台風が日本の近くいるせいかどうか湿気を多く含んだジャングルのような暑さがたまらない。今日は34℃。僕のお友達の近所の83歳のバァサンはこのところ姿が見えなかったと思ってたら熱中症で入院してたって。クーラーのかかった部屋に座っていたのにね。クーラーはあまり好きじゃないともいってたから窓を開けてクーラーを切ってた時があったのかもしれないが突然食欲がなくなって無理して食べても体が受け付けなくなり胃が悪くなったのかと医者に行ったら「即入院」と言われたそうな。「脱水症」って説明があったそうな。4日か5日入院してケロッとして帰ってきた。「よかった」と一安心。うちの地区の老人はタフなのだ。退院の次の日にはスーパーに買い物に行ってたもの。やっぱり独り暮らしだから気が張ってるのだろうねボケもせず元気でしぶとく生き残る。これっていいな。でもこの暑さは尋常じゃないから気を付けてね。そう言えば、絵画教室の83歳のフミカちゃんもしばらく休んでいたけど復活。来る早々笑いを振りまいている。このしぶといバァサンたちに乾杯タフでチャーミング、このバァサンたちに学ぶことは多い。
おースザンナ、金髪のジェニー、夢路より、スワニーリヴァー、オールドブラックジョーなど学生唱歌のように聴いていたフォスターの名曲を聴く。教科書に載っていたフォスターの写真はどの作曲家よりもイケメンでアメリカの豊かさを象徴しているかのように当時は思っていたのだが貧困で病気で37歳で死んだんだってね。200曲も作曲して貧困だって。と現代の感覚で思うからだろうね。当時は作曲家なんて職業はなかったから貰える報酬は少なかったのだ。それでも曲を作ったってすごいね。後世に残っている名曲だもの。僕はフォスターなんかベートーベンやなんかと違ってもっと裕福に暮らしていたのかと思ってた。聞いて見なきゃわからないもんだね。アメリカの音楽って黒人の悲哀さを少し混ぜて作っているから心に響くんだね。フォスターって南部出身と思っていたけどアメリカ東北部の出身なんだね。南部なんか見たこともないんだよ。作曲って想像なんだね。フォスターの曲には古き良きアメリカが詰まっている。僕らが当時想像したアメリカが。「夢に見し我がジェニーは、金髪の髪、ゆさゆさと・・・」本当はライトブラウンなんだけど僕の目には金色の髪が揺れていた。それくらいいいイメージでアメリカを見てた時代にフォスターがいたんだ。懐かしいね。
四国には「空」という地区があってまさにアンデスに暮らす人々と同じく天辺人が住んでいるという「そら」とそのものずばり言うらしい。山の急斜面でジャガイモとか陸稲とか蕎麦とかを作っているとのことだがほぼ自給自足なのかなと思いきや車でコンビニにも行くしとかでそれなりに快適ライフだとか。一番いいのは縁側に座って空を眺めることだとか。何時間見ても飽きないだろうなと想像はつく。祖谷渓の奥か剣山の麓か峻険な山際にひっそりとあるんでしょうね。朝、そら見て、昼、空見て、夕べ、また大空を見る。「明日のことは明日にならなきゃわからない」こんな生活が昨今僕には豊かに映るのです。なんなのでしょうね、昔、アンだけ見てたアクション映画や任侠映画を今は全く見たくありません。チャンバラは別として。それよりはカルテットとかのヒューマンな映画をこのところ多く見ています。この変わりようは一体なんなのでしょう。もうこれでもかこれでもかというテンコ盛りのアクションに嫌気がさしてるのかもしれませんし人を傷つけるというシーンが我慢ならないのかもしれません。まぁ、そういうお年頃になったのかなと思うことにしています。僕も遠くの空を眺めたくなったのかもしれません。
