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リマインドと想起の不一致(10)

2016年02月23日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(10)

 映画のチケットを売り場で買った。ぼくの小遣いはもともとが父親が働いて得たお金だ。ぼくはまだ自力でこの世界で一円も稼いだことがない。その事実に感謝も抱いていない頃の話だ。

 飲み物を買って座席にすわる。相手を知りたいと思いながらも黙って画面を同時に眺めることになった。同じことをしているという安心感もあった。終わったら感想を言い合うこともできるだろう。ぼくは以前、ここに友人ときた。あの時のカンフー映画の内容の一部を思い出していた。すると間もなくブザーが鳴り、画面の上のカーテンがするすると横にスライドした。

 真ん中頃になると、ひじりはとなりで泣きだしたようだった。感受性が豊かなのだろう。さらに言い訳のようにも考えるが、男女では物事の捉え方も違っているのだ。父がテレビで野球にチャンネルを合わせ、母はドラマの進行にこころを傾けるように。

 時間が過ぎる。飽きたのでもないが、ひじりの顔はどうだったっけ? 泣くと様子は変わるのかと考えている。席を立つひとをしり目にぼくらは上映が終わってもすわっていた。彼女は涙の袋を衝撃で破ってしまったように、なかなか泣き止まなかった。しかし、そうじのおばさんが片付けはじめたので、ぼくらもそれに合わせて立ち、屋外へと出た。

「ごめん、こんなに泣いて」
「別に誤ってもらうようなことじゃないよ」優しんだね、とはなぜか言えなかった。
「うん」

 ぼくらの胃袋は、性能の悪い機関車のように数時間で燃料となるものを費やし尽くしつつあった。ただ、空腹になったという事実をまどろっこしい方法で表現している。

 ぼくらはスパゲッティーを食べる。ワインが飲める年代でもない。食後にアイスを食べた。去年の今頃は部活の試合で男くさい汗をかいていたはずだ。いまは映画を見て泣きだしてしまった少女とご飯を食べている。店員さんが大人の男性にするように、うやうやしく勘定書きを伏せてぼくの側のテーブルのはじに置いた。

 ぼくはチップという制度があることをさっきの映画で確認したが、そこまで生意気にふるまうことはできなかった。

 ひじりは礼をのべる。ほんとうはぼくの父のお金だ。彼は息子のデートの相手に関心をもっているのだろうか? それよりも日々の晩酌にこころを奪われているのが妥当な帰結のようだった。