東京は生きるのも、死ぬのも大変
先日亡くなった義母の葬儀。
お通夜をしない一日葬と言う生まれて初めて聞く葬式。
家族葬と言うのは、富士山麓でもボチボチ認知されて来て、
町内でも二軒程執り行われました。
家族葬の一日葬と言うのは、
死に逝く人にとって、
今生の知り合いともゆっくり別れを惜しむ間も無く
あれよあれよと言う間に火葬されて、
心太式に、骨壺の中……
故人にも、死んだんだと言う自覚?!も生まれないまま、荼毘に付されて
中陰の間現世への未練が残りそうな気がします。
葬儀の前の一晩だけ葬儀場の和室で、義母と夫、私の三人で一晩過ごしました。
義母と同じ部屋に寝るなど、最初で最後の経験です。
義母の遺体は病院から家にも帰らないで、葬儀場に直接運ばれて来たようです……
でもそのお陰様で夫と私は、一晩ゆっくり別れを惜しむことが出来ました。
夫は孤児じゃない!
置き去りにされた子なんだ!
そんな思いで義母を見つめて二人でお経を唱えました。
沢山のブルーベリーの実
東京は相変わらずせわしない街ですね……
火葬場に次々と霊柩車が到着すると、
台車に乗せられた棺桶がテキパキと流れ作業のように、釜に向かいます。
次の予定があるのでしょうか?
五分も遅れていないのに、未着の下の息子二人がまだかまだかと急かされます。
息子たちの車は葬列に割り込んだ車のお陰で信号が変わってしまったのです。
カーナビは、葬式は左回りに走るということまでは配慮していないようです。
「どうぞ時間厳守で進めて下さい。必ず来ますから。」と申し入れている内に駆け足で息子たちがやって来ました!
棺桶に釘を打つ事もなく、ベルトコンベアーに乗せられるように炉の中に消えて行きました。
ベテランの女性係員の方の指示に従って、祓いの膳の用意された待合室へ。
なんと、一時間でお骨になってしまうそうです。
熟練したボイラー技師が上手に火加減しているのでしょうね……
10分前に館内放送がありました。
最先端技術を駆使した流れ作業のような光景。
突然愛する夫や妻、子を亡くした人は、家族の死を受け入れることが出来るのだろうか?
田舎の町外れの火葬場の太くて大きな煙突から、父の遺体を焼く白い煙が師走の青空に昇るのを見て、泣いていた13才の少女は、半世紀後東京の大きな火葬場で、まるでSFの世界のような近未来的なお葬式の姿に驚いたのです。
朝の湯灌。納棺。
告別式。初七日。
出棺。
火葬。
一通りの儀式を滞りなく終了しました。
私も痛みと疲れで立っているのも辛くなっていましたので、出口近くに在った車椅子に腰掛けてしまいました。
先程のベテラン係員さんが出口迄押して下さると言うので、甘える事にしました。
「東京は生きるのも、死ぬのも大変ですね…」
Гマァ、面白いことをおっしゃいますね……」
私の姿を見つけた息子が飛んで来て、「自分が押します。」と代わってくれましたので、
正直な私の感想を言えませんでした。が、結婚式も自分たちの思うように出来ませんでしたので、せめて最後の葬儀だけは、ゆっくりと昔ながらの方法で送って欲しい。
自分も死を十分受け入れて、弔問客みんなに挨拶してから旅立ちたい!
庭の花や、愛着のある思い出の品々。愛する子や孫たちに囲まれて、家から旅立ちたい!
せわしないは、忙しない。世話しない。
本当に東京は生きるのも、死ぬのも大変ですね……