長生きがいいとは一概に言えなくなった今、それでも伝統文化は守った方がいいのでありましてこの度シンゴンが77歳を迎えるにあたりまして喜寿のお祝いをしてあげることにしました。お祝いと言っても健康的に社会生活を送っているのではなく老人施設で管理された生活を過ごしているシンゴンですから宴会を開くこともできずみんなでお祝いの寄せ書きを送ることにしました。寄せ書きといってもみんな書きたい放題ですから食事制限されてるのに「お菓子持って行くぞ」とか「腹いっぱい食べろ」とか「車椅子ばっかり乗るな」とかそんな調子です。でも車椅子なんか乗らなくてもいいのに楽だから乗ってるってヤツですから。全然ボケてません。楽だからで施設に入って糖尿病かなにかが発見されて食事制限されてしまったというヤツですから。他人のおやつを取って食って怒られたヤツですが天然ですから憎めないそのシンゴンが77。短い未来であってもその未来に向かって一生懸命生きてるんだから老人の生き死にを他人がとやかく言う資格はない。今、生きてる人を心から祝ってやろうと僕がバラの花を描いてマーチンがシンゴンの干支の竜を描いた。「花と竜」かこれって出来すぎじゃない?いままでは「豚に真珠」が定番だったのに。
「天の近くで暮らす人」
アンデスの山々に囲まれた標高4000mくらいにある村で暮らす人々。日向ぼっこをしてるのかな。いつも遠い方を見ているのかな。それとも近くにいるビクーナの群れを見ているのか。「わしらは少々の野菜を植えビクーナを飼う。それだけのことさ」と言葉少なにいう。その顔がとても幸せそうに見えた。きれいな水と澄んだ空と豊かな大地このほかに何がいるのかと問い詰められそうな目。僕らが失ってきたものは大きいのかもしれない。絆。人情。思いやりでさえマニュアルに記載される社会と彼等の世界とは天と地ほどの差があるのだろう。今日も下界の蒸し暑い湿った空気の中で蠢く。せめて絵を見て天空に思いを馳せる。
朝からこう蒸し暑いと何にもできない。シナモンのお茶を淹れて飲む。少しはやる気になるかなと。飲んでる時はやる気も出るけど飲み終わったらまたグダグダと崩れ落ちるようだ。気持ち悪い汗でベトベト。眼鏡も曇る。ああ遂に雨が降ってきた。これで幾分湿気も地に落ちるだろう。少し涼しい風が吹いてきた。僕はと言えば昨日からこの前テレビでやってた青木繁の絵の中で恋人だったフクダタネさんの肖像の模写をしている。青木繁といえば「海の幸」で有名な天才画家だが生前は名声を得ることなく天才ゆえの孤独な早世をした画家だがその青木が愛した女性がフクダタネ。よっぽど好きだったんでしょうね。青木の絵の中によく見られます。簡単なようでこれがなかなかむつかしい。目がね。その人を知ってないと描けない目なんだ。何度も描きなおすけどその目にならない。天才の絵をその通りに描き写すなんて癌作者の器用さをもってしないと出来ないよね。僕は内面模写だからなとブツブツ。あんまり描いては直すもんだから薄いスケッチブックの紙はボロボロになった。それでもその肖像には青春の輝きが見て取れるから惹かれて模写してみたくなるんだ。雨がやんでまた蒸し暑くなってきた。
トイレに入ると蝉の声が今日はやけに大きく聞こえる。そこで一句。「せみ時雨の下 大便ス」なんて考えながら座ってた。スズメがエサを啄ばんでいる。一羽二羽、全部で七羽。そこで一句。「エサを取るスズメの上に蝉しぐれ」。猫が網戸を開けて出て行く。今日の新聞に出てたね。マダニに咬まれてsftsを発症した猫に咬まれて人が発症し死んだと厚生省が発表したってね。世界で初めてだって。ペットの犬や猫の発症は1例づつ。因果関係はあまり詳しく解明されてないのになぜ即断されたんでしょうね。それとも警告?また猫に受難の時代が来たね。猫捨てる奴が多くなる。それも公園に置き去りという。猫狩りと魔女狩りは似てるからもっときちんとしたデータをだしてこないと厚生省も信用できないね。また特効薬の利権が絡んでるのではないかと疑ってしまう。これじゃ、猫なんて避難所につれていけないよね。ペットは家族だよいうのにこの国の仕打ちはどうなんだろう。最近国がファシズムのように一方的にいうことが多いよね。まるで空から降って来る蝉しぐれのように。
