インフルエンザの予防接種をしてきたとタンちゃんがウルサイ。さもこれでインフルエンザにかからないとでもいうように。「65歳以上だから1000円だった。ノリタンは2200円」と65歳以上が偉いように言う。「これでウチはみんなしたけど」とオレに振ってくる。これだから公務員上がりはいやなんだよな。みんな横並びにならないと気が済まない感覚だから。これがイジメの温床だと気づかないまま何十年も教壇に立ってさも生徒を指導しているつもりで定年までいくんだから簡単な商売といえば簡単な商売の連中だからまぁ言っても仕方ないんだけど彼らお気楽軍団がこの国の同心円の中央部にいるのだから国の方向がおかしくなるんだよな。と一瞬のうちにこの言葉が頭を巡ったけど一般庶民の私としましては「そんなもんいままでに一度だってやったことない。風邪にはかからないことにしている」と乱暴に言い放つのみでございます。そしたら何にも言えず不思議なモノを見るように口をポカンとあけて私を見ていました。世の中やれ健康だとかアンチエイジングだとかちょっと言い過ぎじゃありませんか。アンチエイジングのために性欲増進をと今日ラジオでどこかの馬鹿医者が商売でいってたけど。年寄りが性欲増進させてどうするんだろうな。始末の悪いストカーになってしまうばかりなのに。それともアイツは風俗の回し者なのか。アンチエイジングもいろいろ疑ってみないといけないね。横並びっていうのもくせものだから。シュータがいつも言ってるけど「みんな違ってみんないい」これでいいんじゃないの。商売の基本は不安を煽るってこと忘れないで。
寒いね。今日の気温は1月の中旬くらいだって。でも11月だからとストーブもエアコンもいわゆる暖房というものは使っていない。それで慣れている。しかし給湯器が壊れたのには参った。最近のヤツは自分で直せないんだ。何回やってもエラーが出てお湯がでない。これって不便なんだ。油汚れなんかお湯がないとなかなか取れないしシャワーだってでない。しかたがないから瓦斯屋を呼ぼう。不便な生活っていうのもなんだけどユニセフのCMで頑張っている子供達に比べたらとも思うけどなんか考えさせられるね。寒くなればそれに耐えられない動物は死ぬんだ。餌が取れないヤツもね。寒さって自然界でも試練なんだから。
去年の昨日、午後11時57分忘年会の二次会が終りカラオケ店を出た路上でケイコフが倒れた。心肺停止。意識不明。救急車にて搬送。11月28日午前1時半過ぎに一報届く。午前4時半ケイコフの搬送先の病院に着。そんなことが突然昨日午後11過ぎに思い出された。まるでケイコフが思い出してくれというように。僕らは泊りがけで病院に詰めていた。11月30日の朝4時ごろ病室の待合で書いた詩が残っている。
ジャム
畑にジャムとパンを持って行きました
お昼に小屋の縁側にすわって
ジャムをたっぷりとつけたパンを食べました
もうこのジャムは食べられないからと
あなたの作った最後のジャムを味わいました
このとろみは習っとくべきだったと空を見上げて
思いました
ひとは瀕死の人をみると何故過去形で語るのでしょうか
まだ生きているのにと苦笑いです
ぼくらが望むことは
治療がすべてではなく希望がすべてなのです
どうか元通りのあなたに戻れますように
どうかまたこのジャムが作れるようになれますようにと
畑を歩きながら祈ってました
パンとジャムのようなきょうだいだから
まだまだお別れするわけにはいきません。
ケイコフの人生ではきっと倒れた日が命日だったんでしょうね。だからこの日を思い出してくれとでも言うように突然あらわれたのかな。昨日僕はこの日が倒れた日と気づかないまま坊主が高い料金を取って作ったケイコフの戒名が気に入らないからケイコフの戒名を作って祀った。そういえばこの日いろいろなことをしているケイコフのために。これは単なる偶然ではないな・・・という気がする。
ジャム
畑にジャムとパンを持って行きました
お昼に小屋の縁側にすわって
ジャムをたっぷりとつけたパンを食べました
もうこのジャムは食べられないからと
あなたの作った最後のジャムを味わいました
このとろみは習っとくべきだったと空を見上げて
思いました
ひとは瀕死の人をみると何故過去形で語るのでしょうか
まだ生きているのにと苦笑いです
ぼくらが望むことは
治療がすべてではなく希望がすべてなのです
どうか元通りのあなたに戻れますように
どうかまたこのジャムが作れるようになれますようにと
畑を歩きながら祈ってました
パンとジャムのようなきょうだいだから
まだまだお別れするわけにはいきません。
ケイコフの人生ではきっと倒れた日が命日だったんでしょうね。だからこの日を思い出してくれとでも言うように突然あらわれたのかな。昨日僕はこの日が倒れた日と気づかないまま坊主が高い料金を取って作ったケイコフの戒名が気に入らないからケイコフの戒名を作って祀った。そういえばこの日いろいろなことをしているケイコフのために。これは単なる偶然ではないな・・・という気がする。
