爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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最後の火花 62

2015年05月16日 | 最後の火花
最後の火花 62

 夏の避暑に来ている。父も仕事が休みだった。夏の空は青く、夏の雲は白かった。

 淡い恋というものをはじめて知る。自分の体内がドキドキしていることが分かる。分かったからといって取り除いたり、解決できたりするわけでもない。夏のスイカは赤かった。種をすべて取り除けない。わたしの気持ちといっしょだった。

 わたしは自分の服装が急に気になりだした。身長も伸びている。鏡を見る回数が増える。母は、「おませ」という旧式な用語をつかった。父は、「多感な頃が十年ぐらいつづく」と予言した。その時期に接する娘というものに抵抗がある口調だった。姉や妹がいない父なので、得意ではないのだろう。得意ではないということは即ち苦手に結びつくのだろうか。そう簡単に答えを出すこともない。

 荷物のなかに本も詰め込まれている。わたしは自分の夏とは別に、別の誰かの違う年代の違う季節の違う人生を仮に生きることになる。もちろん、宿題で感想文を書かなければいけない課題の本もあった。父がこの宿題は手伝ってくれるという約束を取り付ける。「言質」ということばをこの日に知る。後々の覆されない約束。刻まれる言葉尻。掟。その代わりにわたしも手伝わないといけないことができた。

 塀の柵をペンキで塗っている。塗り終わったところには小鳥は絶対にとまらないが、その寸前までは知らん顔をして後ろを向いて鳴いている。わたしも同じだ。気になる男の子が自転車で通り過ぎても、気にしないでペンキを塗っていた。なんだか労働をしている姿を見られるのは恥ずかしい。母は庭のベンチで大きな帽子をかぶり冷たい飲み物をストローで飲んでいる。日頃の疲れをいやすという名目だが、本当に疲れているのは加藤さんのはずだった。彼女はいない。近くにいるひとの料理を数日、食べることになる。去年もそうした。それは自転車の少年の母だった。

 夕方になり、その子が両手のうえに抱えるように料理を運んできた。資本主義というものをわたしは知る。彼の母はサービスを売り、父は代価を払う。明日の朝、また取りに来るそうだ。

 朝、わたしはのこりのペンキを塗っている。彼は歩いてやって来る。

「大変だね、お手伝い」と彼は声をかけた。
「そっちこそ」わたしは間違った返事をしたと思う。仕方なくペンキを刷毛にたっぷりと浸らす。
「そんなに浸ける必要ないよ」
「分かってる」
「分かってたらな」と言って彼は皿をもちかえる。背中を見る。セミの鳴き声がうるさい日だった。

 わたしは大きく開けた窓のそばで宿題をしている。外では父がゴルフのスイングをしていた。この近くのゴルフ場に明日、行くそうである。穴にボールを転がして終わり。少ない数で終わらせた方が勝ちだった。わたしも少ない時間で、少ない日数で宿題を終わらせたい。だが、油断をしたり、焦ったりすればミスも生じるのだ。兼ね合いが大事である。

 わたしはまた夕方に彼が来ると思っていたが、もう少し年長のお姉さんがやってくる。笑顔が可愛いひとだった。

「きょうは、ぼくは?」とわたしの母が訊く。
「スポーツの試合があるので泊りがけで出掛けています」と彼女は答える。それから親戚の家に泊まるようで戻ってくる日にちは、わたしたちがここを去ってからということになると付け足した。残念だった。わたしももっと笑顔で、可愛らしいことを言えばよかったと後悔する。来年になってしまう。わたしはもっと背が伸びているかもしれない。大女になる。不快なあだ名をつけられる。顔ににきびもできる。悲観というのは悲しいこころのやり繰りであった。坂を転げるように、わたしの運命は落下するのだ。

 それにしても、ご飯はおいしい。見知らぬ山菜も、野菜もおいしかった。母も習えばいいと思う。わたしの宿題と同じように枷が必要なのだ。だが、父はなにも言わない。だから、この関係性は正解なのだ。

 わたしは寝転がって本を読む。夜になると寒いぐらいに冷え込む。父は早起きするだろう。わたしは苦手だった牛乳が新鮮なのでまた好きになる。自分で卵を焼いた。誰もしてくれないと、自分でするしかお腹は満たされない。

 わたしは子ども向けの本の時期が終わろうとしていた。決意に似たものである。主役でありつづけようとして妹のことに微塵も触れていなかった。わたしは恋をして、もうすがすがしいまでのお姉さんになるのだ。

 松戸とか矢切とか聞き慣れない田舎が舞台の本があった。仲の良い姉と弟であった。わたしも弟がほしかった。わたしが焼いた卵を妹は簡単にまずいと言い、憎らしかった。母は妹のほうをより多く愛している。わたしは、今日こそ一人っ子であると考えることを誓うが、どうやら失敗しているようだ。

 本に戻ろう。ふたりの関係は大人になるにつれ邪魔が入る。世間の目とかさまざまな見えざる視線がふたりの未来をふさぐ。とうとう悲劇が近付く。会えないという状態はダメなのだ。決して許してはいけないのだ。そう思いながらもとなり部屋の妹の寝相が心配になって見に行くと案の定、布団を撥ね退けていた。わたしはまたかけてあげ、自分の部屋にもどって、一人っ子になった。