最後の火花 89
思いがけなく手紙が届いた。良い報せであるとは思えない。新しいものは常に不安感を与えた。
裏の名前を見ていくらかだが安心する。兄弟のようにして育ったあいつの見覚えのある筆跡で名が書かれていた。だが、いまごろになって何を書いてきたのだろう。結婚でもしたのだろうか。
正直にいえばオレはここ数年、彼のことを考えることもなかった。冷酷なもんだ。あんなにも毎日、遊んだ仲なのに。
読み進めてオレは不快な汗をかく。手紙の内容は病気の告白だった。治る気配はもうなく、あとは死を待ち侘びるだけのようだった。彼は遠い病院にいる。そこの住所も書かれている。最後の願いとして簡素な葬式をあげ、余った金をオレに譲ると告げていた。凡その金額が書かれている。少なくない金額だった。
どうしてこの手遅れの時期になってやっと書く気になったのだろう。もっと早めにできなかったのだろうか。しかし、これは彼の直るという信念が今さらという段階にまで達してしまったからかもしれない。
オレは先ず見舞いに行くことを考える。数日の休暇をもらわなければならない。明日、社長に頼むことにしよう。できるだけ早いうちに行かないと病状は悪化してしまう。のこされた具体的な日数は分からない。容態も分からない。特効薬はないのだろうか。若いほうが、かえって命を蝕む威力に自身で加担してしまうこともあるのだろう。
オレは彼の人生を考えながら飯を食った。身寄りのないオレたちだが、遺産をオレにのこすほど彼には親身になってくれる家族や友人、恋人、妻を見つけられなかったのだろうか。オレはもう十年近く会っていない。どうして、住所も分かったのだろう。
オレは布団に入る。横に寝ているあいつが話しかける。
「手紙、良いこと? それとも、悪いこと?」無言というのは心配を助長する。オレはそういう普通の営みすら忘れていた。
「いっしょに育った仲間が、手遅れの病気にかかってしまったらしい」
「そんなに若いのに?」
「無理をするやつだし、我慢強いやつだったから、気付かなかったんだろう」
「どこにいるの?」
オレは場所を言う。そこにある病院。近いうちに休みをもらって見舞いに行くことを考えているとも付け加えた。
「早いうちに行った方がいいよ」
彼女はそう言うとオレの手をにぎった。直ぐに寝息が聞こえる。オレはひとの命の代償としてもらえる金のことを考えた。いまの生活を抜け出せるほどの金額だ。魅力がないとはいえない。しかし、生きつづければそれは永遠に彼のものなのだ。オレにはもらう資格などない。彼が貯めたものだ。彼はその金で病気を根絶させ、楽しみの在処を思う存分に堪能する。それで使い道としては充分だった。
翌日の昼休みにオレは社長に願い出た。彼の口は、生産量と取引先の納品日をもらした。カレンダーをにらんで、月末近いある日に丸をする。
「ここらあたりなら余裕があるな。そこで、大丈夫か?」
「平気です。ありがとうございます」
「その前日までにあちらさんに届けてくれよ。失敗なしで」
「分かりました」
「元気になってればいいな」
「そう思っているところです」
オレは休みが取れて安堵するかと思っていたが、反対に気が気ではなくなっている。頭の片隅にベッドで苦しむ彼の姿が映る。白い床には看護婦さんの足がある。点滴を取り換えている。オレは見舞いになど行ったこともないはずだが、不思議とそうした映像がリアルに浮かんだ。
三週間ばかり時間がある。毎日、汗だくになりながら働いた。何年も考えていなかった相手を、毎日、思い出す不思議な日々だった。一日一日が過ぎるのが遅く、顔を見れる日が待ち遠しかった。
オレは毎日、もうひとりでいるのはよそうと願っていた。いや、願いでも願望でもなく、自分の奥から湧き出す叫びであった。宣言ともいえる。オレはそれとなくあいつに訊く。躊躇はあるようだが、断固とした反対ではない。オレはまた金のことを考えてしまう。その誘惑が忍び込んできて、魅力を一方的に振り撒いた。
小さな指輪を買おうか。もうすこしまともな家を見つけようか。転職先を考える。しかし、オレの過去の振る舞いが未来を不自由にしている。オレは、そのことをもっと前に気付くべきだったのだ。
仕事の仲間は親しくなれば、みな優しく親切だった。オレの過去のことを考えてみれば天国に近かった。あそこでもっと頑張り、給料があがることを願うしかない。
彼は死ぬかもしれない。オレは断じて望んでいない。しかし、そうなった場合にのみ、オレの未来の一部が切り開けるのだ。いや、自力で強引に開けるしかないことは理解している。
油断していたのか指先をすこし切ってしまう。オレは機械から離れ、絆創膏を探す。こんなに小さな傷なのにズキズキと主張する。彼の病気はこれぐらいではないだろう。生活環境にも恵まれず、健康にも見離され、命を縮めることしか彼には贈り物がなかったのだ。オレは憐れんでいる。自分の境遇も同じスタートだったのに、紆余曲折をしながらも幸せに近付いている。彼にも元気になって再起の機会を与えたい。だが、オレには力がない。あのふたりしか守ることは許されていないだろう。
