法務大臣から死刑実行室の一般公開がありました。死刑と言う刑法があってもいいものかを問うというのが理由らしいけど公開の意味があるのかどうかも僕には分からない。給料は自分が貰うけど仕事は皆さんがただで分散してやってね。と言われてるみたい。公開したいというのは、やはり女性の発想なんでしょうね。男なら見せない。仕事をしている姿も仕事も男は基本的には見せないものだから。だから、大事なものは守秘されて守られてきたんだ。よしあしは別として男は男の役割を曲がりなりにも果たしてきたんだけど。女は、開き直るというのが武器だからかな。もし大臣が男なら死刑室は見せなかっただろう。我々に、見る権利があるとしても。死刑をなくすという議論よりも犯罪をなくすという議論をもっとすべきだろう。法務大臣が犯罪をなくすために何かを国民に問うたことがあっただろうか?たとえば、犯罪被害者の残された家族や一族が犯人が同じ空気を吸っていることを許すだろうか。あの部屋を見せられた犯罪被害者が溜飲をさげることができるのだろうか。ほら、あなた方も加害者になるんですよというテーマを与えるのだろうか。僕は、こんな部屋、見たくなかったな。もうこの国には、大人の判断ができる人がいないのかな。逆に命まで軽いものに感じた。「あんなきれいな部屋で死ねるなんていいじゃない。」なんて本題とは別のところで話題が噴出しそうだね。僕は、やはりこのことは短慮に過ぎると思うのだが。今回は、国民が選んでいない菅さん一人が決めた大臣だからかな。
僕らが冗談で言っていたことが現実となった。ーパンプより俺たちが先に逝くかも知れないーこれは、パンプの元気さを称えての話だったのだが・・・・。2年前パンプの病室に見舞いに来てくれて「早く、バナナに帰ってきてね。パンプさんはアイドルですから」と言って励ましてくれたトダ。パンプがバナナで具合が悪くなたときもいち早く病院に運んでくれたトダ。何かとパンプの世話を焼いてくれて感謝でいっぱいのトダ。つい2~3年前、元気でちょっと方言が強くてデイサービス「ばななホーム」を引っ張っていたキャリアウーマンらしかったトダ。トダが迎えに来ると「今日は、休もうか」と必ず言ってたパンプ。「そんなこと言わんと行きましょう」といつも励ましてくれたトダ。あれから、1~2年位あってないけど昨日の新聞の死亡広告欄にその名前を見つけた。病気療養中のところ51歳で永眠しました・・・と。51歳だったのか・・・とびっくり。僕らは確実に死の範疇に入っているんだと実感。アンだけ元気だったのに人って分からない。一寸先は闇か。楽しかったことばかりしか思い出がないのだがパンプより先に逝くなんて。ばななforever トダ安らかに・・・。
夏をひきとめているのは、どれだろう。太陽、月、星、海 どれだろう。今朝は雲が多く、雲の間から月はきれいに輝いて時折顔を見せた。星もちらほらと見え隠れしていた。雲はどこからくるの?と思ったとき、「夏をひきとめて」いるのは、海なのかとつぶやいていた。翼状片の手術をしたとき「海へ行く時は、必ずサングラスをかけて」と医者から言われているのでサングラスをかけるのがメンドクサイからか久しく海の顔を見ていないけど、「海にちがいない」と思った。夏には、沢山の人が来てくれるけど秋はさっぱりだからね。それにちがいないよ。季節のうつろいには、宇宙のメカニズムを感じる。世界食料機構だったか環境機構だったか忘れたけど、日本人のレベルの生活を世界中の人がしだしたら地球が2~3個いるとの発表があった。いかに日本人が世界水準から大きく外れているのだということがよくわかる。地球にとって諸悪の根源は、日本式ライフスタイルだったのか。エコエコと叫ぶ下でCO2を撒き散らして24時間眠らない社会を実現させまだまだ彼らの言う社会発展を推進している国。世界機構が、日本人にライフスタイルを変えよと迫るのは、さもありなんといったところか。考えなければ。
time to say goodbye 出発のときだ。朝の空に秋が来ていることを知った。あの雲の微妙な高さ。夏の空ではない空が早朝の空には広がっていた。この違い、分かるかな。まだ分からない人が多いかもしれないけど秋の空です。
