人。だが、この楽しみも束の間、学校には定期的なテストがあるのだ。

 色白の子のお母さんは小さな飲食店をしている。わたしも大人になって困らないように料理を習えるよう友人を介して説得してもらった。家には内緒だ。放課後や土日にちょっとだけ手伝う。その分の代価としてのご飯をもらったり、お小遣いもくれた。わたしは働く楽しみを知る。そのお金で洋服や小物を買った。自由というのは労働から得たお金のことのようでもあった。

 わたしの手際の良さを誉めてもらった。家ではなにもしないと叱られているのに。お手伝いさんがすべてをしてくれる生活では仕方がない。わたしは家のキッチンをつかって、簡単なものを披露した。

「どこで、覚えたの?」と母が訊く。
「学校で」
「こんなに家庭染みたものを学校はつくらせるのかね?」父の疑問はただしい。きんぴらごぼうなど学校では教えないだろう。推理に長けた探偵だ。

 父はそれをつまみにお酒を飲んでいる。味付けがちょっと濃いが、その方がお酒はすすむと言った。
「お酒飲みと結婚すると、大変よ」と母は言う。顔はそう迷惑がってもいない。

 弟子入りして習得するものもある。お金はもらえないが、その間の衣食住は安泰というものもあった。ひとは職場で一人前にしてもらう間も給料は払ってもらえる、と父は語った。最近の若いもの、という言い方はしない。父は誰かが成長する姿を見るのが好きだった。年賀状の枚数で、その一端を知る。

 わたしはラジオを聞きながら勉強する。悪い点でもかまわないという風にはならない。ひとには埋め込まれた戦闘能力があるのだ。上に行きたい。できるだけ上位を目指したい。

 しかし、この忙しない日々も数日で終わった。わたしは友人の家に寄り、お昼ごはんをもらう。わたしの無限の食欲を誉めてもらう。友人は少ししか食べない。その後、食器を洗い、キャベツを千切りにした。ニンジンを切り、玉ねぎもみじん切りにする。ハンバーグのもとをこね、金属のトレイに並べて冷蔵庫にしまった。家族の夕飯で合格したら、お店でも使うそうだ。わたしは別のテストをしている。

「試験、どうだった?」
「大体、できたよ」

 わたしは階段をのぼり、夕飯前に眠ってしまう。大人になっても受験の苦しみの夢を見ると言っているひともいた。わたしはプールで泳いでいる夢を見た。底は深く、わたしはどこまでも潜れた。水のなかは快適で誰も進路を邪魔しない。水から顔を出す。誰もいなくなってしまっていた。

「ご飯、温まったわよ」母の高貴なる宣言。わたしは顔を洗い下に降りた。妹がお茶碗にご飯をよそっている。
「わたしのもお願い」頼んだら無言でやってくれる。

 わたしは点検するように、ひとの味付けを調べる。わたしの舌は子どもであることをやめない。月のなかでも体調が変わる。母と妹は楽しそうに話している。わたしは父と話しが合うようになった。きょうは遅くなるらしい。いろいろと会社には仕事のあとの用事があるらしかった。わたしは勉強から解放されて早く身体を動かしたかった。

 父の部屋で勝手にレコードをかける。指紋をつけないようにそっと取り出す。ジャズ・ピアノをかけてモーパッサンを読む。三十分ほどで食べられてしまうものに一生懸命にもなれれば、このようにずっと記録されるものもある。反対に不本意なものが残ってしまう可能性もあった。準備の必要性もあり、一定以上のクオリティを保つのも重要なことだった。

 わたしはソファで眠ってしまう。父が部屋に入ってきた。音楽はとっくに終わっている。

「光子も、趣味がいいんだな」とレコードのジャケットを見ながら、そう言った。それから、別のトリッキーなピアノに替えて、ソファの横にすわって耳を傾けていた。


最後の火花 65

2015年05月26日 | 最後の火花
最後の火花 65

 仕事をするようになった。憶えることがたくさんあって大変である。同年齢以外のひとが大勢いる。それが会社だった。それだけ多様な価値観が輻輳している。敵対しないで話しを合わすことが重要だ。反対に、そうなれるには自分の意見をしっかりもたないといけないということでもあった。だから、疲れることになる。

 五月病ということばがあって、自分はそんな類いのものと無縁でありつづけると思っていたが、そうでもなかった。気分がどんよりとしている。しかし、緑の下を歩いていると快適な気持ちがよみがえってきた。こころの油断や隙に恋ごころが紛れ込む。不法侵入だ。違法占拠だ。就業後や休日に会う。時間が限定される。これも会社員の常識だった。

