今日三月一日は、私の亡き母の誕生日です。
よく死んだ子の年を数えると言いますけれども、私はいつも死んだ親の年を数えています。
大正12年3月1日に生まれて、平成2年7月31日に亡くなりました。(1923~1990)
67年の人生でした。
1日から31日というのが、母の人生を象徴していると思っています。
何から何まで
最初から最後まで
基本から応用まで
私の故郷では、『食うこんから食わないもんまで』と言います。
旧家の嫁の心得なのです。
食事の支度すなわち、炊事、洗濯、掃除などの家事全般。
食わないもん、すなわち家の継承。冠婚葬祭に代表される交際。
子供の教育。老親の介護。
母がクモ膜下出血で倒れて、救急車で緊急入院した時に、
薬で眠り続ける母を見て、「あー、お母さんはやっと、あの重いお茶の袋を担がなくて良くなったんだ。」と思った私なのです。
「お父さんさえ生きていてくれたら」というのが、母の口癖でした。
その頼りの父親も1日生まれで、25日に亡くなりました。(1920~1966)
25日は、サラリーマンの給料日が多いです。
父親は、お金、経済の支えを象徴していると思っています。
今日母は、生きていれば満八十八才の米寿だったのですが、十時間を超える手術を耐えたにもかかわらず、
闘病わずか18日で意識が回復しないままに、20年前に亡くなりました。