フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

ふりむくな

2014-11-30 07:42:03 | Weblog
スイスのお金の絵にもなっているフェルディナンドホドラーの絵をテレビで見ることが出来た。どこかでホドラー展やってるんだろう。「ぶらぶら美術館」って番組だったかな。鉄腕アトムのできそこないみたいな髪形をした人が案内してくれるんだけどたまたま出くわしてホドラーの奇妙な絵が見えたから番組を最後まで見てしまった。やけに手足が長い人とか踊る人とかなんとなくデッサンが狂っているようないないような良く分からない絵だ。山と湖を描いているんだけどなんか彼岸をみるような奇妙な絵。その中でも妻が癌に侵され死に至るまでを描き続けた絵には涙が出た。それと同時に人の顔ってこういう風に描くのかと感心もした。

妻の死もキリストの死と同じように描いたホドラー。よっぽどの心の支えだったんだね。
ホドラーは線の画家とか輪郭の画家とか言われたけど妻が死んでから何年後だったかな彼も65歳で亡くなるんだけどその2ヶ月前に描かれた遺作。同じく故郷の山と湖を描いていたけど若いときの作風とまるっきり違っていた。つまり普通の油絵の描き方だった。もちろん作品としてもいい絵だけど彼岸ではなく此岸だった。死を間近にして此岸を描くなんてホドラーらしいといえばそうなのかな。絵は人に伝えるもの、その人の生き方を人生をということを教えてもらった。僕も「野獣のような生命の情熱が迸る絵を」なんて言ってると三婆の一人が「ふりむくな、ふりむくな、夢は後ろにない」と言った。テレビで見なかったいい言葉ねだって。「それでも振り向くでね」「その前に足元見いよ」と二婆が参戦。お後がよろしいようで。
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勝手にしやがれ

2014-11-29 06:36:13 | Weblog
モンパルナスのこの通りでゴダールがあの「勝手にしやがれ」を撮ったんだ。と映画に魅了されて今では芸術映画の映画館をやっているおっさんが眼を細めながらまるで宝物でも見るようにモンパルナスの裏通りに立つ。そこに映画「勝手にしやがれ」のラストシーンが被さっていく。いつ見てもこの映画はいいな。この通りを走るベルモンドー。その背中に向けて銃を放つ刑事。倒れるベルモンドー。頭の上に刑事の足。走りよるジーンセバーグ。顔ズームアップ。パトリシアだったかな。ニューヨークトリビューンの記者という役どころ。そしてベルモンドーがミシェルってチンピラ役だったね。「この通りのそこで走って倒れたんだ」とまた画面がおっさんにかえっていく。当時が蘇えっているのかおっさんの顔が若返っていく。僕も若いベルモンドーを見て若返って行く。いいなそんな通りが変わらず残っている街なんて。あの頃のフランス映画 面白かったな。いまの映画と面白さの質が違うんだよ。というしかないんだけど。今の映画よりずっと面白かったし映画らしかった。
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クリスマスのお話

2014-11-28 06:35:24 | Weblog
この時期になるとよく「クリスマスの話」が書かれている短編集を借りてきて読みます。もちろんキリスト教圏の国の翻訳本ですけど。ドイツのものが多いのかな。キリスト教徒ではありませんけどこの日には世界中が優しくなれる日になったみたいで心温まる短編の多くを読みたくなります。寒くなる時期もあってかいつもは「バカだなアイツ」と思ってるヤツにも批判は止めよう誹謗はやめようと優しい気持ちになるのもそういえばこの頃でしょうか。ひょっとしてこれがイエスのなせるワザか。恐るべしバテレン!
信心深い人は別として日本人が程よい距離で宗教とつきあっているのは信長のおかげだってね。知らなかった。宗教戦争を起こして当時の宗教の権威のインチキさを暴いて見せ大衆の理性を目覚めさせた。この天才の存在が大きかったということだ。信長以前と以後じゃ日本人の宗教観が違うんだってね。キリストも当時の皇帝から迫害されたんだけど当時の皇帝は個人や小さな団体を潰すことに躍起で宗教の権威のインチキさを見抜けなかったんだね。日本と西洋の宗教観の違いがここにあるのかな。だから「クリスマスの話」も宗教の話ではなく面白い短編として読めるんだね。信長vsイエス。信長が生きていたらこの戦いは間違いなく行われただろう。そのためにキリスト教団と高野山が手を結んで信長を本能寺で暗殺したという話もあるからね。光秀は嵌められたというのもうなづけるところもある。このことを秀吉と家康は知っていた。のちに島原の乱で切支丹弾圧をしたのもこのことの記憶があったからとのこと。そして日本はキリスト教には制覇されなかった。そのかわり世界がやさしくなる日につけこんでイベントだけはしっかりと真似させてもらっている。クリスマスの話を読むとクリスマスって宗教行事だと書いているんだけどね。もちろん僕は面白いお話という認識だけど。
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I don't know

