高知ではまだお目にかかったことはないけどフラッシュモブってオレはファンタジーに思う。まぁ、街ではやってるのかもしれないがなんせ街なんかに出かけない爺さんだから世の中に疎いのかもしれない。通りすがりの人や店のスタッフが突然踊りだしたり演奏しだしたりしたらビックリするやら楽しいやらで面白い。特によかったのはどこだったかネットで見たんだけど路上でチェロを弾いているおばさんにいたいけな少女がコインをポトッと構えている帽子かなんかに入れてあげると一人また一人とバイオリンやら管楽器やら打楽器を持った人が現れて演奏を始めだすの「第九」だったかな。完全オーケストラという形で指揮者も来て演奏を始めると観客が何重にも取り巻いて演奏に聴き入るの。演奏が終わるとそくさくと解散してまた普段通りの街並みに戻る。一瞬の夢のような出来事。それもそのはず彼らは一流の管弦楽団のプロだったという落ちもついてなんか心豊かになった。一瞬のイリュージョン、フラッシュモブっていいな。やはり超一流のパフォーマンスがイリュージョンを産むのだ。何でもかんでもサプライズってやられると単なる迷惑だろうけどプロのサービスというのがミソなんだろうな。普段なかなか見られないものにタダで接することができるもの。
昨日の絵画教室で75歳のオクちゃんから「ヤスミン 山下」を知ってるかねと聞かれた「知らない」というと「ブラジルの10歳くらいの女の子だが歌がうまい」「日本語で歌うの?」「日本語。you-tubeで見れるから」「フ~ン」「名前ひかえたかね。忘れるで書いた?」とオレの手元を見る。オクちゃんは矢沢永吉のファンで今でも近くでコンサートがあると矢沢のタオルを首に巻きつけて行くという。最近、耳鳴りがすると言ってたけど音楽への耳は確かなんだろうか。「書いてはないけど覚えた」というと「ここを出たら忘れる」と疑り深い。「最近は書かずに覚えるようにしている」と大見え切って帰ってきたら「山下スイミン」になっていた。「あれー?」と思い出して早速ユーチューブで聞いてみる。10歳の女の子が歌っている。その歌声に郷愁というか心に染みるものを感じて聴き入る。上手いというか日本語が日本語なんだ。僕らが昔使っていた日本語の発音がここにある。ブラジル4世の女の子の中に。1曲歌い終わると「オブリガード」っていうのも可愛い。やはりきれいに発音される日本語は心地よく美しいのだと再発見。最近の風潮の英語風発音の日本語なんかクソクラエだ。まだプロの歌手になるかどうかは分からないらしいけどずっと歌を聴かせてくれたらいいなと思った。「愛は花、君はその種子」「白い雪」「吾亦紅」など7曲聴いたけどいいんだなこれが。元歌よりもね。丁寧な日本語の発音というのが琴線に触れるのかな。ちょっとハスキーな声質にも癒されるのだけど。オクちゃん、久々の大ヒットだよ。オブリガード。
田舎に住んでるというと範囲が広くなるから人よりも鹿や猿のほうが多いといわれるほどの田舎に住んでるヨシローさんが昨日訪ねてきてアケビを3つもらった。「家にできてたの?」と「聞くと来る途中で見つけた」と言って差し出してきた。神出鬼没で猿のような爺さんだが3年位前には心臓の手術をしているのに「野生だなぁ」と思う。オレなんか彼と比べるとソフィスティケイトされてるなと思う。それに差し出されたアケビのなんとワイルドなこと。 「こりゃカラスでもつついたろうかのう」「きれいにくりぬいてるね」「穴あいちょる」と毛むくじゃらのアケビを手渡してくれた。人の近くにできないアケビってこんなものなんだろう。人の近くにできるアケビはもっとツルツルして紫っぽいもの。「じゃぁ、帰るケン」といってさっさと帰ってしまったヨシローさん。まさに風と共に去りぬ。世の中分からない人がまだまだいるもんだ。
秋なのに26℃の気温。まだ半袖。ススキは穂を出してはいるが空は秋らしくなろうとしてはいるがまだ半袖。一山越えてはみたけれどそんなに変わらない。いずこも同じで夏を夏の終わりを引きずったまま。 それでもいつもの場所でお茶を沸かしてお昼をしてたら時折秋らしい風が吹いてきてはやく夏を追い出したいというのが分かる。そうやっていつの間にか秋も深まっていくんだろうけどね。そう今年は紅葉は期待できそうもないね。枯れた茶色の葉が多い。山の天辺も茶色が目立つ。「奥山にもみじ踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき」鹿の鳴く声は聞こえますが山でもまだ半袖だ。悲しき秋は来ないのだ。
somewhere over the rainbow way up highいい天気だから虹の彼方へ行ってみたい気分だ。八木重吉の「素朴な琴」という詩に「この明るさのなかへ 一つの琴をおけば 秋の美しさに 耐えかねて 琴はしずかになりいだすだろ」というのがある。秋は明るくないと秋じゃない。クリアなイメージだよね。虹の彼方へずっと高いところにある道を登っていつか子守歌で聞いたことがあるあの夢の国へ…行ってみたい。こんな気分になるのはやはり気候のせいなのかな。ザックに水とお茶を沸かすクッカーとストーヴを詰め込んでふらりとどこかへ出かけよう。各駅停車の旅もいいな。やはり今年も「秋行号」に乗るんですね。と、どこかで出発の響きが聞こえだす。小さな荷物とスケッチブック。体調すこぶる健康。頭髪ひかえめ。腹ポッコリ。それでも僕の中の琴も鳴りだすのだ。
