今の今までローハイドの歌ををローレンローレンローレンと覚えていた。rollin' rollin' rollin'だったんだね。次は何を言ってるか分からずローハイドまでいって「ローハイ」と歌っていたような。チューハイでもあるまいに。これはハードワークの歌なんだよね。いわばワークソング。あの内向きな黒人やアジア人のワークソングに比べて白人のそれはナント外向き。向かっていくという白人文化をこのローハイドというタイトルが言い表してるよね。今思えばのことだけど。オンエアの当時は西部劇で面白いというくらいしか思ってなかった。東洋的な顔立ちの若き日のクリントイーストウッドも知らなかったし牛を追うという仕事もそんだけ大変とも知らなかった。ましてやrawhideって生皮の鞭って意味ってことも。中学生の頃なら辞書くらい引けたのにね。あの頃は面白い西部劇が沢山あったかかもしれないが。Keep movin' movin' movin' Though they're disapprovin' Keep them dogies movin' Rawhide・・・。白人がガムシャラな働き者だということがよく分かる。情け容赦ないというか目的遂行型というかこれが白人文化の基本なんだろうね。これは体力の差か?社会的優位性の差か?民族的に戦って勝ち取るというのが彼らの血筋なのかな。勝ち取った跡には栄光が待っていると牛も人も追うんだよな。まぁ、土地が広いから日本人には理解できないところもあるよね。アジアでは中国が唯一近い文化なのかな。労連,老連、老練、老廃土といわれてもなぁ。昔の分からなかったことをいま明らかにしていく。これって死に支度しだしたってことだろうか?ふとそんな気がした。my true love will be waitin' Be watin' at the end of my ride move'em on head'em up head'em up Move'em on Move'em on head'em up Rawhide・・・。
O Danny boy the pipes the pipes are calling じゃないけどダニー爺さんになった。先週の金曜日に畑に行って草を刈ってきた。その夜は調べたけどダニはついてなかった。土曜日もセーフ。日曜日もセーフ。月曜日にバジルんちに行って風蘭をスケッチ。半パンにTシャツだった。夜風呂に入って石鹸のついたタオルで右腿をこすった時、かさぶたがひっぺ替えされるように見えた。ン?と思ってよく見るとダニだ。草ダニかな。マダニかな。洗っても取れない。つまんで引っ張ると口の形に皮膚がとれた。咬み跡がヒリヒリする。コイツは何処からついてきたダニだ?畑といっても全部着替えてるし。バジルんちの叢かウルーが連れてきたのか?草をスケッチするため庭も草ぼうぼうにしてたけど夏は刈らないといけないね。反省ナントカ菌をもったダニに咬まれでもしたら大変だからね。虫の季節かやっかいだな。
このところ中学の同級生の話題が多い。「ヤマモトっておったろう?」「ウン、知っちゅう」「同じクラスやったろう」「あのちょっと色っぽい女の子やったね」「どこがえ」「あんた好きやったが?」とたわいもない話で始まって「どうしたが?」「死んだかえ」というのが定番。「死んでないわアホ」というのがこれも定番。「今、亭主の介護やと」親の介護がすんだら今度は亭主の介護かえ。人は介護をするために生まれてきたのか介護をされるために生まれてきたのか僕らが若いころは介護という言葉すら身近にはなかったのに。みんな自分で死ぬまで生きていたと思っているが若かる我は見て観ざりきだったのかな。目を閉じると中学の時の自分がいて斜め前の席にヤマモトがいてプラセンタなんか必要のない顔で白い夏の制服で振り向いて笑っていた。みんな幸せを絵に描いたように。あの頃が幸せだったんだろうか。大人として生きてない時期だから何とも言えないが何も考えない幸せって確かにあった。ちょうど夏の昼下がりに戸を開け放って昼寝してるような無防備な幸せが。どうしてこのままでは人はいけないんでしょうね。と疑問。坊主頭の夏の思い出。白い夏服と木漏れ日教室、黒板そして若かる我と若かる友。