 話す内容も変わってきた。仕事の失敗や悩みを相談する。そして、される。簡単に一遍で解決されるわけでもないが、口にすることも大切だ。共有した事実が情であった。

 このひとのために素敵な女性になろうと考える。だが、素敵なという感嘆がつくような雰囲気だか実質を自分に当てはめることが可能だろうか。恋は偉大なパワーを有するという意味合いの歌もある。だが、その歌手も悲恋でマスコミを賑わせている結果になった。わたしは段々と大人になるにつれ皮肉屋になっていった。

 本で自分をプロテクトする。しかし、本の題材として失敗や滑稽なことや悲劇が、ある面では似つかわしい。どんなに幸福だったかを追求するのは困難だ。

 わたしは、「グッドバイ」という短い物語を手に取る。美人の秘密という題を勝手につける。魅力というのは案外、こういうものだろうか。わたしの新しいスーツはハンガーにかけられ、いまはパジャマを着ている。髪を束ねてすっぴんだ。社会人は化粧をする。忙しいときは電車でする。母に叱られる。母とわたしの時間の分量は違うようだった。

 だが、運命の出会いをすっぴんで迎えるわけにもいかない。わたしは反省をする。しかし、いまは笑い転げながら本を読みすすめている。笑って多少のストレスは減る。すると、電話がかかってくる。わたしは部屋の子機で取る。妹への電話だった。わたしはつなぐ。残念だ。恋は待ち遠しいものだった。

 朝起きて、きょうやるべきことを頭のなかでリストアップする。忘れると困るので手帳にメモする。だが、会社について先延ばしにしていたことを指摘される。うっかりである。元気でいようとした月曜の気分は、二十分ほどで消滅する。昼、職場の近くのベンチで頭を休める。木陰はうつくしい。

 夜には彼と会う。初任給でおごってくれるという。大した金額ではないだろうにうれしい反面、心配でもあった。わたしはサービスをする。サービスをされる。終電で家に帰り、翌日に備えた。若さというのはいつまでも眠いものだ。目覚まし時計を止めてまた眠ってしまう。さらに時間がなくなり急いで化粧をする。ハイヒールのかかとが痛い。でも、せっせと走る。駅は遠い。光子は走った。

 電車の座席で大口を開けて寝ているひとがいる。虫が入り込むほどの大きさだ。だが、車内に虫はいない。善意の集団であり、無関心の集団でもあった。わたしは興味と好奇心を消せないままちらちら見ていた。

 仕事は八割がた順調で、すこしの成功と少しの失敗がある。みんな、これぐらいだろう。わたしは就業後、ひとりになれる場所を探す。ちょうど、途中駅に本をたくさん置いた喫茶店があることを知った。コーヒーはおいしく、どの本を読んでもいいし、自分がもってきた本を読んでもいい。時間はゆっくりと流れ、日々の喧騒を簡単に流し去った。わたしが居る場所だった。

 曜日によって客層が違う。晴れや雨などの天候でもすこし違う。その日は雨だった。わたしは傘をすぼめ、傘入れに放り込んだ。似たような取っ手の傘があり、心配になったがそのままにした。

 わたしは自分のバッグから文庫本を取り出す。誰かが読んだ冊数を長距離走の周回のように数えてくれていたらよかったのにと思う。わたしの分も。でも、その数字を知ったからといって何も変わらない。ただ、強い記憶としてのこっているものが最上なのだ。それも若さゆえの無知と傲慢かもしれない。

 会話も最低限の音量で保たれている。クラシックの日もあれば、ミシェル・ルグランの映画音楽がスピーカーから流れている日もある。父が聴くフリー・ジャズなど似つかわしくない。前衛も突飛さも探究も必要ない世界なのだ。みんな静かに本を読んでいる。同士たち。ついでにライバルたち。

 ある時間からはお酒もメニューに加わる。もちろん、それが最大の目的としてくるお客さんなどいなかった。どんちゃん騒ぎなどもっての外だ。ほとんどが常連さんで決まったような場所にすわり、決まったような注文をした。世界の動きと逆行している。そこがなつかしくもあり、魅力的だった。

 わたしは一時間ぐらいそこにいた。財布からちょうどの小銭を取り出す。時間のゆったりとした流れと同じく急な値上げなども考えられない場所だった。