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もし我れ心痛みたる 一人だに救い得ば
我が生活は、無駄にならず
一人の憂慮を去り得なば 一人の苦慮を医し得なば
弱りし鳥の一羽をば 助けてその巣に帰し得ば
我が生活は 無駄ならず
エミリーディキンソンのちょっと宗教くさいけど秋には合うかなという詩を暗唱したくなりました。そろそろ新聞にはパンの特集が出て手作り工房のパンを紹介していくだろう。それからだんだんと栗色を使い出して人も自然も秋へなだれ込んでいく。前に立ちはだかる残暑をものともせずに。そんな力強い出発のニュアンスが秋にはあるね。
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もし我れ心痛みたる 一人だに救い得ば
我が生活は、無駄にならず
一人の憂慮を去り得なば 一人の苦慮を医し得なば
弱りし鳥の一羽をば 助けてその巣に帰し得ば
我が生活は 無駄ならず
エミリーディキンソンのちょっと宗教くさいけど秋には合うかなという詩を暗唱したくなりました。そろそろ新聞にはパンの特集が出て手作り工房のパンを紹介していくだろう。それからだんだんと栗色を使い出して人も自然も秋へなだれ込んでいく。前に立ちはだかる残暑をものともせずに。そんな力強い出発のニュアンスが秋にはあるね。
月がとってもきれい。昨日が旧暦の7月16日だから十六夜なのかな?良く知らないけど、きれい。急に思い立って中島 敦さんの「山月記」を読んだ。教科書によく載ってたヤツだ。懐かしい。虎になった詩人の話。昔、中国と言えばこんなイメージだったよね。さもありなんというか、中国でならあるだろうといううかそういう広大なイメージだったと記憶がよみがえってきた。「人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣にあたるのが各人の性情だという」尊大な羞恥心が俺を虎にしたのだ。虎になった今でも人間の心が数時間かえってくる。そんなとき、かつての友と出会い。心情の吐露から別れまでを見事な文章で綴っている。若い時にありがちな傲慢さや尊大さを戒めて人としての生き方を示してくれている。これが、若い時に気づかないんだよね。自分も若い時にこれを読んだ記憶はあるのだけれど、人が虎になったというファンタスティックな場面ばかりに気をとられて中味はぜんぜんおぼえてなかった。残月、光冷ややかに・・とかすでに白く光を失った月を仰いで・・・とか月の表現がおおかったことも覚えていた。李徴って主人公の名前もかろうじて覚えていた。久しぶりだったけれど、昔のよくできた映画のように面白かった。僕らは、レベルの高い作品のなかで育っているんだなとあらためて思った。
「ある日の暮れ方のことである。一人の下人が羅生門の下で雨やみを待っていた。」
いつどこで、だれが、何をしていたかがこの中にぜんぶ詰まっている。季節もこうしたもので、起承転結、収まるところに収まるのだろう。と思いながら朝、いつもの通り3時半に起きて、(もういつもこの時間に目が覚める。)バナナ、ヨーグルト、牛乳をハンドミキサーででかき混ぜてバナナジュースを作り飲んで簡単な食事というか目覚めの一杯というかそれをすませて、昨日、もらった京都の漬物、胡瓜の紫蘇巻きを一切れかじると暑さに負けない塩分も補給できたと外に出てみると月がきれい。この間までオレンジ色の夏の月だったのにいまでは、すっかり稲穂色になって、秋が来てるんだなと思わせてくれる。昨日が、処暑。暑さおさまるところ。暑さは、まだまだ続くだろうが、少しの変化が、うれしくなる日々の始まりだ。例えば、虫の音とか、雲の流れとか、耳を澄ませば聞こえてくる不思議ワールドの入り口に立っている。子供の頃、夏休みが終わりかけたときに感じた惜別というか夏の終わりを覚悟するというか複雑な思いを持ったことありませんか。秋行き号のバスにのる準備というかその真空状態が僕は好きだ。