Nobody does it better Makes me feel sad for the rest Nobody does it half as good as you Baby you're the bestウ~ンそうだったのか そういうことだったのか とnodody does it betterを考えてみたら日本語にはない発想だと思った。能動的で演繹法で生きている文化の発想だねと。誰もあなたほどうまくできない。それが夜眠る時私を悲しくさせる 誰もあなたの半分もうまくできない ベイビーあなたが最高。ってどういう意味?どういうシチュエーションなの?これだけでは言ってることがわからないね。これは007シリーズの「私が愛したスパイ」のテーマ曲に使われた歌だから英語圏の人は完全に理解できたんでしょうね。洋楽は言葉も分からないままメロディがいいとかリズムがいいとか雰囲気でのみ聴いているからいざ歌詞に出会うと余計に分からないことがたまにあるよね。生活習慣の違いだからそれはそれで構わないのだけれど深いところで感じたいならば理解できた方がいいわけで。と思うのですが。日本語にない発想を日本語に直すからいけないのでしょうかね。でも日本語でしか理解できないからこれは仕方がないことなんでしょうね。着物に靴を履いたような感覚。幕末の志士じゃあるまいに。いまだにソレだもんな。と頭をぐるぐると回してみる。回したところでどうにもならないんだけどナンカもどかしい。
「違いはお互いが学び合うためにあるのかもしれない」っていいね。日本人は違いが分かりにくいかもしれない。だって駅で白や黒や赤や青を見ることがないモノ。ほとんど黄色一色で移動しているから。明快な違いではなく微妙な差で「違い」を認識しているのかも。だから別に学ばない。アジアも同じかもしれない。AIに負けた世界一の囲碁棋士「カケツ」も明快な違いではなく微妙な差とAIを認識してたのかもしれない。AIとの対決には西洋の囲碁棋士が向いているんじゃないかな。と素人ながらそう思う。話は違うが「違い」は同じで言えばイタリアのシチリア島タオルミナで開かれてたG7の記念写真を見ると安倍ちゃんも見劣りしていない。アジア人は1人。他は白人。見劣りはしないがひ弱に見える。体形もわるくない体格もそこそこ。メイと身長も変わらないが微妙な差を感じる。タオル皆ではなく一人手ぬぐいという感じか。でも他の白人は明快な違いを感じているんでしょうね。白の中の黄色と。彼等は学ぶ。僕らは感じる。彼等と僕らの違いはコレかな。どんな環境で生きているかの問題だろうけど白や黒や赤や青を駅で見る環境がひしひしと押し寄せている現実に対し僕らも学ばなければならない「違い」を。ディープラーニングっていうけど人はすぐ忘れるからなぁとブツブツ。
More people linked to bombing may be at large.と新聞に出ていた。マンチェスターの爆破事件の記事だ。自爆でやられたら防ぎようがないからみんな爆破とは無縁じゃないよと警告してるんだ。僕はat largeに反応してしまった。無差別で自爆これが黄金のテロの方程式かと思うとAIであっても解決法は見つからない。それではテロを起こす奴を皆殺しにしてしまえとなるとヤラレル前にヤロウとするからもっと悲惨だ。世界から争い事はなくならないし解決法もない。となれば運を天に任せて生きていく他はなし。これじゃボケと変わらない。ボケもボケと認知してくれる人に出会ったらセーフだけど認知できない人に出会ったら悲劇だね。同じ年であの人はちゃんとできるのにアンタは何故できないの・・といわれてもなぁ。ボケだからですと言ってるのに認知してくれない。どちらが認知症か分からない世の中。まさに運否天賦の一点地六だね。ボケも自爆だからと思えば巻き込まれるのも防ぎようがないか。More people linked to bokeing may be at large.まさにこれだね。と人の集まるところにいかない。ボケの集まるところにいかない。高見の見物。これがテロの時代の生きる道か。ただし今回のようにコンサートなんかのソフトイベントなんかでやられると困るよね。あのアメリカの歌手、ヨーロッパでの公演を中止したってね。