ぐうたら畑に玉葱を植えました。植えるとイノシシ君が掘り返しに来て100本で50本はやられてしまうのですが今回はどうでしょう。なるべく見つからない場所に植えましたから
それにまだここでは食べられたことがないのですがイノシシ君が大好きだというフェイジョアの実を拾ってジャムを作りました。フェイジョアって南の方の果物だと思うのですが日本に来た時にはやんごとなき御方の食膳に上がったのではないでしょうか。そのようなノーブルな香りにつつまれています。小さな実をくりぬいて蜂蜜を少し垂らしてレンジでチン。本当に少量しか出来ないんですけどストロベリーガヴァのような香りが広がってここは宮殿かと思うばかり。そのまま食べてもおいしい果物ですがジャムもなかなかいいですよ。
それにまだここでは食べられたことがないのですがイノシシ君が大好きだというフェイジョアの実を拾ってジャムを作りました。フェイジョアって南の方の果物だと思うのですが日本に来た時にはやんごとなき御方の食膳に上がったのではないでしょうか。そのようなノーブルな香りにつつまれています。小さな実をくりぬいて蜂蜜を少し垂らしてレンジでチン。本当に少量しか出来ないんですけどストロベリーガヴァのような香りが広がってここは宮殿かと思うばかり。そのまま食べてもおいしい果物ですがジャムもなかなかいいですよ。
山会があってこの19日に登山予定してたけど僕がケイコフの通夜と葬儀に参列するため欠席となった山行きだ。どうしたのかなと思っていたら寒波とアンティークが風邪でダウンで不参加があってさすがのガムシャラ登山隊も中止したとのこと。12月のはじめに行こうということで散会となった。あとでみんなでスポーツ店に行き登山靴からザックからワイワイガヤガヤでこれも一つの楽しみか。別に買うわけでもないのだけれど「あれ、あの木のカップが売れてるぞ」とか「これ新しく入ったんだ」とか発見が面白い。この前の山の写真ができていていつもはつまらないスナップ写真しか撮れないガムシャラ君だけど今回は紅葉の始まりだったこともあって自然の背景に助けられてサマになっている。その中の1枚。
紅葉が始まったばかりだった「安居渓谷」だ。もう紅葉も終わったかな。あの日は快晴で頂上は最高だった。
みんないい顔している。写真を見てるとやっぱり山へ行かなくてはと思うから不思議。
山族っていうのかな。
紅葉が始まったばかりだった「安居渓谷」だ。もう紅葉も終わったかな。あの日は快晴で頂上は最高だった。
みんないい顔している。写真を見てるとやっぱり山へ行かなくてはと思うから不思議。
山族っていうのかな。
ケイコフは白い骨になって戻ってきた。さっきまで顔として存在していたものが跡形もなく消えて真っ白い骨として目の前にきた。ナンか不思議。病気の人は悪いところの骨に色がつくと言うけれどあれはウソだね。ケイコフはピカピカの白だった。分かっているけど存在ってその人の顔にあるんだなとあらためて思った。顔は大事にしなくてはね。今からでも遅くないから。忘れないうちにとケイコフのラフスケッチを描いた。写真なんて昔のものしかないし遺影は借りられなかったしさてどうしたものかと思っていたらマーチンとこのHDに残っていたわりと最近の写真を貸してくれた。倒れる2年くらい前なのかな。写真と自分のイメージでラフスケッチを仕上げていく。僕が見たケイコフだ。マーチンが見ればまた違うかもしれない。それでもスケッチに話しかける。顔がない骨なんてあんまり思いが伝わらないから絵に描くよと。
描いてるうちに気が付いた。普段はあまり似てるとは思っていなかったけどケイコフを描いているのかマーチンを描いているのか分からなくなっていた。姉妹って似てるもんなんだね。
描いてるうちに気が付いた。普段はあまり似てるとは思っていなかったけどケイコフを描いているのかマーチンを描いているのか分からなくなっていた。姉妹って似てるもんなんだね。
ケイコフが生前得意だったマーマレードを作った。無農薬の柚子をマーチンが買ってきていて僕に作れというから。ケイコフのレシピは持っていないけど見た目が近いように作った。ケイコフはちょっと緩めだったねとか途中から会話しながら煮詰まっていくジャムを混ぜた。「ジャムはゆっくりゆっくり煮詰めるのよ」と言われたような気がした。
今日のはちょっと甘い目かな。氷砂糖を使ったから。土鍋で煮詰めると優しい味になるんだね。ケイコフが土鍋で作っていたから真似してみた。一度に沢山作ってビンに詰めてみんなに配ってたね。「ジャムいる?食べて」と闊達に言いながら配ってる姿、思い出します。これからもマーマレードを食べる時には何かしら思い出すのでしょうね。
今日のはちょっと甘い目かな。氷砂糖を使ったから。土鍋で煮詰めると優しい味になるんだね。ケイコフが土鍋で作っていたから真似してみた。一度に沢山作ってビンに詰めてみんなに配ってたね。「ジャムいる?食べて」と闊達に言いながら配ってる姿、思い出します。これからもマーマレードを食べる時には何かしら思い出すのでしょうね。
