一年ついに終わりの日です。正確には時間かな。地球が太陽の周りをまわって振出しに戻った日なのです。その時間を数えて暦を作ったというから気の遠くなる話ですね。それほど人間というのは記憶を大事にするのですね。動物なんかは一生という単位で時間を捉えているのかそれほど気にしていませんね。それとも季節で時間を感じているのかな。時間のさすらい人という観点で言えば人は流れ者でしょうかね。流れ者は忘却するのですよね。記憶と忘却これが時間の正体なんでしょうか。今日は大晦日、明日は正月。last timeとfirst timeの間に身を置いて心の中に一つの区切りをつける。嫌なことは忘れ去り前に進もうと。残念、年寄は嫌なこともいいこともみんなオボロなんだよな。何が嫌なことだったか何がいいことだったかどうでもいい時間が過ぎていくだけだから・・・と苦笑。それでも誰かに感謝を伝えたくて「今年もお世話になりました。来年もよろしく」
impregnable難攻不落って単語がパールハーバーの記事に出てた。あのオバマと安倍ちゃんの記事の中に。不戦の誓いってのは上等なんだけどこっちは軍事基地を襲ったんであっちは無差別殺戮だろう。パールハーバーとヒロシマ、ナガサキを同列にするのにはオバマちゃん無理があるよって安倍ちゃんは言ってあげたのかな。原稿になかったか。パールハーバーがね難攻不落の英国のシンガポール城の落城につながり英国から世界の主役がアメリカに移ったきっかけだとかいう見方で書いてあった。(・_・D フムフム。パールハーバー奇襲事態おかしなことがいっぱいあるわけで裏歴史学者の説を読まないと分からないんだけど素人にも分かることが一つ。停泊中の空母を攻撃していない不思議さ。ここから米国陰謀論が囁かれるんだ。世界の主役に躍り出たい。しかし英国には遠慮がある。そこで東洋の島国を使って英国王室の権威を失墜させようとパールハーバーを仕組んだというものだ。そうとは知らずこのシナリオに沿って難攻不落のシンガポール城を攻略し白人植民地支配からアジアを解放したのがマレーの虎ハリマオだ。山下奉文、高知の男だ。世界侵略組織のシナリオの一端を担いだのは悔しいが戦後70年「不戦の誓い」を武器にオバマが出来なかった難攻不落の世界侵略組織に戦いを挑んでもらいたいね。安倍ちゃんできるかな?原稿がないか。
寒いと言っても最高温度は11℃なんだけど南国土佐では寒いんだ。朝は気づかなかったが昼下がり畑からの帰りにトンネルを抜けると北山が雪を被っていた。「おっ雪だ」と声が出る。「山行きたいな」と自然と思う。軽アイゼンで雪を踏む音が頭の中で響く。左肘痛と右五十肩でセルフヴィレイもおぼつかないのに気持ちは走る。雪って不思議なんだよな。描く前のキャンパスのように真っ白で。どの景色もそんだけ変わらないのにそこに、自分たちの前に動物の足跡があるだけで感激してしまう。無機質の中に生命の息吹を感じるのが雪景色なのかな。もちろん深い雪は観光旅行程度にしか知らないから南国の雪の話だけどね。山の会がヤマイの会になってしまった今年。もう今年の山行はないけれどこの雪はソロでもと思わせてしまう。ソロソロ行けば大丈夫かな。でも庭木も切らないといけないし年末は用事が思ったよりあるからね。と北山に向かい吠えてみる。
