リマインドと想起の不一致(5)
学校の中ですれ違う。他人と親しみの境界線を露骨に感じる。彼女は足早に歩きながら、ぼくに向かって照れたように笑う。ぼくは自分の視線が固まるのが分かった。
「いま、お前のこと見てたよな?」
「誰が?」
「誰がって、ひとりしか通ってないじゃん」健人は、不審そうにこちらの顔をのぞきこむ。「いま通ったのはひじりちゃんだけだよ」
彼はそれから、その不思議な名前について、つまらない講釈をたれる。その名前の響きはぼくにとって貴く、彼の歯みがき粉の匂いがする口から流れでても、汚されるようなことはなかった。
「ああいうのが、好きだったっけ?」
ぼくらは、お互いの異性への好意と関心の歴史を共有していた。その年代の友人としては正しいことだった。どうしても隠したいほどの秘密もなく、切に焦がれるような気持ちも、まだ自分たちには訪れていない。最初は美しく、そして、自分のものにするのもむずかしい。ぼくはその前段階にいることも知らなかった。
教室でさなえがぼくに目を向ける。千里眼という言葉を思い浮かべるが、実際は成り行きをもうひじりの口から聞いているのだろう。お見通しだ、という目に変わり、次には教師の声がする方向に向き直った。
ぼくは、本物の授業という現実とは別の時間の流れの部屋にひとりで入り込んでいた。そこは無限に暖かく、新鮮なところだった。
休み時間になると、さなえがぼくの机の上に紙を置いた。手紙だった。彼女は一言も発せずに廊下に消えた。
ぼくは次の授業がはじまると、その小さくたたまれた手紙を開いて読み出した。内容は待ち合わせていっしょに帰ろうというひじりの思いが書かれていた。ぼくは部活もあり、また、いつも帰る友だちもいた。予定を変更することを関係者に伝えなければいけない。うれしさと緊張につつまれて、ぼくは世界の歴史を学ぶ。聞きなれた教師の声音を通して。
もう変更の利かない教科書に事実として紹介されている埋もれたヒーローやアンチ・ヒーローのことを。
学校の中ですれ違う。他人と親しみの境界線を露骨に感じる。彼女は足早に歩きながら、ぼくに向かって照れたように笑う。ぼくは自分の視線が固まるのが分かった。
「いま、お前のこと見てたよな?」
「誰が?」
「誰がって、ひとりしか通ってないじゃん」健人は、不審そうにこちらの顔をのぞきこむ。「いま通ったのはひじりちゃんだけだよ」
彼はそれから、その不思議な名前について、つまらない講釈をたれる。その名前の響きはぼくにとって貴く、彼の歯みがき粉の匂いがする口から流れでても、汚されるようなことはなかった。
「ああいうのが、好きだったっけ?」
ぼくらは、お互いの異性への好意と関心の歴史を共有していた。その年代の友人としては正しいことだった。どうしても隠したいほどの秘密もなく、切に焦がれるような気持ちも、まだ自分たちには訪れていない。最初は美しく、そして、自分のものにするのもむずかしい。ぼくはその前段階にいることも知らなかった。
教室でさなえがぼくに目を向ける。千里眼という言葉を思い浮かべるが、実際は成り行きをもうひじりの口から聞いているのだろう。お見通しだ、という目に変わり、次には教師の声がする方向に向き直った。
ぼくは、本物の授業という現実とは別の時間の流れの部屋にひとりで入り込んでいた。そこは無限に暖かく、新鮮なところだった。
休み時間になると、さなえがぼくの机の上に紙を置いた。手紙だった。彼女は一言も発せずに廊下に消えた。
ぼくは次の授業がはじまると、その小さくたたまれた手紙を開いて読み出した。内容は待ち合わせていっしょに帰ろうというひじりの思いが書かれていた。ぼくは部活もあり、また、いつも帰る友だちもいた。予定を変更することを関係者に伝えなければいけない。うれしさと緊張につつまれて、ぼくは世界の歴史を学ぶ。聞きなれた教師の声音を通して。
もう変更の利かない教科書に事実として紹介されている埋もれたヒーローやアンチ・ヒーローのことを。