『東京2020オリンピックSIDE:A』(2022.5.31.東宝試写室)
新型コロナウイルスのまん延で1年延期となり、開催自体が疑問視された今回のオリンピックは、その存在意義をはじめ、さまざまな問題を提起した。だからこそ、ただ競技を追うだけでは済まされないところはあったと思う。
だが、このドキュメンタリーについては、果たして問題提起がしたかったのか、お得意の映像詩的なものが撮りたかったのか、選手のバックグラウンドや内面に迫りたかったのか、主眼がよく分からない。そのどれもが中途半端であり、脈略もないから散漫な印象を受ける。
また、「アスリートも人間である」というのがテーマだったようだが、それを表現するために、選手や関係者へのインタビューを多用した点にも疑問が残る。これではオリンピックで選手が見せたパフォーマンス自体が薄く見える。
前回の市川崑の『東京オリンピック』(65)も、記録か芸術かで賛否両論あったが、少なくともインタビューなど入れずに、映像で勝負していた。ひたすら彼ら、彼女らの姿を映すことで、言葉以上のものを感じさせた。記録映像の真骨頂はそこにあるのではないか。この場合のインタビューは逃げやごまかしではないのか。
この「SIDE:A」はアスリートや関係者、「SIDE:B」は非アスリートに取材したものだという。だから「SIDE:B」がインタビュー主体になるのは分からなくはないが、アスリートを映す「SIDE:A」で、実際にどんな競技が行われ、どんな勝負が展開されたのかが浮かんでこないようでは本末転倒だと思う。
そもそも、オリンピックの記録映画の監督がなぜ河瀨直美なのかという疑問が、この映画を見てさらに募った。これこそが、さまざまな人選で失敗し、物議を醸した今回のオリンピックの象徴ではないのかという気がした。
オリンピック記録映画
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/182a7c09eca1cb94cfc2054752351e46