夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

弥生一日生まれの女

2011-03-01 20:14:15 | インポート

Dsc07530

Dsc07540 Dsc07539

Dsc07534

今日三月一日は、私の亡き母の誕生日です。

よく死んだ子の年を数えると言いますけれども、私はいつも死んだ親の年を数えています。

大正12年3月1日に生まれて、平成2年7月31日に亡くなりました。(1923~1990)

67年の人生でした。

1日から31日というのが、母の人生を象徴していると思っています。

何から何まで

最初から最後まで

基本から応用まで

私の故郷では、『食うこんから食わないもんまで』と言います。

旧家の嫁の心得なのです。

食事の支度すなわち、炊事、洗濯、掃除などの家事全般。

食わないもん、すなわち家の継承。冠婚葬祭に代表される交際。

子供の教育。老親の介護。

母がクモ膜下出血で倒れて、救急車で緊急入院した時に、

薬で眠り続ける母を見て、「あー、お母さんはやっと、あの重いお茶の袋を担がなくて良くなったんだ。」と思った私なのです。

「お父さんさえ生きていてくれたら」というのが、母の口癖でした。

その頼りの父親も1日生まれで、25日に亡くなりました。(1920~1966)

25日は、サラリーマンの給料日が多いです。

父親は、お金、経済の支えを象徴していると思っています。

今日母は、生きていれば満八十八才の米寿だったのですが、十時間を超える手術を耐えたにもかかわらず、

闘病わずか18日で意識が回復しないままに、20年前に亡くなりました。