oh please stay for me Dianaじゃないけれどダイアナ妃が亡くなってというか殺されてというか今年で20年だってね。王子たちがテレビのドキュメンタリー番組なんかに出たりしてボツボツと思い出を語りだしたね。その番組の予告編のようなビデオをちょこっと見たけどダイアナって魅力的だね。あらためてそう思う。ダイアナ妃なら吉田博の版画を選ぶだろうなと納得。なんかねぇ日本の皇室と違ってオーラがあるんだよね今見ても。すべてがチャーミングなんだね。あれから20年といわれても時間が実感できない。もっと短い時間にあった出来事のように感じているからかな。「ちょっと車が混んでて」というのが王子への最後の電話だったらしいけどまさかだよね。ローマの休日の王女とダイアナだけだもんな外国の王妃王女で印象に残っているのは。魅力溢れるっていうのは考えものだね。魅力って見ただけで心がウキウキするものでしょう?そういえば最近笑いは多いけど心がウキウキすることってないね。キラキラって言葉も消えた。いつから?思い出せない。トホホ。
ロカビリー・ロックンロールの草創期・1950年代に台頭してきた若者の歌。今ではオールディーズというのかな。一つのポップカルチャーだったね。男はリーゼント女はポニーテイル。ちょっと安っぽい気障な服を纏って先のとがった靴で闊歩していた。そんなお兄さんお姉さんを見て僕らは育ったんだ。エルビス、ポールアンカ、ニールセダカ・・・・。日本では小坂一也、平尾昌晃かな。僕が小さい頃聞いていたのは「星は何でも知っている」「みよちゃん」だったかな。だから和製プレスリーと言われてもピンとこなかった。でも世間ではそういうらしい。僕らは子供だったから当時の若者がそういったのだったならそうなんだろう。その平尾昌晃が死んだ。見るからに体が弱そうだったからこんなに長生きするとは思ってなかったんだけど弱い体を慈しんでその才能を多くの人に分け与えて79まで生きたということは素晴らしいと思う。彼のようにどこか博愛的な音楽家、もう出ないんじゃないかな。と思う。彼が残してくれた歌や歌声にロカビリーカルチャーを見つけて楽しもう。一緒の時代にいてくれてありがとう。
昨日から夏休み。シューターが元気よく言ってた。都会では夏休みも金がかかるのか「うれしくない」という子がいるんだそうだ。なんでも他の子が旅行やキャンプやバーベキューなんかをしているのを横目で見ていなくてはならないからだって。人それぞれだと思うけど。都会では横並びじゃないと幸せじゃないんだ。だったら給料をみんな横並びにすればいいのに。それはしないで子供が可哀想だとかおかしな理屈だね。それでもって「子供は地域が育てましょう」だって。棒っきれと森と川と海があれば毎日があっという間に終わっていつも宿題に泣いてたなんて夏休みどこにいったのかね。とりわけ大人なんかと一緒に遊びたくなかったよな。朝はラジオ体操、昼は川遊び、午後は虫取り、夜は花火。もうすることいっぱいで夜はコテンと寝てまた次の朝早く起きての繰り返しで他人のこと羨ましがってるヒマなかったのにね。今の子は違うんだね。ちなみに僕の周りの子は特別なことはしません。ですがそれなりに夏を満喫し夏のイベントにも参加し楽しんでます。「夏休みはいやだ」っていう子、大人が思うほどいるのかな?隣がピアノ買ったからウチも買わなくっちゃてなことないだろう。隣が夏休みでウチは夏休みがないというのは嫌だけどね。