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【夏の甲子園から就活ヒント】
イチローが高校二年生で夏の甲子園に初出場した1990年8月。
愛工大名電は初戦で天理に敗退しました。
その年の優勝校は初戦で戦った天理高校。
イチローは初戦敗退という苦いデビューを乗り越えて
その後大リーグで活躍するようになりました。
(画像:http://matome.naver.jp/odai/2133493695499174001より)
就職活動でも、最初から順調なデビューを飾れることが
必ずしもベストなこととは限らないわけだ。
バブル期の内定にまつわる記憶とからめて紹介してみます。
★★★定期更新は★★★
原則週2回(水・日)+増刊で予定です。
8月もファイト
★★★☆☆☆☆★★☆☆
■8月20日に内定者が企業から“拘束”されていた頃
夏休み中の8月20日、企業が一斉に内定者を“拘束”していた時期があります。
※※※
バブル期とは、日本経済が最も好景気に沸いた頂点を指し、1985年~1991年頃のことをいいます。
1989年12月、バブル期のピーク時には日経平均株価の高値が38,915円になったほどで、現在とは3倍近くの差になります。就活についても現在とは真逆で、100%売り手市場といっても過言でない状態でした。バブル期の新卒求人倍率は2倍を超え、ほとんどの就活生が思い通りの企業に就職できた夢のような時期を過ごしたのです。
1986年に発足された就職協定遵守懇談会により大学4年生の8月20日会社訪問開始、11月1日内定解禁としたものの、5月くらいから企業が学生に接触し始め、8月20日の”会社訪問解禁日”は実質内定式だったといいます。内定者を逃さないため、1日拘束や海外研修なども行っていたというから、豪華な話です。
※※※
マイナビニュース2013年8月27日記事から
■拘束の翌日が甲子園の決勝戦だった。
大学4年生だった1990年の8月20日。
tarebonは内定をもらっていた企業から“拘束”を受け、
研修という名目で愛知県の蒲郡温泉に一泊二日しました。
(内定先の企業は愛知県に本社がありました)
研修2日目の21日。
温泉から名古屋方面への移動中、バスの中で高校野球のラジオ放送が流れてきて
その日がちょうど甲子園の決勝戦だったわけです。
※※※
【第72回全国高校野球(1990年8月)】
この大会で初めて参加校数が4000校を超えた。
沖縄水産が甲子園大会史上初めて沖縄県勢として決勝戦に進出。決勝試合では終始沖縄水産の方が押し気味に展開しながらも、奈良代表の天理に対して4回表に犠牲フライで唯一の失点を許す。
結果スコアは0-1とわずか1点差で敗退、悲願の沖縄代表の全国制覇は惜しくもならなかった(試合時間1時間47分)。
※※※
Wikipedia参照
ちなみにこの年の大会では
イチローは愛工大名電の2年生
松井秀喜は星陵の1年生
(ともに初戦は敗退)
そんな1990年8月の記憶を紐解いて
今の就活ヒントに生かしてみようと思います。
■環境は1年で激変する。変化に備えよう。
1990年の8月に就職活動で内定をもらった大学生は
バブル期入社のラストと言われています。
一つ下の学年から就職氷河期に突入したため
それ以降まったく環境が厳しくなりました。
社会情勢や経済状況というものが変われば
企業の採用環境も変わってしまうということは
いつでも予想しておこう。
そしてまた、甲子園時代のイチローのように
たとえ初戦敗退や、苦いデビューをしていても
大リーグで活躍できるということもあるわけだから
どんな環境の変化にも飲み込まれずに
自分を信じて前に進む気概をもっていこう。
1990年8月の大学4年生から
24年後の大学4年生へ
またね。
2014.8.17
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8月もファイト
★★★☆☆☆☆★★☆☆
☆就活の息抜きはこちらで☆
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愛工大名電は初戦で天理に敗退しました。
その年の優勝校は初戦で戦った天理高校。
イチローは初戦敗退という苦いデビューを乗り越えて
その後大リーグで活躍するようになりました。
(画像:http://matome.naver.jp/odai/2133493695499174001より)
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■8月20日に内定者が企業から“拘束”されていた頃
夏休み中の8月20日、企業が一斉に内定者を“拘束”していた時期があります。
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1989年12月、バブル期のピーク時には日経平均株価の高値が38,915円になったほどで、現在とは3倍近くの差になります。就活についても現在とは真逆で、100%売り手市場といっても過言でない状態でした。バブル期の新卒求人倍率は2倍を超え、ほとんどの就活生が思い通りの企業に就職できた夢のような時期を過ごしたのです。
1986年に発足された就職協定遵守懇談会により大学4年生の8月20日会社訪問開始、11月1日内定解禁としたものの、5月くらいから企業が学生に接触し始め、8月20日の”会社訪問解禁日”は実質内定式だったといいます。内定者を逃さないため、1日拘束や海外研修なども行っていたというから、豪華な話です。
※※※
マイナビニュース2013年8月27日記事から
■拘束の翌日が甲子園の決勝戦だった。
大学4年生だった1990年の8月20日。
tarebonは内定をもらっていた企業から“拘束”を受け、
研修という名目で愛知県の蒲郡温泉に一泊二日しました。
(内定先の企業は愛知県に本社がありました)
研修2日目の21日。
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【第72回全国高校野球(1990年8月)】
この大会で初めて参加校数が4000校を超えた。
沖縄水産が甲子園大会史上初めて沖縄県勢として決勝戦に進出。決勝試合では終始沖縄水産の方が押し気味に展開しながらも、奈良代表の天理に対して4回表に犠牲フライで唯一の失点を許す。
結果スコアは0-1とわずか1点差で敗退、悲願の沖縄代表の全国制覇は惜しくもならなかった(試合時間1時間47分)。
※※※
Wikipedia参照
ちなみにこの年の大会では
イチローは愛工大名電の2年生
松井秀喜は星陵の1年生
(ともに初戦は敗退)
そんな1990年8月の記憶を紐解いて
今の就活ヒントに生かしてみようと思います。
■環境は1年で激変する。変化に備えよう。
1990年の8月に就職活動で内定をもらった大学生は
バブル期入社のラストと言われています。
一つ下の学年から就職氷河期に突入したため
それ以降まったく環境が厳しくなりました。
社会情勢や経済状況というものが変われば
企業の採用環境も変わってしまうということは
いつでも予想しておこう。
そしてまた、甲子園時代のイチローのように
たとえ初戦敗退や、苦いデビューをしていても
大リーグで活躍できるということもあるわけだから
どんな環境の変化にも飲み込まれずに
自分を信じて前に進む気概をもっていこう。
1990年8月の大学4年生から
24年後の大学4年生へ
またね。
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