2014-11-27 06:37:46 | Weblog
私は知らない
         寺尾紗穂
愛を知らない子供たちに 歌う子守唄
私は知らない
安らぎを忘れた大人たちに かける言葉を
私は知らない
私は知らない 人を守る術を
私は知らない なんにも知らない

原発で日雇いで 放射能で被爆したおじさんが
虫けらみたいに弱るのを 都会の夜は黙殺する
私は知らない 人を救う術を
私は知らない なんにも知らない
私は知らない きれいな未来を
あるのは涙のように 続いていく日々
涙の上に花を咲かすそのすべを
私は知らない 私は知りたい

アルバム「青い夜のさよなら」にはいっているこの詩がすごいというので探してみた。唄のほうはまだ聴いてないけどまるでシモーニュヴェイユみたいに難しいことを分かりやすく僕らに伝えてくれる。この前まで寺尾紗穂さんのことは知らなかったけど知ってみればどんどん惹かれていく。安藤もも子さんに感謝。0.5ミリに感謝だね。もも子さんが紗穂さんの歌を聴いてぞっこんで映画0.5ミリの主題歌に使ってくれたおかげで知ることができた。ほんのちょっとしたことで人生って変わるんだね。私は知らない 私は知りたい だよね。
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図書館へ

2014-11-26 07:34:01 | Weblog
こんなことはめったにないのに20日に返却期日が切れてた本を昨日返却した。県立図書館の本と市民図書館から借りた本との返却日を同じ27日だと思っていたのが間違いだった。「すみません遅れました」と申し訳なく県立図書館の窓口へ返却。いやな顔一つせずにてきぱきと処理してくれるからさらに恐縮。怒られなかったからまたやろうなんてヤツはいないものさ。そういえば先日の寺尾紗穂さんのライブでも小さい子を連れてきてその子の面倒すらよう見ない若い母親がいたな。奇声を上げたり走り回ったり。そしたら紗穂さんが「子供の声は特別だから耳につきますがそれもライブの一部です。私も小さな子があります。ときたまコンサートに連れて行った時なんかひやひやします。だけど気になさらないでくださいね」とあのきれいな声で言われて僕らの心を和ませてくれた。怒られなかったからまたやろうなんてヤツはいないものさ。子供も走り回るのはやめたもの。だけど世の中、注意されなかったことをいいことに同じことを繰り返すヤツがいるんだよね。これを中華発想と言うんだけど。自分の周りにもいるよね。相手の気持ちも分からないで。相手の迷惑も考えないで。自分の言いたいことだけ言うヤツ。せっかくのアドバイスもフイにしてしまうヤツ。返却期日を守らないヤツ。アッ俺か。反省。
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ブシュカン

2014-11-25 09:00:35 | Weblog
仏手柑ではなくブシュカン。同じ名前だけど漢字とカタカナで種類が違うのかな。仏の手のような形の柑橘を仏手柑というのだけど高知ではこの丸い酢蜜柑をブシュカンという。味が似てるから勝手に命名したのかそれとも近似種なのか分からないけど仏がかりではなく神懸りの土佐人がしたことだから分からない。この青いヤツを市場でブシュカンの名で売っている。ぐうたら畑にもこれがある。木で熟成させると美味しいレモンのように香り高く甘酸っぱく搾ればサワードリンクとして最高の美味さをもたらしてくれる。

