フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

ロード

2006-10-29 10:29:43 | Weblog
昨日の夕方、久しぶりにロードに乗ろうと思ってサイクリングウエアに着替えると何だか引き締まった気分がしてちょっと遠くまで足を伸ばそうと考えた。パッと閃くのは道路マップ。なんせオランダみたいに自転車にとって優しく出来てないですから田舎の道は。あそこにトンネルがあってあそこは坂。この時間は、交通量が多いからあそこを迂回してなんて一瞬のうちに自分が走るルートを決定する。大体道が分かっているときは、こんなふうに思考してより安全な道を選ぶのが習慣になっている。いざ乗ろうと思うと久しぶりだから空気が抜けている空気だけは、メインテナンスしてても置いとけば抜けていくものだから乗る前に補充しなければいけない。空気を入れて、いざ出発。選んだコースは、往復90分くらいの楽々コース。はずだったけど、途中の坂の登りが長くてきついこと。計算外だった。エイコラエイコラ漕ぎながら思った。昔は、難しいことにチャレンジするのが美学だった。若者は、荒野を目指したし、達成感を求めた。いつから挫折の美学にとって代わられたのだろう。源氏物語の光源氏が死んだ歳になっても自分達は、自分の青春の幻影を求めて、こんな坂の途中でペダルを漕いでいる。誰に強いられているのでもないのに、まるで試練のように苦行している。年寄りの冷や水と言われかねないのに自転車を降りずに上りきると言う使命感にも似た感覚が坂の頂上へ向けて自分を駆り立てる。坂の上に何かがあるわけでもないのにひたすら努力する自分の姿をおかしく思いながら、生き様だとへんな納得をするフェンネル氏でした。そして坂の上には小さな達成感と小さな幸せがありました。
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バーナー

2006-10-28 09:03:10 | Weblog
携帯用のバーナーを見つけました。昔の大きなものと違って、非常にコンパクトです。容量は半分ですが、火力なんかは変わりません。軽いです。価格は、あまり変わりませんが、利便性にすぐれています。買って帰ろうかと手にとってはいたんですが、山へかける予算というものがありますから、たとへ5000円と言えどもよりやすいところを探してみるのも楽しみの一つですから。早速ネットで調べました。なんとネットの方が運賃を入れても安い。同じメーカーの同じ製品が。これでは、ますますお店は、衰退していくね。これも時代の流れでしょうか。小売業の形態激変するかもしれない。パソコンいや携帯電話さえあれば店で買うより安く手に入れられる。このことがもっと定着すれば、店は単に展示場と化すね。このこと小売業者は気づいているのでしょうか。そのうちレンジとオーブンを備え付けたフードボックスのようなものができて、家に置けば料理がおくられてきてチャットで会話を楽しみながら一杯やる家にいながら居酒屋が楽しめる「そのまんま居酒屋」のようなものができたらどうしよう?家がなければ、コンビニで対応なんてありえない話でないな。と、こころにうつりゆくよしなしごとで微笑むフェンネル氏でした。
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さくら咲く

2006-10-27 19:24:51 | Weblog
さくらが咲いていた10月の27日だというのに。確かに寒くはない。まだ半袖で大丈夫。山でも長袖のTシャツ1枚で大丈夫。こんな経験今までにない。紅葉は進んでいるけどそのスピードは遅い。今日は霧が出て頂上で何も見えなくて風が少しあった。でも秋らしさはなかった。あの秋の澄んだ空気の寒さ、冷気というのだろうかそれが感じられない。
山の有難さが半減している。何だか山も車で来て車で帰るところと思っている人が増えたから山も俗っぽくなって人に合わせだしたのかもしれない。それに気候までが同調して変に人に優しくなっている。昔のように孤高であり峻厳であり雄大であった姿はもう見られない。山よお前もか。そんな山でも自分は黙黙と登る。昔のスタイルで、頂上には車はこないから。頂上で携帯こんろを出して湯を沸かし熱い日本茶を飲むのが目下の楽しみです。たとえ、桜が秋に咲こうとこれだけは止められない。秋の花見も悪くないかと思うフェンネル氏でした。

