スイスのお金の絵にもなっているフェルディナンドホドラーの絵をテレビで見ることが出来た。どこかでホドラー展やってるんだろう。「ぶらぶら美術館」って番組だったかな。鉄腕アトムのできそこないみたいな髪形をした人が案内してくれるんだけどたまたま出くわしてホドラーの奇妙な絵が見えたから番組を最後まで見てしまった。やけに手足が長い人とか踊る人とかなんとなくデッサンが狂っているようないないような良く分からない絵だ。山と湖を描いているんだけどなんか彼岸をみるような奇妙な絵。その中でも妻が癌に侵され死に至るまでを描き続けた絵には涙が出た。それと同時に人の顔ってこういう風に描くのかと感心もした。
妻の死もキリストの死と同じように描いたホドラー。よっぽどの心の支えだったんだね。
ホドラーは線の画家とか輪郭の画家とか言われたけど妻が死んでから何年後だったかな彼も65歳で亡くなるんだけどその2ヶ月前に描かれた遺作。同じく故郷の山と湖を描いていたけど若いときの作風とまるっきり違っていた。つまり普通の油絵の描き方だった。もちろん作品としてもいい絵だけど彼岸ではなく此岸だった。死を間近にして此岸を描くなんてホドラーらしいといえばそうなのかな。絵は人に伝えるもの、その人の生き方を人生をということを教えてもらった。僕も「野獣のような生命の情熱が迸る絵を」なんて言ってると三婆の一人が「ふりむくな、ふりむくな、夢は後ろにない」と言った。テレビで見なかったいい言葉ねだって。「それでも振り向くでね」「その前に足元見いよ」と二婆が参戦。お後がよろしいようで。
妻の死もキリストの死と同じように描いたホドラー。よっぽどの心の支えだったんだね。
ホドラーは線の画家とか輪郭の画家とか言われたけど妻が死んでから何年後だったかな彼も65歳で亡くなるんだけどその2ヶ月前に描かれた遺作。同じく故郷の山と湖を描いていたけど若いときの作風とまるっきり違っていた。つまり普通の油絵の描き方だった。もちろん作品としてもいい絵だけど彼岸ではなく此岸だった。死を間近にして此岸を描くなんてホドラーらしいといえばそうなのかな。絵は人に伝えるもの、その人の生き方を人生をということを教えてもらった。僕も「野獣のような生命の情熱が迸る絵を」なんて言ってると三婆の一人が「ふりむくな、ふりむくな、夢は後ろにない」と言った。テレビで見なかったいい言葉ねだって。「それでも振り向くでね」「その前に足元見いよ」と二婆が参戦。お後がよろしいようで。