2017年がどんな年だったかと腕を組んで振り返る。腕を組んでだなんて別に斜に構えてるわけではないのだが考える振りも大事だからね。振り返ってもただそこには風が吹いてるだけなんだけど。毎日が新鮮なものですから。自分としては油絵を6月から始めた年だった。今まで9枚を制作して今日10枚目を描く予定だ。べニアの切れ端に下塗りして画材は出来上がっている。とこういうことは覚えているのですが世間で何があったかなんてとんと覚えてません。というより関心がなくなってるのかな。本当にどこ吹く風なんです。年が暮れようが明けようが知ったこっちゃない。と今時点の気持ちが優先するものなんですね。本当は2017年、それなりに大変な年ではありましたがなんとか無事千秋楽を迎えることが出来ました。皆様、本年のご愛顧ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。どうぞよいお年をお迎えください。
昨日の夜、CSで「八代亜紀のすべて」とかいう番組をやっててすべて見たわけじゃないけど八代亜紀は絵描きでもあるんだから絵も出てくるだろうなと思って見てたら最後に八代亜紀の箱根のアトリエが出てきた。キャンバスに向かってスッピンで絵を描いてるところなんざまるで職人。年間100枚はここで油絵を描くというから凄いね。小さなサイズではあるけれど100枚はスゴイ。画家のアトリエなんて乱雑で汚いものだけど八代亜紀のアトリエは清れいで掃除が行き届いている。本人の性分なんだろうね。描いてる絵も映してくれたけど「上手い」。フランスのサロンで5年連続入選の腕前だから上手いのは当たり前だけど。「時間がない、ヒマがない」とか言いやしない。忙しい中時間を作って描くというのが凄い。「歌と絵、両方がないとやっていけない」とテレビの中で言ってました歌の時の顔も彼女の作品何だね。スッピンの時は気さくなおばさんって感じですれちがっても「似た人がいるな」って感じ。夢見るだけの人がいる一方で夢を実現する人がいる。馬力の差かな。ぐいぐいと前に進むときの。グリーンゲイブルスのようなアトリエが最後に映った。赤毛の亜紀か。
昨日で県立図書館が閉館。県立図書館で借りた本は手元にある。市民と併合だから市民に返せばいい。市民は仮で運営中。来年7月14日だったっけ総合図書館が開館するのは。「オーテピア」って名前もどうかと思うけどそのうち慣れていくんだろうな。なんでこう軽っぽい名前をつけたがるんでしょうな。とブツブツ。今読んでるのは市民で借りた柚月裕子の「盤上の向日葵」。柚月さんと言えば「虎狼の血」が映画化されるんだってね。主役が役所広司さんだって。楽しみ。昔なら菅原文太がやるんだろうけど。そういえばハードボイルドができる役者がいなくなったね。独楽鼠みたいに動き回る役者ばかりでさ。運動能力がいいのかどうか知らないけどもうちょっと落ち着いた演技がみたいよね。意外と立ち回りが今の役者は下手なんだよね。打ち合わせが密になってるのか自分で考える間というものがないんだよね。デジタル演技は心に響かないよ。とブツブツ。県立が閉館すると我が家から図書館までの距離が遠くなる。これが一番嫌だななんせ「古老の血」ですからこっちは。
