爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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リマインドと想起の不一致(9)

2016年02月22日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(9)

 制服姿のひじりを目の前にしているのが通常の状態だった。日常の姿。日常は平凡とは言い切れないが、だが、今日は違う。駅前にいるのは私服の彼女だ。

 場所も違う。いつもぼくらは学校と互いの家の三角形の内側にいた。それは正三角形に近かった。今日はその枠外に出る。
 彼女は手をふる。ぼくは普段はしない腕時計を見た。この時計も数ヵ月ぶりの外出だ。

「ゆきのおばさんに会った」ここまで来る間に友だちの母親に会ったらしい。「ひじりちゃん、デートみたいな格好ね」とからかわれたようだった。母は出会いをゆきに告げ、彼女はそれをきっかけにぼくのことを話すかもしれない。そのうわさのまな板にのる自分はどのような評判を得ているのだろう。ひじりに見合う人間か、それとも、まったくの正反対なのか。ぼくの思考はこういう面に向かいやすかった。見合うとは?

 ぼくらは電車に乗り、となりにすわる。彼女は切符をもてあそんでいた。ぼくはひじりの爪の形を見つめる。それも確かに彼女の一部であり、また全部なのだとも考える。彼女から健康なにおいがする。成長期の少女が発するにおい。ぼくらの側が有しないものたち。果実。

 次の駅につく。間違って各駅停車に乗ってしまった。途中で後続の電車に追い抜かれる。それを気にしているのは自分だけのようであった。日曜の午前ののどかさがぼくらを覆っている。その印象は簡単にひじりに対するものと入れ換わる。

 次の駅名が告げられる。ぼくはこの電車に乗って高校に通うことになるかもしれない。東京のあらゆる場所から来る同級生に囲まれる。未来は何かを手放すことから生じ、その手放すもののうち、きっと、いや絶対にひじりは含まれないであろう。

 また次の駅に止まる。思い出はこの場所にはない。のこそうと思ってのこる思い出などなかった。自然につく痕跡。転んだときの傷のようなまのが思い出となり勝手に収集されるのだ。何駅か過ぎてやっと目的地に着いた。彼女の手から切符がふと離れる。屈んで拾ってから立ち上がった彼女は思いの外、小さかった。もしかしたら、ぼくの背がこの数日で伸びてしまったのかもしれない。このわずかな差が彼女との距離を開かせるような錯覚があった。

 この地も彼女が歩いた。ぼくといっしょに歩いた。交差点は騒音とともに車が行き交っている。向かいには雑踏があった。ぼくらの町とは違う。

 ひじりの後ろ姿を見る。ぼくが彼女を発見し、ぼくも彼女に発見されたのだ。その前から確かにいた。コロンブスが見つける前から土地も人も居たように。

 彼女はこの町を歩いた。ぼくと共に歩いた。手が不意に触れる。切符の感触よりぼくの手の方がいくらかましだろう。