思いがけなく手紙が届いた。良い報せであるとは思えない。新しいものは常に不安感を与えた。
裏の名前を見ていくらかだが安心する。兄弟のようにして育ったあいつの見覚えのある筆跡で名が書かれていた。だが、いまごろになって何を書いてきたのだろう。結婚でもしたのだろうか。
正直にいえばオレはここ数年、彼のことを考えることもなかった。冷酷なもんだ。あんなにも毎日、遊んだ仲なのに。
読み進めてオレは不快な汗をかく。手紙の内容は病気の告白だった。治る気配はもうなく、あとは死を待ち侘びるだけのようだった。彼は遠い病院にいる。そこの住所も書かれている。最後の願いとして簡素な葬式をあげ、余った金をオレに譲ると告げていた。凡その金額が書かれている。少なくない金額だった。
どうしてこの手遅れの時期になってやっと書く気になったのだろう。もっと早めにできなかったのだろうか。しかし、これは彼の直るという信念が今さらという段階にまで達してしまったからかもしれない。
オレは先ず見舞いに行くことを考える。数日の休暇をもらわなければならない。明日、社長に頼むことにしよう。できるだけ早いうちに行かないと病状は悪化してしまう。のこされた具体的な日数は分からない。容態も分からない。特効薬はないのだろうか。若いほうが、かえって命を蝕む威力に自身で加担してしまうこともあるのだろう。
オレは彼の人生を考えながら飯を食った。身寄りのないオレたちだが、遺産をオレにのこすほど彼には親身になってくれる家族や友人、恋人、妻を見つけられなかったのだろうか。オレはもう十年近く会っていない。どうして、住所も分かったのだろう。
オレは布団に入る。横に寝ているあいつが話しかける。
「手紙、良いこと? それとも、悪いこと?」無言というのは心配を助長する。オレはそういう普通の営みすら忘れていた。
「いっしょに育った仲間が、手遅れの病気にかかってしまったらしい」
「そんなに若いのに?」
「無理をするやつだし、我慢強いやつだったから、気付かなかったんだろう」
「どこにいるの?」
オレは場所を言う。そこにある病院。近いうちに休みをもらって見舞いに行くことを考えているとも付け加えた。
「早いうちに行った方がいいよ」
彼女はそう言うとオレの手をにぎった。直ぐに寝息が聞こえる。オレはひとの命の代償としてもらえる金のことを考えた。いまの生活を抜け出せるほどの金額だ。魅力がないとはいえない。しかし、生きつづければそれは永遠に彼のものなのだ。オレにはもらう資格などない。彼が貯めたものだ。彼はその金で病気を根絶させ、楽しみの在処を思う存分に堪能する。それで使い道としては充分だった。
翌日の昼休みにオレは社長に願い出た。彼の口は、生産量と取引先の納品日をもらした。カレンダーをにらんで、月末近いある日に丸をする。
「ここらあたりなら余裕があるな。そこで、大丈夫か?」
「平気です。ありがとうございます」
「その前日までにあちらさんに届けてくれよ。失敗なしで」
「分かりました」
「元気になってればいいな」
「そう思っているところです」
オレは休みが取れて安堵するかと思っていたが、反対に気が気ではなくなっている。頭の片隅にベッドで苦しむ彼の姿が映る。白い床には看護婦さんの足がある。点滴を取り換えている。オレは見舞いになど行ったこともないはずだが、不思議とそうした映像がリアルに浮かんだ。
三週間ばかり時間がある。毎日、汗だくになりながら働いた。何年も考えていなかった相手を、毎日、思い出す不思議な日々だった。一日一日が過ぎるのが遅く、顔を見れる日が待ち遠しかった。
オレは毎日、もうひとりでいるのはよそうと願っていた。いや、願いでも願望でもなく、自分の奥から湧き出す叫びであった。宣言ともいえる。オレはそれとなくあいつに訊く。躊躇はあるようだが、断固とした反対ではない。オレはまた金のことを考えてしまう。その誘惑が忍び込んできて、魅力を一方的に振り撒いた。
小さな指輪を買おうか。もうすこしまともな家を見つけようか。転職先を考える。しかし、オレの過去の振る舞いが未来を不自由にしている。オレは、そのことをもっと前に気付くべきだったのだ。
仕事の仲間は親しくなれば、みな優しく親切だった。オレの過去のことを考えてみれば天国に近かった。あそこでもっと頑張り、給料があがることを願うしかない。
彼は死ぬかもしれない。オレは断じて望んでいない。しかし、そうなった場合にのみ、オレの未来の一部が切り開けるのだ。いや、自力で強引に開けるしかないことは理解している。
油断していたのか指先をすこし切ってしまう。オレは機械から離れ、絆創膏を探す。こんなに小さな傷なのにズキズキと主張する。彼の病気はこれぐらいではないだろう。生活環境にも恵まれず、健康にも見離され、命を縮めることしか彼には贈り物がなかったのだ。オレは憐れんでいる。自分の境遇も同じスタートだったのに、紆余曲折をしながらも幸せに近付いている。彼にも元気になって再起の機会を与えたい。だが、オレには力がない。あのふたりしか守ることは許されていないだろう。
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