12月27日にリチャードアダムスが亡くなったとイギリスの新聞で知った。あの「ウォーターシップダウンのうさぎたち」の作家だ。もう物語はほとんど覚えてないがウサギが一族を率いての苦難と冒険と繁栄の物語だ。たしかアップダイクにも似たようなタイトルの本があってゴッチャになってるけどこっちが元なんだろうね。享年96歳だって。 うさぎ年生まれの僕はウサギの本はやはり気になって読んでるんだけどヘーゼルもファイバーもピーターほどは覚えていない。だけどウォーターシップダウンという理想郷は覚えている。イギリスってこの手の自然郷が守られているんだよね。それがポターのように個人で守っているという伝統が残っているからさすがだね。なんでも作家はクリスマスイブの午後10時くらいに亡くなったそうだがキリストの御胸に抱かれて昇華されたんでしょうねと想像してしまうような話だよね。ファンタジーの作家は亡くなる時もファンタジーであっただなんていいな。
久しぶりにペコちゃんに出会った。 クリスマスプレゼントにもらった「ペコちゃんどら焼き」に思いっきりペコちゃんがアップで登場。「懐かしい」というのが当たっているかな。顔がでかいんだよね。全然年を取ってないのにビックリ。「ミルキー」だけではなく今ではどら焼きにまで活躍の場を広げているのか競争の激しいキャラクター業界で生き残るのはむつかしいのにペコちゃんはエライ。たしか製造元の不二家はどこかに買収されたのではなかったかいな。親はなくとも子は育つ。「僕らミルキー世代」が生きているうちは大丈夫。それが親から子へ伝わってペコちゃんは生き延びるのかな。ペコちゃんこそ不老不死と思って眺めると老いの勇気をもらったような気がしてきた。
昨日今年最後の山の会がありました。今年は、会員の家族の怪我やら本人の体調不良やらで活動は控えめでした。それでも12月だけかな山に行ってないのは。さて来年の計画は?と集まりましたが、ガムシャラ君が無理がたたったのか右手の握力が突然6になったとかで病院でMRT 。その結果頸椎のズレと判明。1月に検査入院だって。年寄が集まると病気の話ばっかりだっていうけれど山の会も御多分に漏れず病気の会です。病気したってしなくたって「あとちょっと」なんだけどね。本人にとっては深刻な問題らしいいつまで生きるつもりなんだろう?老化は止めることはできないんだから。と思うけど握力は成人男子で普通30~40あるのかなそれが6となるとコーヒーカップが持てないんだって。15くらいあればなんとかなるらしいとのこと。ピンピンコロリが理想ならピンピンでいるために治療することは悪いことではないだろう。でも治療しても元には戻らないだろう。山に行けるくらいもどればいいかと山の会での感想だった。そして極めつけはアンティークの亭主の肝臓癌だった。「酒の飲みすぎかい」「B型肝炎からの悪化だって」「自覚症状は?」「なし」沈黙の臓器といわれる肝臓。「よくわかったね」「セカンドオピニオンで発見された」「はじめの病院がウジャウジャいうてわけがわからんき次の病院で調べたら何かに重なって見つかりにくいところにガンがあるって」まぁ発見が早かったからよかったのかな。セカンドは大事だね。この1月に検査入院。シェルパ君は1月に心臓の定期健診。オレは1月4日から歯の治療。イガン君が今のところ調子いいのかな。山の会はヤマイの会に変貌。さて来年はどうなりますことやら。
「ゆく年もまた来る年も夢の中」禿頭花
この秀逸な川柳は知り合いの俳人の作品だ。遂にこの域まで達したのかと羨望をもって眺めている。暗い俳句や短歌ばかり作ってた時代を過ぎて何か達観したのかな我欲を捨て善を施すこれ如来という心境なのかこの句は老人の胸に突き刺さって柔らかい。そういえば俳句は忘れたけれど彼は今年の高知県文化芸術賞を俳句でもらっているんだ。ずっと以前から彼の作品を見てる者にとって「継続は力なり」を実感させてくれる彼の活躍だ。芸術に天才はない。日々努力、是成。と才能のない者にヘンに間違った勇気を与えてくれるのも身近なせいなのかもしれないが彼を見習って努力だけはしようと思うのはいけないことではないだろう。年の瀬にこの句に出会うとはなんか僕は妙な明るさを感じるんだけどみんなはどうなんだろう?