いつどこで、だれが、何をしていたかがこの中にぜんぶ詰まっている。季節もこうしたもので、起承転結、収まるところに収まるのだろう。と思いながら朝、いつもの通り3時半に起きて、(もういつもこの時間に目が覚める。)バナナ、ヨーグルト、牛乳をハンドミキサーででかき混ぜてバナナジュースを作り飲んで簡単な食事というか目覚めの一杯というかそれをすませて、昨日、もらった京都の漬物、胡瓜の紫蘇巻きを一切れかじると暑さに負けない塩分も補給できたと外に出てみると月がきれい。この間までオレンジ色の夏の月だったのにいまでは、すっかり稲穂色になって、秋が来てるんだなと思わせてくれる。昨日が、処暑。暑さおさまるところ。暑さは、まだまだ続くだろうが、少しの変化が、うれしくなる日々の始まりだ。例えば、虫の音とか、雲の流れとか、耳を澄ませば聞こえてくる不思議ワールドの入り口に立っている。子供の頃、夏休みが終わりかけたときに感じた惜別というか夏の終わりを覚悟するというか複雑な思いを持ったことありませんか。秋行き号のバスにのる準備というかその真空状態が僕は好きだ。
tropical nightとでもいうのだろうか。ジャングルの暑さであって砂漠の暑さではないよね。昨夜はまさにそれだった。それまでは、なんとか寝ていたんだけど昨夜は違っていたね。さすがの僕も3時に目が醒めて体の異変に気づいた。汗びっしょり。まさしく、寝る前に水を飲んでいなかったら熱中症でお陀仏だったに違いないと思わせる蒸し暑さだった。猫もいちばん涼しいところへ移動している。おいおい、ジャングルの中の虎の仲間だろうが、と言いたくもなるけど動物は、生きる意味において賢い。これだけ寝てる間に汗で水分を出して、起きて、おしっこをして水分を出してとなると体の中の水分は急激に減っているわけだからとすぐに水分を補給したけれど飲みたくもないときに飲む水ってうまくないね。それでも、内臓を通っていく水の流れが気持ちいい。もう寝れないからと犬を散歩に連れ出して公園を一回り。向こうから、飲み屋の従業員の帰りだろうか公園を横切る若者がふと僕らの前で足を止めて「こんばんわ」と言った。「おはよう」って感じなんだけどナと思いながらも「オッス」と返事を返した。「オッス」は、便利な言葉だ。帰ってから、シャワーを浴びるとやっと一息ついて感覚が戻ってきた。世界中どこでもokと昔は思っていたけど、ジャングルの中は無理だな歳だからなと老カウボーイの愚痴にもにたようなことをつぶやきながら猫と犬に朝飯を作ってやった。
入院から帰ってきた姉が猫の絵を病室で描いたと1枚の絵をくれた。うちは、姉二人がサルコイドーシスという原因不明の病気になって医大のモルモット的な検査対象だから不思議と言えば不思議なんだけどうちのシンデレラの姉達は「サル」だったのかと納得。そのサルの一人が描いたのがこの絵。
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うえの山吹色の猫が「フィガロ」黒いのが「ウルー」他は本当は犬を描かないといけないのに猫しかイメージがなかったのだろうか。それとも猫はそれほど身近なんだろうか。病室で一人家を思い兄弟を思いながら描いた枝と思うとおろそかにしてはいけないなと思いうけど勿論面と向かっては言わないのが姉弟なんだろう。生きてる証を残しだしたというのが少し気になるけど、病気になった人にしか分からない分野だからいまは、何にも言えない。
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うえの山吹色の猫が「フィガロ」黒いのが「ウルー」他は本当は犬を描かないといけないのに猫しかイメージがなかったのだろうか。それとも猫はそれほど身近なんだろうか。病室で一人家を思い兄弟を思いながら描いた枝と思うとおろそかにしてはいけないなと思いうけど勿論面と向かっては言わないのが姉弟なんだろう。生きてる証を残しだしたというのが少し気になるけど、病気になった人にしか分からない分野だからいまは、何にも言えない。