I did it my wayフランクシナトラが自信を持ってのびのびと歌った「マイウエイ」あれは、元歌はシャンソンだったってご存知でした?それが、情けないうたでさ、「いつものように」ってタイトルで、いつものように疲れて仕事から帰ってくれば、女房は何にもしてくれないからいつものよういように自分で料理して風呂を沸かしてはいる。いつものように朝起きだしてゴミを捨てに生きコーヒーを入れて慌てて飲んで、出金する。いつものように、変わらない退屈な人生、とか言う歌らしいよナサケナサがフランス男にぴったりだよね。それが、大西洋の荒波を越えてアメリカにはいると、まさしく文化の違いだね、実にどうどうとした歌に変身する。自信にあふれ、俺のやり方さなんて恥も無く明るくやってのけたね。日本人ならどうなんだろう。「いつものようにマイウエイ」なんて分け分からないタイトルをつけて英語まじりの歌を歌っているかしらん。はっきりした文化の違いは大変おもしろいなとフェンネル氏は思いました、
今日はパンプのお誕生日です。晴れて満90歳となりました。お誕生日のケーキ、ローソクに火をつける前に飾ってあった苺をとってパックリとたべたのが、90歳の事始です。この頃、何故か、家のことを手伝ってやろうという気概にあふれています。社会に参画したいという所属と自己認知の欲求でしょうか。これが、結構頭痛の種です。今日は、笊にドッグフードをいっぱい入れてジャブジャブと洗ってました。本人は、小豆と思ってますから、これでぜんざいでも作ってくれる予定だったかもしれませんが、アボとガドは、ガックリです。「またそれを食わされるのか」と言う顔で恨めしそうに私を見ていました。それからお風呂にまだ水が少ししかたまってないのに止めてまわります。それからそれから、洗面器に鍋を入れて洗おうとします。さすが、見かねて注意すると、分かるのかどうか、すねて、食事時になってもご飯を一緒に食べようとしません。全く、ヤレヤレで、疲れてしまいます。90から100いよいよ、老いて益々の感ありだとフェンネル氏は思いました。
今日は成人の日だけどニュースも見ていないし、新成人も見かけていない。この辺りが、老人の町だろうか、若者を見ていない。それも気にならない自分がいて伝統とか文化は守らなくてはと思っているのに今回ばっかりは、一向にきにならなかった。それより、やっと冬らしくなってきて寒さが、冷たさを伴ってピンと張り詰めた空気と廻りの静寂さが気持ちよかった。久しぶりだった。こんなにリラックスできた中にも一種の緊張を持った爽快感というのは。何気ない風景の中に自分が溶け込んでいくのがわかる。誰もいないリビングでコーヒーを沸かしながら至福の時を過ごす。これだけ静寂がありがたかったことは、いままでになかった。音と言えば、お湯が沸く音と、本のページをめくる音だけ。いま、ハードボイルドの範疇にはいるのだろうか、浜田文人氏のハマの蛍シリーズにはまっている。時間があるときに少しづつ読んでいるんだけど、これが、面白いんだなかなか。主人公の名前がいいよね蛍橋正嗣、ハマの蛍だよ。結構クセがあって、適度に屈折していて、世の中裏から見てハードボイルド特有の孤独感、これがまたいいんだよな。脇も甘くなく締めているところがこの作家のセンスの良さを感じさせる。面白い本とであった時のゆったりとした時間まさに幸福の一瞬だなとフェンネル氏は思いました。
雪だと思っていたら霙だった 霙というよりかき氷 ブルースリーが製氷やさんで働いてた映画あったでしょうドラゴンへの道かな?あの氷を天国へ持っていって手動式のかき氷製造機で乱暴に作ったかき氷というのかな今日の雪は。あめゆずとてきてけんじゃ と言われてびちょびちょ降ってくる霙の中を曲がった鉄砲玉ノヨウニトビダシテイッタ賢治の心ぼそさが体験できそうだ きれいな空からの贈り物をおまえはもとめるのか 詠訣の朝にと雪のやんだ空を見上げながら賢治ととし子を思うフェンネル氏でした
小寒です。寒の入りともいいます。今日から2月3日までを寒といって一年で一番寒いときなのです。今日は、寒かった。パンプは、朝から風呂三昧です。朝起きて一風呂浴びてまでは、よかったのですが、それから、何回も繰り返す繰り返す。自分で風呂の栓を抜いて湯がなくなった風呂に入ろうとして止められ、風呂を洗って水を張った風呂にはいって寒いといってでてきて、最後は、少し沸かしすぎた風呂にまた入ろうとしています。ボケ老人は、言うことをききません。こう思ったら納得するまで止めません。状況はわかりませんから、いくら言っても止めません。肺炎になるといけないので、そこそこ注意しとけば好きにやらしてますけど、やはり、寒いのでしょうか?しきりに風呂に入りたがります。