線画淡彩が絵画教室の手法なのだが線画に彩色すると素人の絵でも上手そうに見えるから線を引かないで描いていこうと今まではしていた。それは絵が上手く描けるようになりたいから。上手そうに見える手段はすべて排除してと決めていた。が、カールラーションの水彩画を見て線画もいいかなと思うようになった。カールラーションの絵は線があるから上手そうに見えるのではなく上手い絵に日本の浮世絵のように縁取りをいれてるというか絵そのものが上手いから線が脇役で絵が静逸に見える。なるほどこういう描き方もあるのかと思いながら本を眺めている。素人はねヘンに線に味を出してそれ風に見せようとする傾向が強いということもわかった。絵は好みの問題だからそれがいけないというわけじゃないけど僕は邪魔しない線がいいね。カールラーションの線のない水彩画も秀逸。構図や目線がどこか日本的なのかとっても落ち着く。和洋折衷というかもう一度、こういう描き方もあるのかと水彩画の可能性を示唆してくれてるように感じた。水彩画一つとってみてもまだまだ知らないことが沢山あるね。AIみたいにネット化して情報を蓄えてなくてディープラーニングするわけでもなく脳の閾値が固く高いところにあるものだから情報が素通り無反応。これじゃぁ、知らない手法が山ほどあるといわれても分からないはず。いまだに塗り絵を繰り返すばかりか。道は遠い寿命の尽きる時は近い。どうすりゃいいんだろう。もう何もセンがいいのかな。
「共謀罪」法案 衆院通過。今朝の新聞のトップはこれだった。共謀罪って犯罪を計画段階で処罰するという分かったような分からないような法案だよね。やたらと警察の監視権力が強くなるって愚法だよね。市民相互監視社会の始まりなのかな。これってどこかで聞いた北の体制とそっくりの社会の実現だよね。あの安倍政権の理想はあのデブの体制の実現だったのだ。「主権在民」という民主主義の根本を奪い独裁国家を創設というのが狙いか。いよいよ馬脚を現すというか露骨に牙を剝いてきたね。一部の官憲と奴隷の分断社会の実現。これに右も左も賛同しての強行採決ときたらなすすべがない。二者択一って日本人にはない発想だ。日本人はあれもいいけどこれもいいと物事の良さを見つけて熟考して結論を導き出す。何も議論しないで説明もなしに強行採決。もし献血が強行採血だったら怒るだろう。なぜ国民主権を脅かされてるのに国民は怒らないのかな?やっぱり巷で言われてるように今は「主権在日」なのか。いつまで俺たちは血を吸われ続けられるのだろう。
イモビライザー、日本車では高級車に装着されてるのかな?そこらへんはkーuserのオレには知りようがないことだがシェルパ君が娘のフォルクスワーゲン社のコンパクトな車に乗ってやってきた。外車にはイモビライザーが標準装備なのかな。簡単にいうと盗難防止装置なんだけどこれが日本の技術でない外国物はヤッカイ。なんせ盗難防止が効きすぎるのだ。やっぱり車は「日本製が一番」という場面が目の前で起こった。シェルパ君が帰るというので車まで見送ったがエンジンをかけるもかからない。何回やってもかからない。イモビライザーが働いて移動不能になってるとのこと。自分の車なのに自分の車と認識してないらしい。ちょっと待てばかかるということだがこの日は何ともかからない。お手上げ。キーの中にチップがあって車のチップとの一致を見ないとエンジンがかからない仕組みらしい。今の車はやっかいで移動手段としての役割とてままならんか。と本末転倒を嘆く。結局1時間くらい待ったのかな。待てば海路の日和有りでやっと認識が上手くいってエンジンがかかった。もうこの車に乗って来るんじゃねーぞって言ったら「次は自転車にする」だって。最後に頼れるものはイモではなく人力か。と納得。
自転車のバックキャリーに思いっきり荷物を詰め込んで四国八十八カ所1400㎞の旅に出かけたそうな。自転車が重い。と8日目に帰ってきたシェルパ君。8日間で30カ所のお寺を回ったとか。また1週間後に残りの旅を西条から始めるとのこと。これまでの分かったこと、荷物は要らない。コンビニの24時間営業はありがたい。テントで寝るのはキツイ。遍路宿利用がベスト。歩き遍路が多いが荷物はほとんど持ってないとのこと。スタンプは1個300円。自転車のチェーンが切れたのは荷物持ちすぎだ。カヴァーリングしてくれる支援者1人確保が必要。山寺の坂はとてもキツイ。まだ他にあったっけ。今度はオレにフロントキャリーを貸してくれとメールがあった。フロントだけで行くのかな?それともフルキャリーで行くのかな?まぁ、旅がメインだからお寺で拝んでいるのかどうか分からないがスタンプコレクターだけはやめてね。と思うけど。どうでもいいか。人には人のスタイルがあるから。