今夜と明日に出会う人にはキリストが内包されているらしい。と聞いた。自分の中に聖人がいて自分の生活の範囲で聖なる行為をする。異教徒のというか無宗教の日本人の中にもキリストがいるんだから元々の同じ宗教から出ているイスラム教にもこの日はキリストがいるんだろうか。イメージとしてのキリストは偉大だから他宗教にも影響があると思うのだけど世界はサンタを待っているらしい。子供はキリストを心のうちに持っているからサンタに出会えて大人はキリストを持っていないからサンタが見えないという話どこか説得力あるよね。キリスト教徒の大人にもサンタが見えないんだったら宗教ってインチキ臭いよね。歴史を見ると日本人は明治39年頃からクリスマスに浮かれて今じゃ高知城なんて三の丸で大きなツリーのイルミネーションが輝いているからね。尊王攘夷は何処へ行ったのだ。それでも僕はこのキリストが内包されている話が好きで今夜と明日はそっと心の蓋を開けたり閉めたりしながらクリスマスを過ごすのです。83歳のスミちゃんに丹後でできたばかりのワインをクリスマスプレゼントとしていただきました。スミちゃんがサンタクロースに見えました。心の蓋を開けといてよかったです。
天皇誕生日だったか。いつまでたっても天皇誕生日は四月二十九日と覚えているから今日のことはまるで知らなかったに近い。天皇と言えば昭和天皇で今の天皇は皇太子のままで自分の中で変わってないからかな。今の天皇は何歳になるのかな。83歳か。何でも長く在位するってことは良くないと思う。天皇も60歳か65歳で定年となればいいんじゃないかな。そしたら第2ステージのモデルライフになってバカな政治家も見習わざるを得ないんじゃないかな。ふとそう思う。「象徴」という外人には分からない位置にありますから専門家ではないと軽々には言えないんでしょうがラクさせてあげたいよね。自分が決めたことでもないのに付き合わされたりして「象徴」が意思を持ってきたことが今の政権にとって「困る」ということになったのか安倍ちゃんが一番天皇を軽く見てるという印象だね。その次が慎太郎、その次がハシシタだってラジオで言ってた。このメンバー見れば何をかいわんやだね。天皇vs安倍はこれから見ものだね。国民はみんな天皇に付くということを安倍ちゃんは知らないんだろうか。「問題ない」とあの幹事長が言ったところで「お前の負けだぜ」ということになるのだが・・・。
最近、街でも店でも高らかにジングルベルの音楽を鳴らさない。というかクリスマスはひっそり感が漂ってきたね。何でももうプレセントには飽きて仮装のできるハロウィンの方が人気なんだってね。元々宗教性もない商業主義だけの日本のクリスマスだから面白さに左右されるのも仕方がない。でもクリスマスって昭和的だと思わないかい。まだ一家団欒のイメージを引き連れているから。あのツリーっていうのもモミの木じゃなくてプラのイミテーションがまことに昭和だね。安っぽい豆球ぶらさけてさ、まるで「懺悔の値打ちもない」世界がたまらなかったね。(あれは師走の寒い夜、胸に十字をぶら下げてサンタクロースを待っていた。愛というんじゃないけれど、あたしはプレゼント欲しかった。)昭和残郷伝を色濃く残す我が家ではクリスマスがあるのです。この日ばかりはみなと言っても姉の一家との合同なんですけどね2000円のプレゼントの交換会をするのですよ。回転寿司のようにプレゼントを回し誰のものが誰に行くか分からない。おれはいつも自分のものが当たりますようにと願うのだけど当たらない。「現金が欲しい」とカーコは叫ぶんですが現金は御法度なんです。だから、本当にくだらない物を買ってくる奴がいるんですよ。昭和のクリスマスはキリストよりサンタなのです。