腕が痛い。両腕が萎えているように力が入らない。まるでロッククライミングをしたあとのようだ。どうしたのかな?と思い起こせば「象さん」を支えたからだと納得。立ち上がる意志すらないものを立ち上げるのだからそれも100キロ近いかそれ以上のものを支えるのだモノ腕が痛くなるはずだと納得。端的に言えば麻酔銃で倒した象さんを持ち上げようとしているというのかなそんなイメージだ。トイレまで20mを何回か繰り返したからな。
人は他者の命を奪う生き物かもしれないとこのデブを抱えながら思った。これで愛嬌がなかったらとっくの昔に雑ゴミで出されているんだろうがコイツがまた野性のというか天性の愛嬌の塊なんだから誰が見ても助けたくなるんだ。ケイコフもきっとそうだったんだろう。ケイコフの棺に花を入れながら象さんが泣いているのを見たら何もかも許すという気
になってくる。僕は象さんの手から小さなバラの蕾をとって胸に挿した。火葬場で最後の別れのときにその小さなバラの蕾を顔の横に置いて
英語が得意だったケイコフに「Thanks see you again」と言った。本当はフランス語で「
Adieu」と言ったほうがケイコフの好みだったのかもしれないが。
人は他者の命を奪う生き物かもしれないとこのデブを抱えながら思った。これで愛嬌がなかったらとっくの昔に雑ゴミで出されているんだろうがコイツがまた野性のというか天性の愛嬌の塊なんだから誰が見ても助けたくなるんだ。ケイコフもきっとそうだったんだろう。ケイコフの棺に花を入れながら象さんが泣いているのを見たら何もかも許すという気
になってくる。僕は象さんの手から小さなバラの蕾をとって胸に挿した。火葬場で最後の別れのときにその小さなバラの蕾を顔の横に置いて
英語が得意だったケイコフに「Thanks see you again」と言った。本当はフランス語で「
Adieu」と言ったほうがケイコフの好みだったのかもしれないが。
ケイコフの葬儀が終わりました。予想通り笑い80%涙20%の通夜と葬儀でした。現役の会社のオーナーでしたから義理で来る人もいたでしょうが会場からあふれて階段で待つ弔問客も多くにぎやかな葬儀でした。本人が望むと望まないとは関係なく田舎のことですからまるでお祭のようでした。通夜の会場では茶菓子のコーナーが設けられ式後に歓談してもらえるようにしてあった。喪主のシンゴン、ケイコフの亭主で巨漢で半ボケ。人に支えられないと動けない。僕らは「象さん」と呼んでるんだけど。読経が終わると立たせてもらうや否や一目散にお菓子目掛けて歩く歩く。「あんなに速く歩けるんだ」とみんなビックリ。席に着くやお盆いっぱいのお菓子をあっというまに平らげた。お茶を一杯飲んで次の盆へ。ケイコフが生きていたら怒られただろうな。それでも葬儀の最後で棺に花をちぎっていれる時泣きながらいれていた。その姿がみんなのあわれを誘った。「シンちゃん、わかっちょうたがや、泣きいうで」と誰かの言葉でみんな涙した。シンちゃん、町内で愛されているんだ。ケイコフも愛されていたんだと思った。僕は式場に惜別の思いを込めて通夜の日の朝に描いた絵を飾った。
みんなの見えるところに。僕の絵をいつも誉めてくれたケイコフのために。ケイコフを描いた絵を。
みんなの見えるところに。僕の絵をいつも誉めてくれたケイコフのために。ケイコフを描いた絵を。
昨夜8時25分頃だったか30分を過ぎていたかその頃の事だ電話があって「いま、ケイコフが息を引き取った」と。2日前に見舞った時「もうそんなに永くない」と覚悟はできていたつもりだったけどオロオロと泣いてしまった。あの日は龍馬の命日で今日は慎太郎の命日か。ケイコフの死んだ日を胸に刻み込もうと覚えておこうとそんな風に思ったのかもしれない。マーチンが誘いに来たので僕らはタンちゃんの運転する車で西へ急いだ。
この日は満月だった。僕は助手席で車の窓から満月を見ながら分からないように涙を流した。嗚咽を漏らさないようにと気を配りながら。僕が泣けばマーチンがもっと泣くだろうから僕が悲しめばマーチンがもっと悲しむだろうからと。マーチンはそれだけケイコフに寄りかかって生きてきてたから。暗い道なのに空だけはやけに明るく月そのものがケイコフのように光り輝いていた。満月の夜、僕とマーチンは最愛の姉を失った。心細さが車内を埋め尽くしている。誰にも埋められない空間をマーチンと手探りしている。
この日は満月だった。僕は助手席で車の窓から満月を見ながら分からないように涙を流した。嗚咽を漏らさないようにと気を配りながら。僕が泣けばマーチンがもっと泣くだろうから僕が悲しめばマーチンがもっと悲しむだろうからと。マーチンはそれだけケイコフに寄りかかって生きてきてたから。暗い道なのに空だけはやけに明るく月そのものがケイコフのように光り輝いていた。満月の夜、僕とマーチンは最愛の姉を失った。心細さが車内を埋め尽くしている。誰にも埋められない空間をマーチンと手探りしている。