今日は500mlくらい搾りました。適量をグラスにとって地密を加えお湯で薄めていただきます。なんか健康が体の中に入っていく気分です。寺尾紗穂さんのあの透き通った声が聞こえてきそう。あとの少しは輪切りにして塩レモンならぬ塩ブシュカンにしました。冬の楽しみはブシュカンからです。
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残照

2014-11-24 07:06:44 | Weblog


残照
   寺尾紗穂

陽はすでに落ち 暗い部屋にひとり
こぼれゆく時を 足元にみつめ

問えど答えなく 風が鳴るだけ
愛した人も 今は遠く

時かえらず あなたの微笑みが
はるか届くだけ 残照のように

きれいな声で聞かせてくれる。日本酒に釣られて行った「0.5ミリ」のスペシャルライブだったけどとても良かった。日本酒はほんの1杯だけだったけど「美丈夫」だったから文句はない。寺尾紗穂さんは曽祖父が須崎のひとということでそれだけで親近感がうまれた背が高く髪が長く日本画のような顔で美形。顔の輪郭がとてもいい。誰かに似てるなとおもってたらカズカズに似てるんだ。とよけいに親近感をもって聴いていた。オレなんか足元にも及ばない秀才と見えた。詩を読めばわかるけどね。オープニングとエンディングに安藤桃子監督が挨拶して会場を和ませ盛り上げた。CDを買ったら寺尾紗穂さんが急遽サインをしてくれるということを桃子さんが企画してくれて僕も1枚「残照」アルバムを買ってサインしてもらった。そしたら横に桃子さんも来て一緒にサインしてくれた。

桃子さんとその時二言三言話したけど頭の良さを感じた。人って一言で分かるもんだね頭がいいか悪いかって。気をつけよう。もうおそいか。眼に知性を感じさせる女性って久しぶりだな。彼女と飲みながら話したら楽しいだろうな。一緒に仕事できる人はいいな。この「残照」も彼女が寺尾さんのファンで彼女が見つけたんだって。寺尾さんの書く詩は長いんだけどこの「残照」は短いからあまりライブでも歌ってなかったって。それが映画の主題歌になってあらためてまたこの歌と向き合うことになったと寺尾さんが言ってました
まさに残照だね。タイトルだけみるとまるで北方謙三のハードボイルド小説みたいだけど
家に帰ってCDで残照を聴きながらこの絵を仕上げた

なんかヘンにこの歌が合うんだよなと思いながら描いた。
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スペシャルライブ

2014-11-23 07:45:28 | Weblog
今晩は0.5ミリスペシャルライブ。映画0.5ミリの主題歌を歌っている「寺尾紗穂さん」のライブがある。(日本酒1杯プレゼント!なくなり次第終了)につられて行くことにした
全席自由で2000円。歌手の人は今はアーティストというのかな僕らのときはシンガーソングライターといってどちらかといえば「ワーキング」のイメージで「歌職人」だったけどとシンガーソングライターと言う言葉を懐かしむ。アーティストの言葉の意味には未来の環境を変革する人というものが含まれるんだけど今の歌手にそんだけの力はあるのかな?表象的な人は多いけどね。それはともかく「寺尾紗穂さん」については映画で歌を聴いただけで顔も知らないし何にも知らない。声がきれいだったから聴きにいくくらいのもんで寒い会場で日本酒飲みながら歌を聴くのもいいかなと思っただけ。今日は夕飯を早い目に済まして日本酒がなくならないうちに会場に行くぞ!
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講評展