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同窓生

2006-10-21 09:10:47 | Weblog
同窓生って何なんだろう。普段はまるっきり気にもしてないのに突然出会っても何のてらいもなく驚きもなく「やぁー」と言う感じでわけもなく話し出してしまう。押しなべてこうなんだろうか。それとも自分達が今となっては特殊なんだろうか。24の瞳ほど少人数ではなく団塊の世代のちょい下ぐらいだからどちらかと言えば大人数なのにわりと結束は固いと思う。今でもこんな気持でいられるのだから、いい環境下にあったんだろう。偉いヤツは一人もいないけど、悪い奴もまだでていない。市井の片隅で片寄せあって生きてるわけでもないけど、どことなく居心地がいい感じでみんな過ごしている。だから、今のようないじめなんかなかった。どこの記憶を探しても。みんな、なんとなく一人一人の個性を認めていたもの。とここまで書いて気づく。これだと。自分達が認めていた一人一人の個性を今の子たちは、認められない集団に育て上げられているんじゃないかと。つまり、大人と子供の区別がない男と女の区別がない家と外の区別がない。ボーダーレスというのか損保おきな潮流に巻き込まれて自分の個性を見失った世代というか、自覚がないと言うか
自覚まで外から与えられるものと思っているから自分の行動に責任を持たなくなるんだろう。平気で20もそこら歳の離れたこと付き合える大人。いいことのように言う風潮。その人が、幼い行動しか取れないことも知らないで、若いといっておだてる無責任社会。さも実力社会の価値であるように年功を軽んじる背景。こんなことの積み重ねで弱いものが犠牲を強いられる社会が出現したのだろう。自分達は、アンチテーゼとして、自分達とかかわったもの総てと手を取りながら進む。俺達の生き様を見ろとばかりに。平和に人生を享受する。小さな幸せを求めて生きる自分達を。同窓生と話しながらそんなことを思ったフェンネル氏でした。
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天変地異

2006-10-20 07:38:29 | Weblog
山の紅葉が気になりまた山へ行ってきました。山の裏側、つまりあまり陽が当たらない方では、紅葉が進んでましたけど表側では、まだまだでした。去年は、これなかったので分かりませんが、一昨年のこの日この時バーヴァーのジャケットを着て寒いなぁと言ってたのに今年は、半袖のTシャツで過ごせました。



それに、何と熟年の山見客の多いこと。これも異常に思えましたが、やはりもっとも気になることと言えば気温です。地球温暖化なのでしょうか、麓で焼きとうもろこしを売っていた、当年84歳の爺さんの言うことには、異常だと。朝晩は、10℃以下になって例年並だけど昼間が24℃にもなるから作物の出来は悪いし、体にはきついし、いよいよ持って気温が上がりすぎだ。と。このままでは地球はだめになる。しかしと言ってここまできたら手の施しようがない。だったら、今でとめる。これしかない。そうすれば、まだかろうじて子孫に四季の味わいを残せるだろう。四季が、歴史の教科書に載ってるだけのものにならない為にもいま自分たちに出来る事をしよう。電気や水の無駄遣いを止め、リサイクルし、車での移動を極力抑え、環境に優しいライフスタイルにしなければ、いつか不毛の大地を前にして嘆かなければならない現実がすぐに来るだろう。標高1500mのところで10月の下旬に半袖のTシャツ1枚で汗をかくと言う異常さをしっかりと受け止めて環境を守るためになにをしなければいけないかを考え行動するフェンネル氏でした。

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後の思いに

2006-10-19 05:48:43 | Weblog
テレビで恍惚の人をみた?マーチンがうれしそうに問い掛けてきます。見てないよ。むかし、森繁や千秋実が演ったのは見たことあるけどと答えると、昨日の夜やってたのよ、三国連太郎で。全部パンプそっくり。ただ違っているのは、主人公が肺炎で死んだとこだけね。根性ないんだから彼は。おとなしくすぐ死ぬのよ。パンプなんか肺炎までは一緒だったけど、病院で探検したり、ベッドから落ちたりひと騒動してやがてパワーアップして戻ってきたのにね。その後の恍惚の人なのにね。まだまだ、作家は、経験が足りないか。人の想像をはるかに越えた存在があるってことりかいしなくちゃねなんて言いたいこと言ってケラケラ笑いながら出て行きました。自分こそ人の想像を越えているのにと思いながらやがて、すべてが後の思いになったとしたら自分は、それに対しどう立ち向かっていくのか夢はどこへかえるのか忘れてしまうのか忘れたことさえ忘れてしまって人は、ケラケラと笑いながら生きていくんだろうかと考えたら、今をどう生きるかがとても大切に思えたフェンネル氏でした。
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ノンビリと急いで

2006-10-17 19:29:25 | Weblog
ノンビリと急いでといつも思う。危険に対してとても鈍感。闇夜の時代なら人は、想像も大きかったけどとても危険に対して敏感だった。仕方がないことでしょうか。私達が忘れ去ったとしても。明るい平和な時代に生きているものとしては。それにしても今回の北の暴挙に対しては、各国反応が、早いよね。初めは、日本の方が、制裁だなんだかんだとこの国特有のショック現象で底の浅い動きをするだけなのですが、いざ腹をくくっての対処となると突然平和ボケの好々爺になったように{それだけで周辺地域の緊急事態}といえるのでしょうか。一見まことしやかな次元の低い意見が闊歩し混沌とさせてしまう。落とされてから平和を訴えても遅いんだ。落とす前に封じ込む。ノンビリと構えていてもいざというときには、迅速な対応が肝心なのだ。この辺のバランス感覚が、女性化してるんじゃないかな、女性は、お産なんか経験するから危険には少し鈍感に出来ているんだ。神の摂理でそのように出来ているんだ。それを男性が女性化したことによって仮想で出産ができるような感覚をうけとっているから国の大事にでも危険に対して鈍感になっていることも分からないでいたずらに時間をかけている。中国やアメリカ、まだ男がいる国は、対処が早いなとフェンネル氏は思いました。馬車はノンビリ進んでいるけど御者は、危険に対して敏感なんだ。
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おもてなしの秋