きっとおしめが濡れていやなのでしょう。そういえば、おしめにもらす回数が今日は、多いような気がします。お風呂から出て、暖かい鳥汁を食べて、落ち着いたかと思いましたが、また、風呂に行きました。やれやれ・・・・・・。
きっとおしめが濡れていやなのでしょう。そういえば、おしめにもらす回数が今日は、多いような気がします。お風呂から出て、暖かい鳥汁を食べて、落ち着いたかと思いましたが、また、風呂に行きました。やれやれ・・・・・・。
2日にパンプは、状況が、あまり理解できていないケーコンにドリンクバーでジュースやカルピスをたくさん飲まされたせいか3日のあさからお小水が近くなりすぎておもらし状態になりました。マーチンとこのショータンがお世話にきてパンプのおしっこの水溜りに足を突っ込みました。4日は、だいぶしなかったバケツへの放尿を繰り返しました。大人のおしっこの臭いってファブリーズでは効かないのです。こんなことはじめて分かりました。広告は誇張の部分が多いのですよ。5日目になってやっと本来の調子が戻ってきて、ちゃんとトイレに行くようになって一安心です。ケーコンには、毎度のことですが、やられます。たまに田舎から出てきて陽気に騒ぐだけで基本的に理解できてませんからね。おしっこの垂れ流しや、食事のあり方。毎日の営み。
こういうのを見ていると改めて、人は、一人では生きていけないんだなと思います。もし一人なら垂れ流しだし、片付けないし、そのうち細菌が増殖して重い感染症にでもかかり誰も知らないうちに死んでいくのでしょう。「臭かったな」なんて言われて、今まで生きてきた価値なんて何にも評価されず、ただ、厄介モノとして始末される。人生の、たった一度しかない人生の終わりにそれでいいのだろうか。たくさんの人がいたって同じような状況はありますが、人の生き様で、人の生き方を考えさせられるとフェンネル氏はおもいました。
こういうのを見ていると改めて、人は、一人では生きていけないんだなと思います。もし一人なら垂れ流しだし、片付けないし、そのうち細菌が増殖して重い感染症にでもかかり誰も知らないうちに死んでいくのでしょう。「臭かったな」なんて言われて、今まで生きてきた価値なんて何にも評価されず、ただ、厄介モノとして始末される。人生の、たった一度しかない人生の終わりにそれでいいのだろうか。たくさんの人がいたって同じような状況はありますが、人の生き様で、人の生き方を考えさせられるとフェンネル氏はおもいました。
明けまして、おめでとうございます。毎年のことですが、新年の事始は、アボとガボの散歩から始まります。帰ってから、10数人分のお雑煮を作ります。おせちを広げて歳をとりお神酒を飲んでひとときの団欒を過ごして初詣にいき皆で写真をとって戻ります。戻ってから、年賀状をみたりテレビを見たりとノンビリといたします。毎年このパターンでしょうか。そんなに普段と変わりません。だから、特別、今年何かをしなければならないということはないのですが、欲望は、無限。命は、有限と申します。あれもこれもと思わず、できることから始めようと思います。
去年の紅白は、少ししか見なかったのですが、あまり、よく無かったですね。海外でも放映ということを考えればナニオカイワンですね。それでも今井美樹はよかったとおもいます。それにサブちゃんもそれなりに紅白バージョンでしたね。そんなとこですか。格闘技もこれと言って目玉がなかったし、スケートもなんだか悲哀が漂ってしまって、つまるところ見るものが無かったのです。カウントダウンコンサートに出かけようと思いましたけど寒くてやめました。今年もヘイヘイボンボンの日々でしょうか。平凡も大事でありつまらないと思うフェンネル氏でした。
去年の紅白は、少ししか見なかったのですが、あまり、よく無かったですね。海外でも放映ということを考えればナニオカイワンですね。それでも今井美樹はよかったとおもいます。それにサブちゃんもそれなりに紅白バージョンでしたね。そんなとこですか。格闘技もこれと言って目玉がなかったし、スケートもなんだか悲哀が漂ってしまって、つまるところ見るものが無かったのです。カウントダウンコンサートに出かけようと思いましたけど寒くてやめました。今年もヘイヘイボンボンの日々でしょうか。平凡も大事でありつまらないと思うフェンネル氏でした。