Dean Martinの大ヒット「sway」を聴いている。名曲「Quien sera」の英語バージョンだけどスペイン語よりソフトでいい。「俺を好きになってくれるのは誰だろう」とスペイン語では歌っているらしいが英語では「僕と踊ろう、揺らして」と歌っている。ちょっとしたニュアンスの違いだけどこっちの方が軽やかでいいね。今の気分には。ディーンマーティンの歌声は艶があって聞きほれるというか心に沁みる。今の歌手にはないものがあると思う。歌詞をこねくり回して無理やり説得しようとお経みたいな歌より単純明快な方がかえって説得力があるというのがよくわかる。僕は映画「リオブラボー」の中の「ライフルと愛馬」とか「シンディー」が好きなんだけどswayもいいね。when marimba rhyths start to play Dance with me make me sway Like a lazy ocean hugs the shore Hold me close sway me more踊りたくなるね。
家の近所にシュウメイギクを咲かせている庭があります。見るたびに秋なんだと思います。名前から来るイメージなんでしょうかね。大好きな花の一つです。
花言葉は「薄れゆく愛情」とか「淡い思い」とか多感に揺れる心の意味が多いですね。だから花は風に揺れるのでしょうか。日本の花と思いきや江戸時代に中国からもたらされた花が野生化したものだってね。今でいう「セイタカアワダチソウ」のような感覚だったんでしょうかね当時は。でも名前がいいですね。秋明菊だなんて。誰が付けたのでしょうか。秋冥菊とはじめは言われて黄泉の国の花だとの説もありますね。菊だと思ってたら菊に似てるだけでアネモネの仲間だってね。「姉もね」という詩を亡くなった姉のケイコフに作ったことを思い出します。心は風に揺れますね。
イギリスの新聞に日本のことが載った。しかも現場videoで見られるコーナーに。さすが字幕はなかった。[dark smoke rise following japan blast]という説明でスタートを押すとビデオが始まる。向こうの方で煙が黙々と上がっている。バーンという爆発音も聞こえる。「公園で爆発。元自衛官自殺か」という事件の報告だ。そのvideo始まるとすぐに若い女の声で「ヤバイ、ヤバイ、やばいよ」という音声が被さる。30秒足らずのビデオだったけどその間ずっとヤバイの連続。そして最後は「あー、ほんとヤバイよ」だった。字幕英語なし。英語に聞こえたのか。訳せなかったのか。擬音に聞こえたのか。叫び声と思ったのかそれとも鳴き声か。僕にも「yabai」としか聞こえなかった。oh my god,what's happen?くらいの字幕普通ならつくんだけどなとブツブツ。これは日本語の危機。日本文化の危機だ。ついに世界でこの現状の公開。恥ずかしいなと思った。感情を現す言葉をたくさん持っている国なのに信号か暗号のように「やばい」をどんな場面でも使わないとコミュニケーションができないなんて。本当にヤバイところまで来たんだなこの国は。廃れていく日本語はもう止めようがないのだろうか。
ナタメとは山の道しるべとして木に鉈で刻む印のこと。山の文化のナタメのような存在だった登山家「田部井淳子」さんが亡くなった。腹膜ガンのため病院で死去。77歳だったとか。ずっとガンを患いながらも登山を続けていると本かなんかで読んだようなラジオで聞いたような。それが口調が面白くって明るくって屈託がなくとても苦労してきたひとには思えなかった。けど苦労の人生だったんだよ。山があるから乗り切れたといったニュアンスのこと言ってたけど簡単に背負える人生じゃなかった。それを不屈の精神でとの頑張り屋さん。彼女のおかげで山が明るくなった。ともすればマニアックな閉鎖文化に陥る山やの世界に「山ガール」なる明るい未来を届けてくれたのが彼女だからねまぁ、四国の山ではそんなに出くわすことがないのだが北アルプスなんかに行くとわんさかおるんだなこれが。山も裾野が広くなった気がしていいんだ。田部井さんのおかげかどうか知らないが山ガールたちは山のマナーもよく装備も俺たちよりいいものを使ってることが多いからより使いやすい装備の開発に貢献できるだろう。それに大胆で頑張り屋で酒飲みが多いときてるから山には初めから向いてるんだよな。山のトイレがきれいになったのも彼女らの功績だ。田部井さんが残してくれた「ナタメ」をたどってこれからも山を楽しむことが何よりの供養だろうと合掌。
ふるさと祭りに行ってきました。県下の市町村が自慢の食を届けに一堂に集まる祭典です。昨今ではスーパーにも出回ることがありますがやはり地元の人からの直買いが面白いですね。珍しいことに今年は梼原のシェムワのパンが出ていました。久しぶりに食べることが出来ました。トウワのポッポ栗は人気で行列ができている。中土佐のブースによって大野見米を買ってたら隣で酒を売ってるおばさんが飲んでけって作ったばかりのどぶろくをくれました。一口飲むとこれが旨い。こっちはいつものどぶろくとまた別のもくれました。こいつは「どぶろく」だねえ。なんてまたぐびぐび。はじめのどぶろくは日本酒で作ったものとかでこっちが気に入った。1本買い上げ。宿毛のブースで「きびなご」の天ぷらを買うとおネェさんがパックを開けてきびなごの天ぷらを追加してくれるの「おそれいります」というと「さっき逃げたから」だって。これ僕にだけのサービス。エッヘン。四万十のブースに行くと四万十ノリを振りかけた「鳥天」というのがあって買っているとまた隣で酒を売ってるおばさんが「車?」「いいえ」というと新酒をついでくれた。「生きてあることのうれしき新酒かな(吉井勇)」とまたぐびぐび。安芸のブースであつあつの土佐ジローコロッケを買って帰るころにはほろ酔い気分だった。これが面白いんだこのふるさと祭りは。