左前輪のホイールカヴァーがなくなっているのに気付いたのが昨日スーパーの駐車場に停めた時。一山越えて来たから途中で落ちているのかな。音しなかったけど。同じ道を帰ってきたけどどこにも落ちていなかった。どこで失くしたんだろう。山道ばかり走るからワカラナイ。昨日デブの女友達を乗せたからかな。もうそういうことにしとこ。と思っていたら思い出した。10日ばかり前に左により過ぎて前輪を溝の中に落としたんだ。あの時確認したんだけどな。そのあとどっかで落ちたのかな。1個だけホイールカヴァーのない車って間が抜けて何か面白いね。
まるで絵のような土佐の新緑。
川にはこいのぼり泳いで
ほんの30分くらい車走らせたらこの光景だもの土佐はいい。でも中間山地へ行くとこいのぼりが建っている家の少ないこと。若者がいないこと実感させられた。あと10年持つかな限界集落、レッドゾーン この美しい緑の中でほろびの序曲が広がっている。ほんとうに便利さや経済効率だけで社会を形成していいのかな。「みんなちがってみんないい」と「みすず」は言うのだが。
川にはこいのぼり泳いで
ほんの30分くらい車走らせたらこの光景だもの土佐はいい。でも中間山地へ行くとこいのぼりが建っている家の少ないこと。若者がいないこと実感させられた。あと10年持つかな限界集落、レッドゾーン この美しい緑の中でほろびの序曲が広がっている。ほんとうに便利さや経済効率だけで社会を形成していいのかな。「みんなちがってみんないい」と「みすず」は言うのだが。
ゴールデンウィークが今日から始まった。ゴールデンって言い方が日本人は好きだね。僕は、ゴールデンエヴリデイだからまったく関係がないんだけどそれでもオバサン3人が山の中の「水彩画展」を見に連れて行けと行って来た。あんな山の中で展覧会なんかやってるのかな。オバサンはいつも情報があいまいだけどこっちもファジーだから「まぁいいか」ゴールデンじゃなく間違いなくシルバーウィークだな。
北川村の「モネの庭」に睡蓮が咲きました。ゴールデンウイークにはにぎあうだろうな。
ここで面白い企画は北川村のモネの庭の入場券の半券を持っていけばフランスの本物のモネの庭の入場が無料になるというもの。これはとてもいいアイデアではないだろうか。なんか夢があるよね。企画自体に。「自由は土佐の山間より出づ」の精神がまだまだ残っていると感じられるものだった。当たればいいな。饅頭つくったとか何とかジュースつくったとかそういうセコイものではなくスケールが大きい大風呂敷が僕は好きだな。
ここで面白い企画は北川村のモネの庭の入場券の半券を持っていけばフランスの本物のモネの庭の入場が無料になるというもの。これはとてもいいアイデアではないだろうか。なんか夢があるよね。企画自体に。「自由は土佐の山間より出づ」の精神がまだまだ残っていると感じられるものだった。当たればいいな。饅頭つくったとか何とかジュースつくったとかそういうセコイものではなくスケールが大きい大風呂敷が僕は好きだな。
かつて公園の遊具の傍に大きな傘を広げたような八重桜のきがあった。花が咲くとそこだけがピンクに輝いてとてもきれいだった。いつだったか台風で上から中ほどまでの木がおれてしまって再生不能かと思われたけどなんとか小ぶりなれども生き残って小さな傘をたもっている。
花の下にはいると生命の息吹を感じる。この感じ、有精卵の玉子かけご飯の味ににている。普段無精卵ばかり食わされているから有精卵の存在すら忘れていたけどやはり命をいただくということはこんなに違うのかと実感するほど有精卵の味は活力にみちていた。その命の滋味を花の下で感じた。花より団子ではないのだけど。命ということを強く感じたから。
花の下にはいると生命の息吹を感じる。この感じ、有精卵の玉子かけご飯の味ににている。普段無精卵ばかり食わされているから有精卵の存在すら忘れていたけどやはり命をいただくということはこんなに違うのかと実感するほど有精卵の味は活力にみちていた。その命の滋味を花の下で感じた。花より団子ではないのだけど。命ということを強く感じたから。
赤い鉄橋の風景に惹かれて降り立った田舎道。鉄橋の方に歩いていくと立派な学校にであった。体育館、プール、鉄筋の校舎。比較的新しい時期に建て直したのかなと思わせるきれいな校舎だが校門には鍵がかかっている。
ここも廃校だった。あと10年で山間の集落のほとんどが消滅すると言われている高知県だから仕方がないといえば仕方がないことだけど。廃校にならない、廃村にならない方法はないものか。昔なら田舎でも自給自足でいきていけたのだろうが社会のシステムが彼らの生存を赦さなくなったから生活の軸が狂い始めて消滅への道を歩かされているんだ。バジルは山間留学生をドンドン受け入れるというシステムの構築がいいんじゃないかと提言。そうだよなこんな自然豊かなところで教育はされるべきだと思う。そうだ、小学校から大学まで土佐の中間山地に点在させたらいいんじゃないか。いまの教育委員会のシステムなんか役立たないし経験も必要ない。優れたスキルを持ったものが本当の教育者として彼らの教育に取り組み将来「国の中枢」となる人物を輩出できる学校。これって人があつまるんじゃないかな。