屋根に上って瓦をこすって汚れを落としていたら急に腰が痛くなってそれが気絶するくらい痛くなって早々に退散。年寄りの冷や水と言われる前に寝転がる。同じ姿勢を続けたのがイケなかったらしい。でもこっちは時間はたっぷりあるんだからと思い直して小さい範囲でコツコツやろうと言い聞かす。「いそがないこと、負けないこと、それが大事」。今日はいの町のかんぽの宿でやってる我が絵画教室いの支部の水彩画展を見に行く。いの支部といっても限界集落で今や2人しかいないのだから高知本部から出品をしている。ロビーでやる小さな展覧会だから出品数は多くないが上手い下手関係なく自分の好きな絵を展示しているのが特徴。僕も「静かな夏の日」という小さなサイズの絵を出品している。これはフィラデルフィアのメインラインかセンターシティのある日を描いたものだ。フィラデルフィアといえば今では治安の悪い人種差別の暴動がすぐ起こるというアメリカでもヤバイ街の一つに挙げられるけど通りを一つ隔てたらハイソな住宅街があるんだよね。ここでは何事もなかったような静かな時間が流れ子供を遊ばせる若い母親がいたり近所に住む息子の家にスープを運ぶおふくろさんがいたり昔僕らがテレビで見たアメリカがまだそのままあるんだ。モナコ王妃になったグレースケリーもこの町で生まれたんだって。僕らが憧れたアメリカを描きたかったから僕はこの絵を描いたそしてこの絵が好きだから皆に見てもらいたいなと出品した。線描淡彩の絵画教室の描き方ではないけれど絵画教室も多彩でないとねと勝手に思ってる。冬に夏の日を見るのもいいと思わないかい。時間がある人はわざわざ見に来てね。
今日は、本年最後の歯医者に行く日。上の歯は来年治療となったから今日は下の歯。下の歯は3回目の治療だから痛くない・・・はず。これも3ヶ月に1回歯の掃除とチェックに行ってたから見つけてくれた虫歯。歯医者には定期的に行くもんだと歯医者の利用方法が分かったような気がする。掃除とチェックは治療じゃないからちょっと高いけどね行かないより行った方がいいよ。歯から歳をとるんだからね。昔の人は大抵歯槽膿漏か歯周病で死んでいるんだから。こういう話をすると僕の周りも歯医者予約しとこうっていう人が増えてきた。予防歯科というのかなこういう考え方の歯医者が増えて来ればいいね。なにはともあれ年の瀬、本年最後のという言葉が頭を飾る。
イエスキリストと同じ誕生日のシュータくん。なぜかユーチューブの歌でハッピーバースデイ。でも誰もユーチューブの歌なんか知らないから独唱。なんでも自分で勝手に創ったらしい。「ユーチューブ、ユーチューブ、ハッピーバースデイ」と本人は歌ってご機嫌。すももさんに作ってもらったバースデイケーキには13のローソク。プレゼントをたくさん貰って「皆様にご挨拶を」と言われると深々と頭を下げて「ありがとうございました」と。「ウ~ン、あんなに素直に言えるといいね」「お前、どこでも生きていけるぞ」とエール。ひょっとしてイエスキリストもこんなタイプじゃなかったのかな。ダウン症のシュータくんは笑いと幸せをもたらし人の心を洗ってくれる。そりゃぁ、親は大変なんだろうけどシュータくんが僕の周りにいてくれて良かった。何故か宇宙を見てるような表情が神と交信するキリストを思わせる。この子を社会の一員として組み込む学校の教育も取り組む先生も有難い。ずっといいスタッフに恵まれたらいいけどね。染色体が1本多いというだけでゆっくりと発達する脳っていうのも何だろうね。人体の不思議だね。イエスがこの子を見たらどう思うのだろう。と僕も頭の中で想像を繰り返す。
昨日、山会がありまして久しぶりにフルメンバーが集まりました。一人は肝臓癌の亭主を抱えての準老々介護。一人は3人の介護をしてるし一人はボケ老人となった義理の母を老人施設に入れる手続き中。介護から卒業してるのは俺とシェルパ君のみ。どうしても話題は介護と看病になりがちだがそこは山会、なんでも諧謔に笑い飛ばして普段のストレスからの一瞬の解放を享受させる。「冬は山もしんどいし温泉にでも行かん?」「えいねえいね」と山会から温泉同好会へ変身。「山の温泉?」「町の温泉が楽で」「そりゃ銭湯やないかえ」とか一気に話題が盛り上がりせっかくスポルティバのトレッキングシューズを買ったシェルパ君だったがその靴で温泉へ行くことになった。有名な泉岳会に倣って俺たちも「温泉へ行こう」となった。さてどこの温泉にするか。とりあえず道後にでも行って考えよう。