2014-11-22 07:25:14 | Weblog
絵を描く人はみんな仲間だと思っているが絵を描く人ほど個が強くて仲間という響きが似合わないのだ。そんな中でナカニシさんという有名画家に教えてもらってるというのかアドバイスを受けているというのかそこら辺がはっきり分からないけどそんな教室のみなさんが油絵展を開くので行って見た。「羽ばたけ展」というタイトルに高校の文化祭のイメージがあってさぞ若い人が多いんだろうと思っていたら尾羽打ち枯らした何十年も前に高校生だった人ばかりだった。羽ばたいても1mの川も越えられそうもないとブツブツ。今日はついてることにナカニシ先生がわざわざ東京から来て生徒さんたちの作品を講評する日だった。こんな機会はめったにないので僕も生徒さんに混じって付いて回った。ナカニシさんは温和な雰囲気で田舎モンとは違ってやさしく講評して直すところを指示して丁寧に教えていた。水彩画とちがって号数が大きいのではじめはびっくりしたが慣れて来ると上手な絵とまだまだの絵とが見えてくる。人の目って先生も門外漢も変わらないのかおかしいのはおかしい。それをどうなおしたらこの絵がよくなるのかが分からないだけで受ける感じは変わらないのだ。油絵って何度でも描き直せるんだね。水彩画は描き直せないからこりゃいいなと思って聞いていた。描き慣れた人、今回がデビューの人とそれぞれの絵を講評していく。疲れるだろうなと思いながら付いて行く。僕の知り合いのオバちゃんの絵の前に行く。

彼女の油絵デビュー作だ。もちろん講評はまだまだこれからだったけどデビュー作って本人にとっては愛着があるものさ。「会ったことのない人描くより・・・」とのナカニシさんの言葉、彼女はどんなふうに受け取ったんだろう。写真そのものを描くより自分なりの像を醸し出せと言われてる様に僕は思ったけど。油絵を始めてまだ何ヶ月の人だから彼女がこれからどんなに化けていくか楽しみだ。形がきれいにとれるから水彩画にくればいいのにとも思うけどまぁ人それぞれだからね。
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読み書きそろばん

2014-11-21 07:57:34 | Weblog
文部科学省というのかな文部省のこと。その大臣が高校で日本史の必修と小学5年からの英語を教科に格上げするという発表を聞いてサンケイ新聞の編集長だったかイヌイマサト氏が「小学校では読み書きそろばんができたらそれでいい。英語なんて大人になってからでもできます。私ペラペラ。」と言ってたましたけどマスコミ人はこれが植民地化政策の一端だと知ってるんだ。だから反対している。「それって寺小屋じゃないですか」とツッコミもあったけど。中学では日本語を使わない授業だなんてバカクサ。人は読み書きそろばんができたらそれでいい。それ以上でもそれ以下でもないんだから。と昨今はそう思います。人に迷惑をかけない生き方というの自分達は授業でも教えられましたがいまでもそういうのあるのかな。その教育さえしっかりしてたらあとは程々でいいと思うけどね。それと日本史。俺たちの時代でも日本史に疎いヤツが結構いたよねその時はあまりの無知ぶりにあきれてたけど戦後作られた日本史なんか覚えててもしかたないと今では思う。本当の日本史が教えられるのは何時の日でしょうね。GHQが検閲改竄した日本史をいつまでありがたがっているんだろう。日本人の民意を削ぐという目的でそれがなされたことを忘れてはならない。いまだに中国からのクレームとか韓国からのクレームとかで教科書が作れない事態に追い込まれることがある国なんて日本だけだろう?キミ達を白人の毒牙から守ったのは日本だとどうして言わないんでしょう。「和をもって尊しとなす」日本人だからかな。このことを世界にアピールするための日本史の教科書が作られたらいいね。年号の暗記と合理的な事実の把握だけでなく精神性を高める日本史であればいいけどね。このままではあと数年で日本は滅ぶと世界では言われている。それが経済なのか民族なのかまだ真意はつかめてないけど精神性が崩壊しつつある現状は否めないアベチャンがアベトラーとして進めてきたアベノミクスは日本人崩壊の意味では彼らは成功しつつあると言えるだろう。彼らの組織が何ものかがまだはっきりとしてないけど。チャイニーズチルドレンのような気がしてならない。ただいえることは戦後作られた日本史観は御用学者のソレと変わりがないということだ。
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