ここも廃校だった。あと10年で山間の集落のほとんどが消滅すると言われている高知県だから仕方がないといえば仕方がないことだけど。廃校にならない、廃村にならない方法はないものか。昔なら田舎でも自給自足でいきていけたのだろうが社会のシステムが彼らの生存を赦さなくなったから生活の軸が狂い始めて消滅への道を歩かされているんだ。バジルは山間留学生をドンドン受け入れるというシステムの構築がいいんじゃないかと提言。そうだよなこんな自然豊かなところで教育はされるべきだと思う。そうだ、小学校から大学まで土佐の中間山地に点在させたらいいんじゃないか。いまの教育委員会のシステムなんか役立たないし経験も必要ない。優れたスキルを持ったものが本当の教育者として彼らの教育に取り組み将来「国の中枢」となる人物を輩出できる学校。これって人があつまるんじゃないかな。
日本一の藪椿が高知にあるということで見に行った。日本一ってけっこう高知に多いんだよね。他の県もかつては多かったんだろうけど開発でなくなったんだと思う。消去法で考えれば開発されないまた開発させない貧乏県だから結果残ったものが日本一になったんだろうか。
この里に廃校になった小学校があって
木造で昔の学校の様子を伝えてくれるうれしくなるような学校なんだけどこんな学校を廃校にしなければならないなんて行政が悪いのか教育の制度が悪いのかだろうなと思った。
まだ教室名が新しい。こんな学校で学んだら絶対悪い大人にはならないだろうなと運動場の真ん中に立って校舎を眺めていた。
この学校の少し上に「しゃくじょうかたし」と呼ばれる日本一の藪椿があった。
少し木が弱っているように見えたがケイタイのカメラには入りきらないほど大きい。花も少しは残っていたけど満開の時に来たかったな。
この里に廃校になった小学校があって
木造で昔の学校の様子を伝えてくれるうれしくなるような学校なんだけどこんな学校を廃校にしなければならないなんて行政が悪いのか教育の制度が悪いのかだろうなと思った。
まだ教室名が新しい。こんな学校で学んだら絶対悪い大人にはならないだろうなと運動場の真ん中に立って校舎を眺めていた。
この学校の少し上に「しゃくじょうかたし」と呼ばれる日本一の藪椿があった。
少し木が弱っているように見えたがケイタイのカメラには入りきらないほど大きい。花も少しは残っていたけど満開の時に来たかったな。
フィギアスケートのエキジビションを見ました。なんでも休養宣言して今期試合に出なかった「安藤美姫」さんが招待選手として参加し今シーズン最初で最後のすべりを見せると言うから。見てたらはじめのほうに白いドレスででてきました。懐かしいと言うかなんか安心して見えると言うかやはりスターなんだね。華があるというか貫禄というか24歳ということだけどずいぶん落ち着いて見えた。後半でもう一度出てきたときは黒いドレスだった。ホワイトスワン、ブラックスワンとの演出だろうか。you must love me マドンナの曲もよかったね。圧倒的な存在感が彼女の持ち主だね。メイクが薄くてナチュラルでなんか言いたいことが伝わってきそうな演技だった。アメリカの誰だったっけこの前ブラックスワンで優勝した女性のyour songにのせた演技もイタリアのコストナーの演技もよかったけど。高橋クンと鈴木明子さんの演技もよかったけど印象度は安藤さんがいちばんあったね。彼女を招待した連盟のアイデアのヒットかもしれない。見せるスポーツとしてはこの圧倒力が必要なんだろう。
いろんな人の水彩画を見ると自分で描いている絵がナンなのか分からなくなってしまって急に絵が面白くなくなってしまった。自分は淡彩を習っているんだけど濃密な絵を見るとこれが本当なのかなと思ってしまう。帰って先生の淡彩を見ると濃密な絵に比べてなんら遜色ない。自分の淡彩なんかは濃密な絵の前では仕上がり前にしか見えないのに。経済的にも淡彩がいいに決まっているんだが絵にならないのはどういうわけだ。そんなときテレビで英国水彩画展のターナーの絵を見た。構図もさることながら水彩はやはり光と影だよなと言ったチェンバレンの絵はターナーに影響されていたのか。みんな悩んで自分流を見つけているんだね。当たり前のことだけど。自分もいつか自分流を見つけるため淡彩をマスターしなければと思った。絵は奥が深いからね。
やっぱり暖かくなってくるのでというか夜が明けるのが早いからか夜12:00くらいに寝ても5:00には目が覚める。鶯が5:30頃には鳴くのでその頃蒲団から起き出す。カーテンを開け窓を開ける。その音で犬が起き出し散歩の準備をする。猫はまだ寝ているけど体は軽い。体内時計はこうなっているのかと自然のリズムを感じる。犬の散歩から帰ってきても6:50くらいだからぼくの一日は結構長い。