田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『昔の映画をビデオで見れば』(90)『映画を見るたびにぼくは少年に戻って行く マイ・ティージング・ハート』(92)(武市好古)

2020-03-11 09:55:36 | ブックレビュー

 『昔の映画をビデオで見れば』(90)『映画を見るたびにぼくは少年に戻って行く マイ・ティージング・ハート』(92)

 前者は往年の名画をビデオで見直した際の感慨をまとめたもの。後者はキネマ旬報に連載されたコラムをまとめたもの。

 どちらも発売時に読んでいたのだが、何度か本を整理する際に手放していた。久しぶりに古書店で見掛け、懐かしくなって読み直してみた。一度手放した本を、再び購入するほどばかばかしいことはないのだが…。

 筆者は『マイ・ティージング・ハート』の中で、映画を見る際は「あ・こ・ぎ」が不可欠だと説いている。

 それは「あこがれ、こだわり、ぎんみ」のことで、すなわち「映画にあこがれる精神、映画にこだわる好奇心と実行力、映画を自分のセンスで吟味する能力を持つこと。この三つを持つことができたら、即プロの観客」とのこと。

 自分自身を振り返ってみると、確かに、最近「あこがれ」は感じなくなっているかなと思う。

 それにしても、この人(大林宣彦監督もそうだが)のゲイル・ラッセルに対する思い入れはすご過ぎるのだが、自分が知らない時代について書く時には、こうしたリアルタイムの思いが記されたものが参考になるのだ。

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『ペレ』マックス・フォン・シドー

2020-03-11 09:20:58 | 映画いろいろ

 マックス・フォン・シドーが亡くなった。彼の代表作と言えば、『第七の封印』(57)『野いちご』(57)『処女の泉』(60)などのイングマール・ベルイマン作品が挙がるのだろうが、自分は、むしろアメリカ映画を筆頭とする、さまざまな“外国映画”での彼の方に魅力を感じる。

 例えば、『偉大な生涯の物語』(65)のキリスト、『エクソシスト』(73)の神父、『コンドル』(75)の殺し屋、『さすらいの航海』(76)の船長、『マイノリティ・リポート』(02)の局長、といった具合に。だが、ベストワンを選ぶとなると、この映画になる。

『ペレ』(87)(1991.7.)

 19世紀、スウェーデンからデンマークへと移住した少年ペレと年老いた父との厳しい生活を描く。監督はビレ・アウグスト。

 この何とも切ない父と子の姿に、『どですかでん』(70)『砂の器』(74)で描かれた、乞食や巡礼の父子の姿が重なって見えたのだが、この映画にはヨーロッパ的な因習や風景に裏打ちされた独特の人物描写があった。

 普通は、これほどまでに救い難い哀れな話を映画にすれば、その悲惨さが強調されて、お涙頂戴的なものになってしまうことが多いのだが、この映画は違う。

 マックス・フォン・シドー演じる情けない親父は、自分も息子ももっと幸せになりたいと願い、強がりながら、実行に移せない実に歯がゆい男なのだが、どこか、ずる賢くて、せこくて、まだ多少の色気も残っているところに、哀れさを超えたしたたかさやいじらしさを感じさせるので、こちらも素直に感情移入ができる。

 その父とは対照的に、絶望的な状況の中でりりしく成長していく息子のペレの姿が、コントラストの妙を生む。だから、この2人がどんな苦境に立たされても、決して湿っぽくはならないし、むしろ2人の姿から温かさやしたたかさが感じられるのである。

 それ故、ラストの、もう二度と会うことがないであろう、この父と子の別れのシーンにも、それぞれの役割を分かり合った男同士の別れ、あるいは父を越えていく息子の姿を見るような思いがして、すがすがしい気分で見終わることができるのだ。フォン・シドーはもちろん、ペレを演じた子役も見事にうまい。 

 原作では、この後ペレはアメリカに渡って革命指導者になるらしいのだが、この映画に関しては続編は要らない。なぜなら、たくましく大氷原を去っていくペレの姿に、われわれ受け手のそれぞれが、違った形の希望を夢見ればいいと思うからだ。

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