この日が30年もたったことに思いをはせています。
「阪神電車御影駅前のマンション1階」に住んでいた娘も、50歳を
超えた事も改めて・・・・「神戸御影」は震源地に近い場所。
神戸大学法科4年生、
提出物があるとかでパジャマ姿で無く洋服での受災。
マンション1階で有り、その時部屋のTVが、端から端へ飛んだと、
語って居ました。
幸いそこは傾いただけで倒壊無かった様子、無事外へ、近所の小学校へ避難、屋内に入れる場所もなく運動場の焚火のふちに朝まで待機。
翌日神戸から線路を歩き(皆がそのよう)大阪駅まで。
福井迄帰り着いた時には疲労困憊「もう1歩も歩きたく無い・・・」、
パンプスの踵が、笹くれ立っていたようです。
昨日のTVニュースに触れる中、
「娘が死なずに済んでよかった」と語り合いました。
後日、勝山から部屋の生活用品を取りに運送屋を手配した事を
思いだしました。
娘からは「生きています」とのtelはかなり早くからあり、
安心していましたが、
これほどまでの大惨事は、数日して知ったさまでした。
私は21年間の関東単身赴任中、妻がやり取りしていました、
感謝でしたね。