旭化成名誉フェロー吉野彰さんにノーベル化学賞
連日児童虐待の暗いニュースや、
テコンドー協会や関電等の遣りたい放題、言いたい放題の醜い報道が続く中で、
サラリーマン研究者
旭化成名誉フェロー吉野彰さんの快挙には、日本中の人々が感激したと思います!
吉野さんは、
Г(受賞が)若い研究者の大きな励みになってくれるように思っている。」と語っています。
若い研究者だけでなく、老若男女を問わず生きにくくなって来ている私たちに、
夢と希望を与えて下さることと思います。
令和元年十月十日(木)自宅庭の藤袴と富士山
吉野さんと言う呼び方
博士とか、先生ではなくて 吉野さんと気安く呼んでいるなんてと不思議に思うかも知れませんが、旭化成では、どんなに偉い方でも、みんな名字に、さん付けで呼んでいました。
私がパートで勤務していた平成2年~4年には、富士支社では、
支社長でも、新入社員でもパートでも、お互いに名字にさんで呼びかけしていました。
吉野さんの胸の丸いバッヂは何ですか!?
ノーベル賞受賞者吉野さん、背広の胸に、17色の丸いバッヂを着けているのに気が付きましたか?
あれは、
SDGs エスディジーズ
持続可能な開発目標と言う
国連主導のイニシアティブ活動に参加していると言う印。
環境課題への貢献が評価され、
環境問題解決に貢献したという印。
CSR⇒企業の社会的責任
と言う観点から、※社員にバッヂを着用させている企業もあります。
※実は、私も9月に初めて、三井住友信託銀行の行員から教えて貰いました。
SDGsのバッヂは、国連本部限定のようです……?
SDGsについては、各自興味に応じて、ネットでお調べ下さいませ!!
『良い会社で仕事が出来て良かった!!』
昨夜、吉野さん受賞のニュース速報を見て、夫が感慨深そうに言いました。
天才吉野さんとは比較にもなりませんが、
1948年生まれの同い年。都内電気会社の企業内研究所で、
研究者として4年11ヶ月勤務。
父親の病気で地元に帰郷。父親のたっての頼みで、義父の立ち上げた会社で、
研究者とは全く違うベクトルの仕事に25年間。
夫の苦悩はいかばかりだっただろうと、胸が痛みます。
もしあのまま、便利屋みたいに、ありとあらゆる雑用仕事を続けていたら、
夫の持っている才能や一度切りの人生の可能性は限り無く狭くなっていただろうと、
あの時に思い切って、「辞めちゃえば~。何とかなるわよ。」と無鉄砲な発言をした私を誉めてあげたい。
今は春夏秋冬、*旭化成から宿題を出されて、残った知力を絞り出して、老齢に鞭打って?
パソコンや書類とにらめっこの勉強、仕事の毎日です。
* 現在夫は、旭化成の協力会社で役員として働いています。
持続可能な 人間の 開発目標
明るくて、健康で、環境を大切にして、良く学び良く働いて………
家族を始め周囲の人に愛される。。