今日はクリスマスイヴ。クリスマスは何でもイエスキリストの誕生日だと聞かされてきたけど紀元前後のことなんか個人の生誕の資料なんかないだろうに。聖書にもこの日お生まれになりましたとは書かれてないとのこと。誕生の記録は見たこともない星が東の空だったけ西の空だったけに現れて3人の賢者がその星に導かれていったところがベツレヘムの馬小屋だった。その飼い葉桶に赤ん坊が寝かされていてそれが救世主キリストの誕生だったとあるだけで何年何月何日とは書かれていないらしい。弟子たちの間でもいつ生まれたかは話題にならなかったのか誕生日について書いてる人はいない。あの時代そもそも自分の歳も正確には分からなかったんじゃないかな。雨の日に生まれたとか雪の日に生まれたとかそういうことはあったとしても。昔の宗教学者やなんかがさも実しやかに言い出してこの日に定着させたという偉業は凄いけど胡散臭いのが宗教の始まりだからそれはそれでいいことにしよう。ではサンタクロースはいつから日本に来たの?1945年以降だと聞いているけど。隠れキリシタンにはサンタクロースはいなかったんだね。いよいよもって異文化の侵略は国や民が弱っているときにやって来るんだね。それをクリスマスプレゼントだなんて喜んでいるんだからこの国の実体はなんなのでしょう。とりあえずメリークリスマス。こう言うときゃ当たり障りないか。くわばらくわばら。
昨日「今日は冬至」と聞いていたのに忘れていた。ゆず風呂を炊くんだったのに。最近一つのことをするとひとつ忘れる。昨日の夕方、猫に破られた網戸がそのままになってたので屋根小僧のまえに修繕しとこうと張り替えたらゆず風呂なんかすっかり忘れていた。今朝のラジオのゆず風呂の話題で冬至だったんだと知る始末。年寄りはタイミングがズレてバランスが取りにくいんだと慰める。もうゆず風呂に興味はない。今日の死亡広告を見ると友達の名が飛び込んできた。いよいよそういうお年頃かと憐れんでよく読むと友達の名とは一字違いだった。「あの野郎、しぶてぇな」と無事を思ってブツブツ。変な時に最近は休日があるからもう何が何だか分からないが今日は休日らしい。毎日が休日だから特に意識はないのだけど「あーそうですか」といちいち言うのも腹立たしい。
「世界一美しい場所を創る」って柳美里さんの自宅のブックカフェの開店コピー。気合の入れ方が違うよね。意気軒高って大事だからいい場所が出来たらいいね。世界一ではないけれど浴場の入り口までの廊下で僕らの「小さな水彩画展」を昨日から開催しています。いの町かんぽの宿で来年の1月中旬まで・・かな。「いの町一の癒しの廊下」です飾り付けの最中からトイレから出てきた爺さんが見てました。「美しいものを見て長生きしてね」。今回は絵画教室のいの町の住人の生徒さんが企画しての「いの展」ですのでその生徒さんの作品を中心に展示したものですが7人いたメンバーが老齢で2人となってしまいましたので応援で僕らも参加させてもらってます。だから飾り付けの作業はすべて僕ら「若い衆」がやります。僕ら67歳組は絵画教室では「若い衆」なのだ。ただここの展覧会は規制というか絵にハードルがないので自分の好きな絵が出品できるという特典があります。だから展覧会用に描かれた絵ではなく普段着の絵が見れます。それがいいことかどうかは別にして。この自由な展覧会、僕は好きです。僕の絵はサイズが八ッの大きさの小さな絵ですが僕の好きな絵です。近くを通ったならぜひお立ち寄りください。案内も誰もいませんけど「美しい場所」にはなってます。