2006-10-16 18:50:34 | Weblog
おもてなしの秋なのかしら。パンプがやたらと台所に入ってせかせかと動き回ります。普段は、放し飼いなのですが、一応何も出来ないように管理はしていますけど居ないときや、寝静まったときに我が天下とばかりに台所を傍若無人に使ってしまうことがあります。秋にはその回数が多くなってきていてさぁどうしたものかと思案してたものです。そんなある日のことバナナが休みでフェンネル氏が留守でした。マーチンにたのんではいたのですが、朝からパンプはおお張り切りで、今日はたくさんのお客様がお見えになるからおもてなしをしなくっちゃと台所に入ってまずは、じゃがいもを洗いました。つぎに玉葱を洗いました。じゃがいもを切って玉葱を切ってお米をあらって炊き込み御飯にするつもりです。炊飯器に材料を入れて醤油をたらして、廻りを見渡したら昆布がありました。それも居れてお砂糖たっぷりお酒に胡椒についでにクッキーも2枚いれて炊きました。昆布は実は、臭いけしの炭だったんですけど。さぁ出来上がり。まだ足りないかしら、ご飯もう少し炊きましょうと今度はお鍋にお米たっぷり入れて水入れてレンジに置いてありました。
それだけでは、すまなかったのかおもてなしだからゴミ出しましょうと生ゴミとプラスチックのゴミをワザワザいっしょに混ぜてしばって置いてました。フェンネル氏が帰ってきたとき台所は、散乱でしたけど、かたずけるのにこのゴミが一番やっかいでした。勿論米びつは、空っぽ。でも、不思議なことに鍋に仕掛けられた米の水の量は、間違いなかったです。少々フェンネル氏に小言を言われてパンプしょげています。たまにはいい薬だと思います。

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時は過ぎても

2006-10-15 16:50:50 | Weblog
プルーテルの49日が過ぎました。日常に追われて振り返る間もないのが普通の人の暮らしなのでしょうが、それにしても生きるのに忙しくて死んだ人のことにかまってやれないのが現実です。あの時は、ああしよう。こうしよう。と思うのですが、いざとなると生きてるほうの用事を優先してしまいます。考えてみれば、たいした用事でもないのに勿体つけてさも自分でなけりゃと思ってしまいます。おかしいですね代わりは何ぼでも居るのに。そうでなけりゃ地球なんてこんなに長く続いてはこないでしょう。秋風が気持ちよく吹く日曜日フェンネル氏は、庭のテラスのイスに座ってカフェオーレを飲みながらまだ少し残っている夏の雲に別れを告げました。今日のおやつはクグロフです。砂糖で煮た帽子をちょうどひっくり返したようなオーストリアかその辺りの素朴なお菓子ですよ。でもこれは、あることでとても有名なお菓子です。ご存知でしたか?そう、あのマリーアントワネットがこよなく愛したお菓子なのです。似合わないって?そうじゃないんだ、このお菓子をほうばって居るマリーの方が本当のマリーだと思います。事実マリーアントワネットは、ベルサイユ宮殿の森の向こうにある自分だけの小さな家で過ごすことが多かったのですから。人は、見かけでなく、どんな食べ物が好きかで判断した方がもっとその人がわかるのかもしれませんね。クグロフを食べながらはるかマリーを想い胸がキュンとするフェンネル氏でした。
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自己暗示

2006-10-14 17:43:40 | Weblog
自己暗示って知らず知らずのうちにみんなやってるものなの?パンプは昨日かけた55歳の自己暗示のおかげで今日も元気。なんだか背筋まで伸びたように溌剌としています。
ほら、自分を叱咤激励するときや鼓舞するとき無意識のうちにできる、君ならできるとか何とかかけているんでしょうね。最近は、できたところでそれがどうしたと思うことが多いですから全く忘れていましたけどパンプのやる気を見ていると満更でもありませんね。人を若返らせ、やる気にさせる・本当は、自己暗示こそが若さの秘訣、健康んの源かもしれませんね。かけ方の強い人、弱い人。それぞれにそれぞれの人生、面白いですねと考えるフェンネル氏でした。
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