龍馬の魂を思ったとき何故かふと谷川俊太郎さんの詩を思った。
シャガールと木の葉
貯金はたいて買ったシャガールのリトの横に道で拾ったクヌギの葉を並べてみた
値段があるものと値段をつけられぬもの
人の手が生み出したものと自然が生み出したもの
シャガールは美しいクヌギの葉も美しい
立ち上がり紅茶をいれるテーブルに落ちる柔らかな午後の日差し
シャガールを見つめているとあのひととの日々がよみがえる
クヌギの葉を見つめるとこの繊細さを造ったものを思う
一枚の木の葉とシャガール どちらもかけがえのない大切なもの
流れていたラヴェルのピアノの音がたかまる 今日が永遠とひとつになる
窓のむこうの青空にこころとからだがとけていく
・・・・・・・・この涙はどこからきたのだろう
龍馬伝が終わって軽い喪失感が僕らを包む。龍馬の本質は何かひとそれぞれの胸に問いかけてくる。僕は、勇ましいイメージではなく包み込むような優しいイメージでとらえている
この詩がね、何の脈絡もなく僕に囁きかけるんだ。何が心に響くんだろう。でもいい詩だね。
今日は、龍馬伝の最終回だからリアルタイムに正座して見なくてはと準備してたのに友達がライブするから来てくれとことわってるのにうるさく言うもんだからライブを見に行った
観客よりバンドのメンバーが多いんだけどそれなりにやってた。その帰りにパブリックビューで龍馬伝を大画面でやってたから大勢の観客と一緒に見た。生きたかっただろう龍馬と慎太郎に涙しお龍の孤独に涙した。そして龍馬伝が終わり画面に完の字が写しだされたとき誰彼となく拍手が沸き起こって感動した。ありがとう龍馬伝。1年間楽しませてくれてありがとう。最後にお龍の「うみー」という笑顔忘れない。弥太郎の嘆きも心に沁みた。いいシナリオだったね。本当に最期をみんなと一緒に 見えてよかった。
いい曲だから、人生の応援歌だからみんなに聞いてもらいたくてlink設定しました。音楽をネットに流すというのは著作権もわからなくなりパクられて大変なことになるから止めといた方がいいという意見が多かったからブログを見てくれている人だけに公開です。著作権は僕にあって別に販売しているわけではないのでトラブルことはないと思って。それにsho-jiさんのこの曲、埋もれさすのは勿体無いという思いが強いからみんなに聞いてもらいたいんだ。気に入ったら自分のブログでもPRしてもらえたらなぁと思ってます。写真は関係ないけど「A BOUT DE SOUFFLE」名題「勝手にしやがれ」のベルモンドーです。ちょっとnouvel な気分だから。
今日はいい天気だったので川をゆっくりのぼって大田口カフェにランチに行ってきた。
今年は紅葉がきれいで11月も終わり晩秋という雰囲気を醸し出している。大田口カフェは、ちょっと前まで流行のように県外の若者が移住して古い家屋を借りて改築しカフェとして再現し新しい価値観でのライフスタイルを実現しているといったものの一つだけど、きちんと地元に根を下ろした暮らしぶりが好感が持てます。何でも、吉野川でのドリフティングが趣味で知り合った男女がやがて夫婦となってこの地に移り住んだという。店の中では、もう薪ストーブが炊かれていたのには驚いたが、この辺りは朝夕は冷えるんだろうなと納得。今日のランチは、オリジナルの「がんもどき」とレンコンのきんぴら、冬瓜のあんかけ、タマゴとじのわかめスープだった。ご飯には古代米が配合されてウマイ。変に田舎っぽくなくがちがちにこだわってなくそこのところが落ち着くといった感じがうれしい。店主の人柄なのだろう。窓の外は枯葉が舞って何だか信州の古い喫茶店にいるような錯覚を覚えた。
この店はまた来るだろうと思いながら帰りは道を変えて山道を走りおわりゆく紅葉を楽しんで帰った。
”たった一人ではなく
ほんの少しでもなく
so love love love love you
みんな きみが
大好き
ここのフレーズがいいな。盛り上がっていくところがいいな。プロってすごいね。