田中雄二の「映画の王様」

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ビデオ通話で西部劇談議『ガンファイターの最後』

2022-06-04 18:13:44 | 駅馬車の会 西部劇Zoomミーティング

 今回のお題は、リチャード・ウィドマーク主演の『ガンファイターの最後』(69)

 メンバー提供のポスター

 町民たちが、自分たちが雇い、守ってもらった保安官(ウィドマーク)を、邪魔になったので排除するという、この映画と似た構図は、例えば『街中の拳銃に狙われる男』(55)『ワーロック』(59)『追跡者』(71)など、結構ある。大きく分ければ『真昼の決闘』(52)もここに入るか。

 今から見れば、この時期よく作られた、ガンマンの黄昏や時代の移り変わりを描いた西部劇の中の一本という見方もできる。

 最近では、西部劇ではないが、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(16)のスーパーマンの立場が、これらの映画の保安官の姿と通じるものがあった。

 そんなこの映画は、最初はロバート・トッテンが監督をしていたのだが、ウィドマークともめて途中降板。その後をドン・シーゲルが継いで完成させたが、彼は監督としてのクレジットを拒否した。

 その結果、アラン・スミシーという架空の監督名がクレジットされ、以後、監督が何かのトラブルで降板したり、自分の意図と異なる作品に仕上がり、名前を出すことを拒否した場合は、この名前が使われるようになった。

 実質、スチュアート・ローゼンバーグが監督した『ハリー奪還』(86)、同じくデニス・ホッパーが監督した『ハートに火をつけて』(89)などが有名。

 ウィドマークはくせの強い悪役で売り出したが、そのために娘が学校でいじめられることを心配して、善人役も演じるようになったという。その娘は、後に、ドジャースの名投手サンディ・コーファックスと結婚した。

 ウィドマークが主演した「最後のガンファイト」(75)という邦題のテレビムービーがあるため、日本ではこの映画と混同されるケースも発生した。

「BSシネマ」『ガンファイターの最後』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/f7fada0abacf083f3182820bd3a8ebce

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『エルヴィス』

2022-06-04 09:12:32 | 新作映画を見てみた

『エルヴィス』(2022.6.2.ワーナー試写室)

 エルビス・プレスリーの人生を、マネージャーのトム・パーカー大佐との関りを中心に、バズ・ラーマン監督が映画化。

 いわゆる“エルビス伝説”を見知った者にとっては、あまり新味はないが、例えば、エルビスと黒人ミュージシャンのB.B.キング、リトル・リチャード、マハリア・ジャクソンらとの関わり方、エルビスがジェームズ・ディーンに憧れ、アクターになることを望んでいたこと、バーブラ・ストライサンド主演の『スター誕生』(76)の相手役(実際はクリス・クリストファーソン)の可能性があったことなど、新たに知らされたこともあった。

 何より、エルビスを演じたオースティン・バトラーが絶品で、歌はもちろん、ちょっとしたしぐさや動きまで、エルビスを感じさせるところには驚かされた。

 また、トム・ハンクスが、特殊メークを駆使してパーカー大佐を熱演しているのだが、この男がエルビスに与えた功罪は、もちろん罪の方が大きいのだが、彼がいなければエルビスは埋もれていた可能性もあるので、この2人の出会いは、ある意味、運命だったのか、という感じもする。

 で、この映画の核は、そうした2人の、腐れ縁とでもいうような奇妙な関係性を描いた点にある。また、ライブやステージの場面は、ラーマン監督お得意のけれん味たっぷりの演出が施され、見応えがあったし、パーカーの妄想や夢のシーンは、ボブ・フォッシーの『オール・ザット・ジャズ』(79)を思い起こさせるところがあった。

『エルヴィス・プレスリー:ザ・サーチャー~キング・オブ・ロックの魂の記録~』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/ee032b421a9f92228b0bd080a80a7aa3

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